第2419話・激動の越中

Side:神保長職


 苦しいほど喉の渇きを覚える。


 僅かな供の者と逃げるように城に駆け込むと、乗っておった馬が倒れた。


 供の者らは息も絶え絶えだ。富山城に入り安堵して流れた汗は、疲れによる汗か、冷や汗か。


「いかほど戻った?」


「半数もおらぬかと。己が所領に戻った者も多くおりましょう」


 であろうな。わしを見限って己が所領に戻った者が多くおろう。これほど大敗しては……。


「長尾があれほど強いとは思わなんだ」


「なにがあったのだ? 織田のようにわけの分からぬ戦をされたわけではあるまい?」


 当人は気付いておらぬようだが、家臣らの声が震えておるわ。確かに織田は金色砲で敵を滅ぼすと言うが、左様なものではない。槍合わせをしておったと思うたところで一気に崩れ、立て直すこともなく退くしかなかった。


「一向衆はいかがした!?」


「知るか! りに逃げたのだ! 仮に無事であってもこちらには来ぬわ!」


 ええい、煩い家臣どもめ。大人しゅう考えられぬのか! かような時こそ落ち着いて考えねばならぬというのに!!


 勢いに乗った長尾がここに攻めてくるまで、そう時は掛かるまい。いかがする? ここで迎え討つか? されど、平城であるこの城は籠城には向かぬ。こちらの倍はおる長尾に攻められると落ちてしまうかもしれぬ。


 一向衆に後詰めを頼むか? いや、奴らがいずこまで長尾と戦う気があるか分からぬ。素知らぬふりをして長尾に味方しても驚かぬ。かというて織田に降った斎藤がわしに味方することもあるまい。


 是非もないか。


「すぐに兵糧と銭を増山城に運べ! ここは放棄するぞ!」


 今一度、戦えればと思わなくもないが、仕切り直さねばならぬ。こちらはもうあれだけの兵を集めるのは無理だ。


「殿……」


「急げ! 長尾が来るぞ!!」


 くっ、父上の仇である長尾から逃げねばならぬとは。




Side:直江実綱(景綱)


 戦勝の宴は賑やかだ。皆、上野で遠慮せねばならぬ鬱憤を晴らすように暴れたな。神保如きが相手では当然の結果であろう。


 殿も此度の戦には満足されたようでご機嫌はよい。


「こちらの手の内を見た織田はいかに動くか」


 盃の酒を飲むと、誰に問うでもなく語る殿に皆が驚いた。神保と戦をして織田を語るわけが分からぬ。


「城生に出した使者が持ち帰った『遠慮は要らぬ』との言伝の意味、分からぬか?」


 皆に考えろと言いたげに話された殿のお言葉に静まり返った。


「まさか……神保で我らを試したと?」


「間違いあるまい。斎藤孫四郎ではないな。噂に聞く武官衆か。久遠の知恵か」


 酒の酔いがさめるようだ。皆も顔が青ざめておる。とても戦勝の宴とは思えぬ。


「殿、織田は動くのでございましょうか?」


「動くまい。今はな」


 殿はいずれ織田とぶつかるとお考えか? 一度や二度でいいならば戦で勝つことは出来るやもしれぬ。ただ、勝っていかがするのだ? 海路を止められ諸勢力に恨まれる。誰か味方になる者がおるのか? 奥羽ですら、すでに大半が織田に落ちたというのに。


「まあ、よいではないか。今は神保と一向衆だ」


「ああ、左様だな 先々代様の無念を晴らさん!」


 あまりに静まり返った宴の場に、幾人かが話を変えると皆が酒を飲み騒ぎ出した。殿もまたその様子を見つつご不満な様子はない。


 神保如きに戦勝したくらいで驕るなと言いたいのかもしれぬな。




Side:神保家臣


「急げ! 急ぐのだ!!」


 馬だけではとても間に合わぬ。近隣の者も集めて、手の空いている者に米俵を背負わせて増山城へ運ばせる。さらにお方様と共に女子供も先に増山城に移さねばならぬ。


「家財道具はいかがする!?」


「運べる品はすべて持っていくぞ! 間に合わぬならば寺に預ける。寺に運べ!!」


 家宝などは長尾と椎名に奪われるわけにいかぬ。あとお方様の嫁入り道具もなるべく運ばねば……。


 何故、かようなことに。此度の椎名攻めで城を捨てねばならぬとは思わなんだ。城を捨てるなど屈辱だ。


 軽々しく城を捨てることに異を唱える者もおったが、先の戦で長尾に大敗したことがすべてだ。越中もここ数年はそこまで激しい戦はなかったが、昔は多くの者が討ち死にする戦があった。


 こうなることを考えておくべきであったな。


「出る前に火を掛けるぞ! 支度をしろ!!」


 殿が自ら檄を飛ばす中、荷を運び終えたところから藁を積んで油を撒いていく。


「申し上げます! 長尾勢、およそ一里のところまで迫っておりまする!!」


 くっ、間に合わぬ!


「蔵にも火を掛けるぞ! 長尾になにひとつ残すな!!」


 殿の命で間に合わぬ米蔵にも油を撒く。もったいないが、残せば長尾に利する。奴らとて兵糧は多く持ってきておるまい。


 兵糧となる米だけはなんとしても焼いていかねばならぬ。


「わしは先に行くぞ! よいか! 必ず火を掛けろ!!」


 そろそろ逃げねば追い付かれる。殿が馬に乗ると最後の命を下して走りされた。


 我らも城内に火を掛けて後に続かねば……。


 ああ、燃えてしまう。


 我らの城が……。なにもかも燃えてしまう……。




Side:斎藤利基


 長尾があれほど大勝するとはな。


 されど長尾より恐ろしきは織田か。わしと家臣は互角か神保が優位かとすら思うていたが、織田は端から長尾の勝ちは揺るがぬと見抜いておった。


 確かに兵の数は長尾が多いが……。


 まあ、織田の恐ろしさは戦の前から明らかであったが。飛騨からは連日多くの兵糧や武具が運ばれてくるのだ。その様子は噂となり領内の者すべてが知っておろう。


 さらに山城は必要ないと言わんばかりに井田館の跡地に、ゲルなるものにて陣を張ることで領内に籠城はないと示した。そのこともあって神保と両属であった村以外は離反することなく従うた。


「殿、領境の村々が謝罪の使者を寄越しておりまするが……」


 あれこれと忙しゅうしておると、聞きたくない知らせが届いた。


「孫四郎殿の下命を仰げ。わしは知らぬ」


 わしの命に背き、神保と一向衆に従い勝手をした村など知らぬわ。すでにわしの所領ではない。庇い立てしてやる義理すらないのだ。己が意思で動いたのだ。責は己らで負え。それが戦だ。


 一向衆と坊主どもは寺に逃げ帰り、神保に従う者らも多くは己が所領に戻りて今後の様子を見ておろう。飛騨と違い、越中や加賀は荒れると名のある武士ですら討たれるほどの戦が起こる。それ故にいずこに味方するか慎重なのだ。


「申し上げます! 神保、富山城に火を掛けて増山城に籠城するようでございます!!」


 さすがは神保、動きが早いな。大敗したままの勢いは止められぬと察して引いたか。あそこは堅固な城。長尾越後守殿は城攻めをいかにするのか。


 

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