第2430話・見えない先と見える先
Side:久遠一馬
越中からの報告はなんとも言えないものがある。
長尾勢は神保領を荒らし続けている。さらに乱取りで一切合切奪ったあとに、捕らえた人を村や家族に買い取らせてさらに銭を搾り取ろうとしている。元の世界の人質ビジネスの先駆けだろうか。
ただ、困ったことは、もう故郷では生きていけないと諦めた人は織田領に流民として逃げ込んでいる人が大勢いることだ。着の身着のままで織田領に来た彼らのところにも買い戻せという長尾方の使いが来ているが、当然流民はお金など持っていない。
織田家で貸し与えるとこれが前例となり、今後、銭を得るために織田領の近隣を荒らして乱取りで捕らえた人を織田に買い取らせようとするだろう。益氏さんはそれを懸念して、越中織田領の寺社に対して流民に銭を貸すようにと内々に手配したとのこと。
土地もない縁もない者に普通はお金を貸さないんだけどね。越中織田領は幸か不幸か、飢饉対策として寺社にも食糧を分け与えていたことで協力が得られたそうだ。
「儀太夫殿のおかげで、なんとかやっていけているな」
「ええ、たいしたものです」
エルと顔を見合わせて心底ホッとした。彼は、妻たちに劣らない働きをしてくれている。
寺社からは少なくとも秋までは食糧支援が欲しいと要請があったらしく、それを快諾したとのことだが許容範囲内だ。越中斎藤家がだいぶ頑張っていたようで、現状では守護使不入などの特権が残るものの棚上げとなっていて織田の命に従っているので問題はない。
「殿、されど神保領を食わせる食糧は少なくありませぬ。念のため運ぶ手はずを整えておりまするが……」
喜んでもいられないか。一益さんが今後のことで困った顔をしている。
織田家として神保領は要らないし、手を貸す予定もない。ただ、万が一臣従をしたいとか言われると断れないところがある。そのため食糧の輸送と配布、それと田畑の復興の素案は織田家で密かに検討しているんだ。
神保領は春の麦も実る前に刈り取られているし、米もその他も畑も荒らされているので今年の収穫はなにも望めないだろう。
まあ、先に略奪を始めたのは神保だ。それに神保の居城だった富山城の一帯も元は椎名方の領地だった。長尾が来なければ神保が好き勝手して椎名方の領民が苦しんだはずだ。そう思うと責める気はないが、織田に降った場合は彼らを食べさせていかないといけない。
「畠山としては、神保が長尾に降伏するのはあまり望ましくないようなんだよね。領地が減ってもいいから残したいらしい」
「左様でございましょうな」
守護家である畠山は、越中ではすぐに両家を止めるだけの力もないことから多くを望むつもりはないらしいが、神保が長尾に降って越中の北部がまとめて長尾の領地になるのは喜ばしくない。
先に手を出した罰として所領を減らすくらいで収めたいらしい。
まあ、親戚である能登畠山に頼むとか織田に頼むとか選択肢はあるが、こちらから争いを拡大させないように頼んだからね。それもあって今は静観している。
ちなみにこの件、六角義賢さんにも知らせて協力を仰いでいる。義賢さんの正室が能登畠山の女性なんだ。そのため血縁がある。
越中で神保と長尾だけなら好きにしていいが、隣には加賀一向衆がいるからさ。
「神保の兵糧は今月いっぱい持つかどうか。粘っても六月中にはなくなるらしい。越後守殿はどうするのかな?」
増山城の規模と慌てて運び入れた兵糧、それと籠る人の数からおおよその籠城日数は分かる。あの辺りの領民は真っ先に逃げ出して織田領に来たから、当然聞き取り調査をしている。
「定石とすると飢えるまで捨て置くのではと思えまするが……」
一益さんはそう見るか。ただ、気になるのは神保領と一向宗の領地でそろそろ奪えるものがなくなることだ。
暴徒の如く略奪を繰り返していた長尾勢が大人しく城を囲んだまま待つんだろうか?
景虎さんはこのまま戦をするだけして終わる。それだけの男なのか?
Side:足利義輝
近衛殿下が下向してきて何事かと思うたが……。
「他意はないか」
シンディと与一郎と三人で紅茶を飲み、しばし考える。殿下は未だオレなどでは計れぬお方だ。なにか思惑でもあるのではと案じてしまう。
「狙いがあるとすると、こちらの政に関与することで公卿と朝廷が政に関わる形を残したいのかと」
それはあろうな。すでに政の形は変えつつある。役職は尾張を参考にして新たに設けたものがいくつかある。鎌倉以来、武士の形としてはあまり変わらなんだが、なによりもすでに本来の形を続けられぬほど足利家は力を失っていた。
政所は京の都の役職としたし、侍所はすでになく警護衆が一部役目を受け継いだ。古き形に戻したくても今の世には合わぬのだから仕方ない。
公卿を排除する気はないが、あまり振り回されたくないのだが……。
殿下に悪気はなかろうが、朝廷と対峙出来るのは久遠しかおらぬ。ますます力を借りることになってしまうではないか。
「西も懸念だが、越中では長尾が大暴れして関東では飢えて奪い合いか。常ならば余の徳を疑われような」
「厳密には上様は天下をまとめるお方であって、治めるお方ではございませんから。越中は争いが広がらないように尾張で抑えてございます。関東は北条が思った以上に備えておりましたので。飢饉のわりに大人しくなってございますわ」
確かに将軍とて関東や北陸になにかを命じることはないな。とすると徳がないと言われるのは古河公方と関東管領か。
「こんな時に前古河公方の具合が悪いとはな」
冬からはしばらく静養がいると言われておる。場合によっては命に関わるともな。若くない故、致し方ないが。
「先日、リンメイと共に挨拶に出向いた時、もしもの時は、近江にいる御子息殿を頼むと言われましてございますわ」
「分かっておる。近々、見舞いに行くつもりだ。すまぬが供を頼む」
「畏まりましてございます」
足利将軍家と古河公方家はそろそろ形を変えるべき時であった。足利の世を終わらせる前に片付けねば、古河公方が担がれることも考えられる故にな。一族だ。なるべく次の世に連れて行きたい。
それに、あやつは関東が今までのように己らだけで生きる世は終わることを察して動いていた。その意は汲んでやらねばなるまい。
シンディを見届け人として、古河公方家の今後を話しておかねば。今の古河公方がいかに言うか知らぬが、関東を離れたあやつの覚悟を無駄にしたくはない。
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