第2431話・西の足利と東の足利

Side:足利晴氏


 病に罹るとはの。いつまでも若いつもりでおってはならぬということか。


 一時は死病かとすら思うたが、早朝つとめて殿の薬と治療を受けてなんとか楽になった。関東におれば助からなんだように思える、運が良かったな。


「もっ申し上げます! 上様が御所様を見舞いたいとの使者が参っておりまする!」


 なっ……一族とはいえ、病の見舞いに上様がわざわざ出向いてくるというのか?


「お受け致すと使者殿に伝えよ」


 御身を危うくする愚を語るまでもあるまい。それを承知で見舞いに来ていただけるというならば否と申し上げるべきではない。


 幸いにして起き上がることは出来る。着替えて身支度を整えるか。




 上様は僅かな近習と桔梗殿と来られた。


「起きてよいのか?」


「はっ、寝てばかりいるのもようないと言われておりまする」


 起きて出迎えると驚かれたが、わしの顔を見て安堵されたようにお見受けする。そのまま上様は桔梗殿以外を下がらせ、わしと上様と桔梗殿の三名だけとなった。


「そう畏まらずともよい。余とそなたは立場も身分も近しいのだ」


 相も変わらず無形を好まれるか。されど、立場も近い一族故、わしは上様にもっとも気を使うべきなのじゃ。縁がない内匠頭殿やそこの桔梗殿のほうが気楽になれるはず。


「そなたが病に罹る前に、もっと腹を割って話すべきであったな。余の不徳だ。許せ」


 上様自ら態度を崩されるとわしにも楽にするように命じ、ゆるりと言葉を紡がれた。


「なんともったいないお言葉……」


 恐ろしきお方だ。都落ちするほど苦境だったのはわしと同じだが、わずか数年で尊氏公や義満公に並ぶとさえ言われたお方だというのに。わしにここまで気を使うてくださるとは。


 無論、それは三国同盟あってのことだが、三国同盟を信じここまで世を鎮めただけでもあり得ぬことと思える。立場が近しい故、それがいかに難しきことか分かる。


「シンディ、前古河の容態はいかがなのだ?」


「幸いなことに今は落ち着いておりますが、まだ気を緩めず静養してほしいとのことでございます。叶うならば尾張の病院に入院されることを勧めたいと。あそこならば常に医師がおりますので……」


 それはわしも早朝殿に言われたが、なかなか難しい。隠居したとはいえ関東公方であった身。勝手気ままにとはいかぬ。斯波と織田とて困ろう。病となり病状が悪化でもしたら痛くもない腹を探られる。


「さすがに冬をここに置くわけにもいかぬからな。常に多くの医師が近くにおる尾張のほうがよいか。余が武衛に書状を書こう。ひとまず病院にて病を治せ」


 なっ……。


「よいのでございまするか? 尾張は望まぬはず!?」


「そなたのためでもあり、久遠のためでもある。ケティを寄越せと騒ぐ輩が未だに多いのだ。そなたが尾張に出向き治療を受けることで、今後、何人たりともケティや冬を寄越せとは言わせぬ。武衛と弾正も喜ぶはずだ」


 桔梗殿は驚いておらぬな。つまりすでに話が出来ておるということか。わしが尾張で治療することで久遠を守る一手とする。なんと恐ろしきことを考える。


「畏まりましてございます」


「倅たちは置いていくがいい。なにか役目を与えてやろう。余は家職を増やす気はない故、家職を与えてやることは出来ぬかもしれぬがな。恥をかかせることや食うに困るようには致さぬ。そのつもりなのであろう?」


 なにからなにまで見通しか。臣下でありながら臣下ではない。久遠の知恵を授けられたという噂はまことのようだな。


 すべて見抜かれては隠す必要もない。関東が危ういのは上様とて承知のことなのだ。


「はっ、関東もいかになるか分からぬ故に……」


 万が一、わしが死ねば倅らは居場所を失う懸念があった。先日、桔梗殿に頼んだのだが……上様のお耳に入れたのか? それとも初めから察していたのか?


「尊氏公が鎌倉府を置いたのは正しかったのであろう。代々の将軍と関東公方もよう治めたと思う。だが、そろそろ変えるべき時だ。いつまでも因縁と憎しみのまま争い続ければ、我ら足利も執権北条家と同じ末路を辿るぞ」


 確かにな。わしとて懸命に生きてきたが、結局、北条と関東諸将に振り回されて終わった。北条を責めるのは容易いが、わしに、いや足利の世に足りぬものがあったのも事実であろう。


「余は尾張が始めた政に日ノ本の行く末を懸けるつもりだ。そのうえで、余とそなたで将軍家と古河公方家を変えたいのだ。南北の因縁を終えたように、東西の足利をひとつにして新たな道を進みたい。力を貸してくれぬか? もう一門で争うのは御免だ」


 ……言葉が出ぬとはこのことか。上様が尾張に心酔しておるのは承知だが、そこまでお考えなのか。義満公どころではない。尊氏公すら超える気か。


「今は返答せずともよい。尾張で静養しつつ考えてくれ」


「ひとつだけ……、関東は直に斯波と織田に飲み込まれましょう。それも上様のお考えのひとつでございましょうか?」


「ああ、無論だ。余ひとりではとても日ノ本を変えることが出来ぬからな」


 やはり、あの御仁だ。久遠内匠頭。南北の因縁を解きほぐしたのも、上様にこれほどのお覚悟をさせておるのもあの御仁がおればこそ。


 さらに四季の方は三国同盟の天下を支えるためではない。上様をお支えし、世を変えるためにおるのだ。故に名代として桔梗殿ほどの女性にょしょうが参った。そういうことか。


 すべて……繋がった。


「某は上様に従いまする。何卒、古河の家を良しなにお願い申し上げまする」


 確かに頃合いなのだな。尊氏公が将軍となり二百年以上が過ぎた。鎌倉の世より遥かに長い。世が乱れたのも長く続き過ぎたことが理由にあろう。


 氏康めに関東をくれてやる気は今もないが、尾張ならば致し方ない。


「相分かった。シンディが見届け人だ。不足はあるまい? これで東西の足利をまとめる目途が付いた。そなたの長子と古河公方はまだ納得するまいが、いずれ納得させる」


 不足などない。寺社ですら堕落した今の世で最後まで信じられるのは、帝か久遠か。今までも、こうして久遠は見えぬところで働いておったのであろうな。


「頼朝公が関東にて新たな世を築いてから幾年月、長き道のりでございましたな。畿内でも関東でもなく尾張から新たな世が明ける。これも定めでございましょう」


 変わりゆく世には誰も逆らえぬ。氏康と争い、どこぞで幽閉されたまま生涯を終えることになったとしてもおかしゅうなかった。


 それが変わったのは上様、ひいては尾張のおかげ。


 これでよい。これならば、頭を下げられる。




◆◆

 永禄六年、五月。病に伏していた足利晴氏を足利義輝が見舞っている。


 第四代古河公方である晴氏だが、乱れる関東や北条家との争いにより隠居に追い込まれるなど苦難の人であった。


 永禄三年の足利尊氏の二百回忌法要にて上洛した際に世の移り変わりを理解し、近江に移り住んでいた。


 前年になる永禄五年にあった近江御所お披露目と義輝の婚礼では、関東との取次ぎ役をするなどしている。


 晴氏は命に係わるほどの重病だったものの、早朝の方こと久遠冬の治療により危うい状態を脱していた。ただし、依然として療養が必要であるとの判断から、義輝より尾張の病院、現在の久遠病院への入院を勧められた。


 義輝と晴氏は古河公方家の今後についてもこの場で話したとされ、その様子は『足利将軍録・義輝記』に記されている。


 同席していたのは桔梗の方こと久遠シンディであり、ちょうど曙の方こと久遠春が懐妊して産休に入った直後のことであった。


 南北の因縁に終止符を打った義輝と三国同盟は、東国統一のために東西の足利家による対立の解消に取り組んでいたことがこの記録から窺える。




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