第2426話・奪うか与えるか
Side:久遠一馬
越中は相変わらずだ。最新の報告では史実で『黒土』とか『七尺返し』と言われた行為、田畑の土を掘り起こしてしまうことを長尾勢がしている。田畑を破壊して生産出来ないようにするんだ。
さらに乱取りも積極的にやっている。
これらの行為に対する評価をオレがする気はない。冷たいようだが、余所の領地でのことだ。神保方も長尾が来る前には椎名方を荒らして乱取りをしていた。お互い様というところだろう。
原因は恨み、因縁、それに尽きる。景虎さん本人はどうだか知らないが、椎名も長尾も神保を恨んでいる人は上から下まで多いのだとか。そういう報告も入っている。
戦略的に見ると、長尾は奪わないと戦が出来ない。それに尽きる。強き者は食い、弱き者は食われる。突き詰めるとそれだけなんだと思う。
今日は農務総奉行である勝家さんと土務総奉行である氏家さんと、オレとエルとセルフィーユで話をしている。
信濃、甲斐、駿河、遠江あたりは東国全体で起きている不作の影響が大きい。織田家の場合すぐにどうこうなるほどではないが、長期の食料政策の再検討を進めているんだ。
織田領ではリスク分散のために米以外の作物の生産を大きく増やしたことと、流通や金貸しの仕組みも変えたことで、不作となっても農民が困窮するようなことにはなっていない。
いつの時代でもそうだが、不作や品薄になると品物を買い漁り溜め込む人がいる。さらに借財などを理由に、農村にある数少ない食料を奪うところだってあるんだ。酷いところだと、さらなる借財を背負わせて人も家も田畑も奪うところだってある。
それらの対策は既にしており、織田領は例年と変わらないくらい穏やかなままだ。
さらに外への対策として、去年の秋の不作以降、織田領でも対外的な穀物販売の規制を強化し、外への販売価格を周辺各国に合わせて高くしてある。
周辺勢力が食べていく食糧は売り渋る気などないが、甘い顔をすると転売する輩がいるんだよね。織田領では物価が安定していて関東で安いままだからさ。
ちなみに去年の秋以降、米などの不法密売で捕らえられて処刑された罪人は二桁を超えている。許可を受けて対外価格で売ればいいのに、領内価格の米を買い集めて密かに他国に密売する。バレないわけがないことをやる人は未だに多い。
セルフィーユが用意した味噌雑炊を食べた氏家さんが満足げな表情を見せた。
「ふむ、なかなか美味いではないか」
「そうですね。これなら毎日でも食べられるな」
雑炊だし熱いので体の芯から暖まるな。
これは各地の賦役で食べさせている雑炊の基本的なものだ。米と雑穀をメインにして漁業で大量に獲れるイワシを干したものと味噌で味付けしてある。正直、味よりも栄養と量を考えたものだが、味噌味であることもあって結構美味しい。
これに地域で採れる野草や山菜、海沿いなら売り物にならない魚なんかをくわえて賦役で食べさせる食事になる。
この賦役での食事を基本として、朝夕の食事は家で食べられるようにはしているんだよね。貧しい人でも朝は確実に食べられるだろう。
「少し雑穀の分量を増やしました。冷めると味が落ちますが、冷める前に頂くとのことでこれでもいいでしょう」
飢饉の長期化の懸念が高まったことで米の節約のためにセルフィーユがレシピを変えたので、今回はその試食だ。問題がないようなら評定に上申する。
「よいのではないか? 関東も荒れておると聞き及ぶ。少しでも節約しておかねば」
賦役の食事に使う食糧の概算量と備蓄と今年の生産予測を書類にしてあるので、勝家さんはそれを見ながら了承してくれた。
今回の話し合いでは議論の対象ではないが、史実のじゃがいもである馬鈴薯やサツマイモである小豆芋も生産を増やしている。これは機密保持の観点から一気にとはいかなかったが、各領国単位で余所者を寄せ付けないような地域で一部生産していた。
信濃、甲斐、駿河、遠江における反斯波、反織田がほとんどいなくなりつつあることで生産を広げることが出来ている。
昨年の秋以降の領内における不作対策と困窮する他国の様子から、織田領となった地域で問題になるほどの裏切りを働く者が出る可能性はあまりない。
米の密売をしている連中ですら、ウチの作物や技術を洩らすことはしないんだよね。中にはそれをやろうとした者もいるが、家族や一族から殺されて終わっている。
手を出してはいけない犯罪という概念はこの時代にもある。飢えや困窮にならない限りは今より悪くなることはないだろう。
越中や関東のようにはしない。そのために何年もまえから準備していたからな。
Side:越中の流民
神保様が始めた戦のせいですべてを失った。
越後者が近隣の村に押し寄せて一切合切奪っておると聞き、慌てて逃げた。奴らは家も田畑も家族も奪っていく。
村の長老が助けなど来ないから逃げろというので皆で逃げた。
能登や加賀のほうに逃げてもおそらく生きて行けまい。生きていけるとすると南の斎藤様のところだと言われて年寄りも幼子もみんなで逃げた。
途中、同じように逃げた者たちと顔を会わせたが、諍いになることすらなかった。そんな気力すらなかったというべきかもしれねえ。
泣く子をあやし、痛くなった足を庇いつつひたすら南を目指した。
歓迎されるなんて誰も思っていない。ただ、仏の弾正忠様は敵であっても慈悲で助けてくれるという噂にすがるしかなかった。
神保様と斎藤様の領境あたりは荒らされて村ごとなくなっていたが、その向こうの兵が守る斎藤様のご領地にたどり着くことが出来た。
「脇差しは良いが、あとの武器はここで置いていってもらう。さもなくば領内に立ち入ることは罷りならぬ。その代わり武器を手放すなら当面の暮らしの面倒は見る」
次から次へとやってくる流民に斎藤様のご家来だろう。うんざりした顔をしているが、来るなと追い返されることだけはないらしい。
「おらにはこの槍しかないんだぞ!」
「うぬらが一向衆で、こちらを荒らしに来た者でないと証立て出来るか? 我らはすでに領境を荒らされておるのだ。槍を手放したくなければ己が力で生きてゆけ」
納得がいかぬと騒ぐ者、従えぬと暴れる者も中にはおるが、大半は諦めて武器を捨てて助けを請う。飢饉だったこともあり幾日もまともな飯を食うておらぬ者だって多い。
武士も坊主も信じられないが、仏の弾正忠様だけは……。そう一縷の望みを託して従うしかない。
いずれにしても行き場などないのだ。飢え死にするならもう武器も要らねえ。
それだけだ。
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