第2425話・嫡男たち

Side:六角義弼


 昨年尾張から戻って以降、わしは父上や曙殿たちに学ぶ日々を送っておる。


 曙殿たちからは六角家当主として生きるための術だけでなく、人として生きる術の教えを受けている。


 一番面白いと思うたのは、公としての立場と己を分けて考えることか。上様も将軍と武芸者という立場を使い分けておるが、公の場を離れた際にひとりの人として生きる術を教えられた。


 覚えておいて損はない。若武衛殿が言うたままだと思う。


 ああ、近江に戻り新しきことを学び思い出す言葉がある。かつて内匠頭殿が言うた『人が人を見抜くとか察するというのは出来ないと考えたほうがいいと思います。それほど人の心は容易くありません』という一言だ。


 新しきことを学び、限られた者が察して動く暮らしから変わったことで、それがいかに危ういか理解した。


 面白かったのは、伝言遊びとやらか。言葉だけで伝えた内容を多くの人が介するといかになるか試す遊び。余興として教えてもらったが、あれには寒気がしたほどじゃ。


 久遠では大事な下命は書にしたため、さらに言葉で伝える。そのくらい慎重にせねばならぬと教わった。書を用いぬ場合は、下命を受けた者が自ら受けた下命を口に出して繰り返すことで間違わぬようにしておるとか。


 まあ、そこまでする時とせぬ時があるということじゃがの。戦の際の伝令などではやるとのこと。


「四郎殿、いかがされました?」


 つらつらと考えておると目の前におる桔梗殿から声を掛けて頂いた。曙殿の代わりとして近江に来た御仁だ。


「内匠頭殿に言われたことを思い出してな。家臣を忠臣とするも謀叛人とするも主次第なのかと思うてな」


 わしの言葉に桔梗殿は笑みを浮かべたまま自ら淹れた紅茶を差し出してきた。白き白磁の茶器と紅色というべきか? 澄んだ茶に思わず見入る。


「その答えはひとつではございませんわ。私たちのやり方もひとつの道なれど、別の道もある。いずれがいいか悪いかということではないと思います。私たちとは違いますが、先代の管領代殿の道も決して間違ってはおりませんから」


「祖父上か。なるほど……」


「もうひとつ、結果が伴わずともその道が間違いとは言い切れません。時と場を変えて行えば上手くいくこともある。故に政は難しゅうございますわ」


 生きるということは難しいな。


「困ったの。わしなど廃嫡にされそうになったくらいに不出来だというのに」


「我が殿も、最初から今のように出来たわけではありませんわ。皆々様方に教えを受けて育てられた。人としての始まりは大差ありません」


 同じ人とは思えぬがな。幼い頃から知る桔梗殿からすると未熟な頃もあったということか。とはいえ、わしでは内匠頭殿のようにはなれぬと思うがの。


 それでも……、祖父上と父上が繋ぎ守ってきた信念くらいは守れるようになりたいものだ。




Side:北畠具房


 田丸御所の離れに出向くと、他の奥方衆はおらぬがカリナ殿はおった。


「尾張に行く故、届けるものでもあればと思いましてな」


 特に所用があったわけではないが、尾張に行く前には声を掛けるようにしておる。使い走りをする身分ではないが、ついでだからな。


「畏れ多いことでございますわ」


「いや、畏れ多いなど言うてくれるな。内匠頭殿と奥方衆のおかげで父上とも打ち解けることが出来た。感謝しかない」


 わしが御所を出て歩くようになったことで、あまり上手くいっておらなんだ父上は大層喜んでくれた。武芸でなくともよい故、己の道を探せとも命じられた。


 北畠の懸念は、嫡男である大食らいのわしだと陰口があったからな。


「それは我が殿や私たちの功ではございませんわ。皆が北畠を盛り立てようとしたひとつにすぎません。とはいえ、せっかくのお言葉でございますね。こちらの書状を蟹江の屋敷の者に届けて頂けて頂けると幸いでございます」


「うむ、確と預かる」


 祖父上が蟹江に滞在し、カリナ殿たちが田丸におる。この形が北畠と南伊勢の大きな力となっておる。大きな懸念はないが、神宮とは上手くいっておらぬからな。


 御所を出ると、そのままの足で大湊に行く。海沿いは織田領と北畠領が接するところが多いが、今では民の暮らしに違いなどなく皆が安堵しておるとか。


「これは若御所様!」


 大湊の町に入る際、警備兵が集まり控えた。


「控えずともよい。役目をまっとうせよ」


「ははっ!」


 大湊は今日も賑わっておる。わしは馬を降りて歩くこととする。食師殿から己の足で歩くこともまたよいことだと教わったのだ。


 湊には父上が久遠家より貸していただいておる恵比寿船があるが、それには乗らず尾張行きの久遠船に乗る。


 今日は海も穏やか故、海を眺めつつ乗るならば久遠船でよいからな。


 黒船とそれ以外の船は半々というところか。この辺りの船は黒船故、材木のままの船は紀伊以西の船であろう。相も変わらず諸国からの船は多いようだ。


「熊野様のところで賊狩りが行なわれたってな」


「へぇ、なんでまた」


 海を眺めておると同じ船の乗る商人らの言葉が聞こえてくる。


「賊が逃げ得になることを北畠様と織田様がお怒りだって話だからなぁ。それに尾張との商いがないと熊野様でもお困りになるんだと」


「伊勢も変わったからなぁ。昔は少し知らんところに行くと、なにをされるか分からなんだのにな」


 熊野か……。寺社であっても恐れる者が現れたことで世が変わるか。


「御宮様のようになりたくないらしい」


「どこぞの末社の面目のために久遠様の奥方に泥を塗ったのだろ? 尾張者の怒りが凄まじいと聞くが……」


「そりゃそうだろ。なんでも尾張の薬が手に入らず、不満で騒いでおるとか」


「祈祷で治せばいいだろうに。御宮様の祈祷は駄目なのか?」


「さあ?」


 朝廷を祀る神宮の内情がこうも漏れておるとは。父上が嫌悪するのもそこであろうな。


 わしも他人事ではないな。


 祖父上と父上は新しき道を進むおつもりだ。このままいけば、わしがそれを継がねばならぬ。


 まあ、今は考えずともよいか。此度は、食師殿より教えを受けた料理の味を確かめてほしくて行くのだ。教えを受けて何度か作ってみたものの今一つ物足りなくてな。


そうだ、那古野に行く前に湊屋殿のところにも寄るか。湊屋殿の料理もまた美味いのだ。料理人ではないが、それ故に難しゅうなく美味い料理を作る。


 なにかまた新しい料理があれば食うてみたい。




※桔梗殿・シンディ



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