第2427話・飢饉の足音

Side:斎藤孫四郎


 分かっていたこととはいえ、御家は凄まじいな。一向衆と思われる流民までもまとめて食わせるとは思わなんだわ。


 わしはあまりすることはない。現地の代官は同族の伯耆守殿だ。あまり頭ごなしにあれこれと命じるわけにもいかぬ。さらに細かい差配は文官衆と武官衆がするからな。


 まあ、やり過ぎず、焦らず、将として構えておるだけで功となると思えば悪うないが。


 わしは今、儀太夫殿を呼んで酒を飲んでおる。清洲からの下命も届くが、こちらに任されておることは儀太夫殿次第というところも多いからな。話すことが多い。


「そなたは凄いな。あれだけ暴れておる長尾はそなたを恐れておるとも聞く」


「さて、いかがでございましょうか。それもまた大将殿と某の不和を狙う、またこちらの者がそう思えば儲けものという程度の謀かもしれませぬ」


 確かにな。久遠家の滝川という名は越中においても大きい。わしは武功がない故に特に目立ってしまうのであろう。


「父上と兄上の不仲が続き織田と争うておる頃ならば、己が功を狙うたかもしれぬな」


 敵を屈服させることならば出来る者はおろう。されど、因縁を解きほぐし恨みを慈しみに変える者など大殿や内匠頭殿以外におるまい。


「左様でございますな。某も殿に仕官する前ならば同じでございましょう」


 内匠頭殿の下で十年も学べば、わしも儀太夫殿のようになれるのであろうか? 間違っても頼めることではないが、学んでみたいと思うてしまう。


「長尾を利用し一向衆の結束を潰す。御家もそなたも恐ろしき男だ」


 流民を食わせる。慈悲の心もあろうが、あえて一向衆に飯を食わせることで加賀と越中の一向衆を乱すなど、話を聞いた時には寒気がしたわ。しかも儀太夫殿は清洲から下命が届く前に同じ策の支度をしていた。


「加賀一向衆はいずれ敵となりうる相手ございますので」


「長尾よりもか?」


「越後守殿は戦をさせれば恐ろしい御仁でございます」


 戦をさせればか。させねば、なんとかなるということだな。父上でも同じことを言われるだろう。道理だ。やはり神仏の名を騙る一向衆とは違うからな。


 ここ十年を思い返しても恐ろしきは武士ではない。寺社だ。


「例の城、長尾に落とせるのか?」


「無理押しをすれば落とせるかと。されど、あまり損害を出すと困ることになりまする。越後守殿は戦で国をまとめておりまする故に。あとは戦が終わってからいかにするか。そこも考えつつというところでございましょう」


 なるほどな。越後守の力量に疑念を抱かれると困るか。それに神保を叩いたからというて、西越中をそのまま長尾が得られるかも分からぬことだな。


 守護家である畠山が長尾に越中全土を奪われることまでは望むまい。


「しばらく高みの見物か。実はわしは高みの見物が好きでな。父上と兄上が争うておった時からずっと高みの見物をしておってな」


「ふふふ、それはまた面白きことでございまするな」


 放っておくと儀太夫殿がわしの功を整えてくれよう。まさに見ておるだけでよいか。面白いの。織田の戦は。




Side:久遠一馬


 五月に入り、東国における麦の不作が決定的となった。特に関東は酷いようだ。


 今年は、史実では桶狭間の戦いがあった年だ。今川義元の死去は、尾張、三河はもとより関東に至るまで大きな影響を与えた。


 不作は恐らく史実と変わらないと思われる。ただ、東国の現状は史実と大きくかけ離れており、思った通り史実と同じような長尾景虎の関東遠征が行なわれそうな気配はない。


 足利政権がきちんと権威を維持していて、三国同盟が政治・軍事・経済を支えている現状では、軽々しく大規模な戦を出来る状況ではなくなりつつある。


「北条方の国人衆、思ったより頑張っていたみたいだね」


 上野や武蔵の北部とか、史実で北条と上杉の間でコロコロと態度を変えていた勢力は別だが、その他は事前の調査よりも食糧備蓄に励んでいたことが分かった。


 命令すると反発するところはあるんだろうが、兵糧にもなる米や雑穀などは多く貯めておくようにと命じたことはそれなりに従ったらしい。


 領内が飢えないようにと米を貸し与えているところは割とあるみたいで、越中のように流民が大挙して織田領に押し寄せることは避けられている。


「北条以外は厄介なことになっておりまする」


 望月さんの表情が渋い。現状がいいのは北条だけなんだ。北条もまた領外からの流民は北条方の国人衆が追い返している。織田領に行きたいという流民が多いようだが、困ったことにお金もなければ食料も持っていない。


 憐れんで領内に入れると途中の北条領で略奪するのは確実で、治安と衛生環境が悪化するだろう。北条としても流民に食わせる食糧まではないし、織田から援助を受けると北条と国人衆の面目が潰れ、作らなくていい借りを作ることになる。


 さらに困ったことに、流民が近隣の反北条勢力の嫌がらせとか北条の内乱を狙う謀ではないという証拠もない。


 はっきりいうと行き場がないんだ。助けてやりたいが……、中途半端に手を出せば戦となり戦火が広がる。


 関東と奥羽の間には細々とした名門がひしめいているが、彼らは飢饉対策なんてしてなかったからなぁ。


 北条という生贄を用意出来ないことで、彼らは近隣や領内で泥沼の争いをすることになるのかもしれない。


 ちょっと気が滅入る報告になんとも言えない空気となっていたが、すずとチェリーが姿を見せると気落ちしていられないなと気合を入れる。


 ふたりとも、すでに臨月となっていて大きなお腹なんだ。


「子供たちと牧場まで行ってくるのでござる!」


「気分転換なのです!」


 もうすぐお母さんになるが、ふたりはあまり変わらないなぁ。馬車で出かけるならいいか。牧場は近いし、医師であるマドカも一緒だし。


「分かった。マドカ、よろしくね」


「オッケー、任せて」


 飢饉の影響は尾張にもある。この手の情報は領民にまで伝わるので、織田家として飢饉対策をしてあることなど、かわら版や紙芝居できちんと伝えているんだ。


 どちらかというと織田領内は結束が強まったかもしれない。各村でお年寄りを中心に飢饉対策を自主的にしているところが多い。野草など飢饉の時に食べていたものを日々の食事に加えるなどしている。


 代官にはあまりやり過ぎないように気を付けてもらっているが、こういう末端からの動きはありがたいのが本音だ。


 ほんと、領内は驚くほど落ち着いている。




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