第2417話・地獄の越中

Side:とある村の領民


 田んぼの様子を見ておると、血相を変えて走ってくる男がいた。あれはここらを治める土豪に仕える者だったはず。


「一向衆がこちらに攻めてくる!!」


 息も絶え絶えの男の言葉に一緒にいる奴らの顔色が変わる。


「戦は神保様と椎名様がやるんだろ!?」


「知らん! 数は多くないがこっちに来ている! 隣村が一向衆に従うとか言うてこっちに来るんだ!!」


 ちっ、あいつら……。


 隣村は斎藤様と神保様の双方に従うと言うていたからな。その時々で都合がいいほうに従うんだ。何年か前に神保様が斎藤様を攻めた時も、神保様に従うとおらの村に攻めて来た。


 にもかかわらず、今年に入って飯を食わせてもらえる賦役をした時は、隣村も斎藤様に従うからと賦役にいたよな? 


 それなのに今度は神保様に従うからとこっちを攻めてきた。だから隣村なんて信じたら駄目だったのに……。おらたちは斎藤様にちゃんと嘆願したんだぞ?


「返り討ちにしてやる!」


「先に年寄りと女子供を向こう隣の村に逃がせ。斎藤様から命じられているんだ。向こうにも話が通っているはずだ」


 今度こそは許さねえと息巻くが、確かに年寄りと女子供は逃がさねばならねえ。


「せっかく種まきを済ませたのに……」


 一人の男が肩を落とした。今年こそ豊作になってほしいと祈り皆で田仕事をしたのに。隣村の奴らは嬉々としておらたちの田んぼを荒らすだろう。


 許さねえ。前に殺された奴らの敵討ちだ。隣村の奴らを地獄に送ってやる!




Side:斎藤孫四郎


 領境が勝手なことを始めたと知らせが届いたのは、もうじき日が暮れる頃だった。


 もともと斎藤にも従いつつ神保にも従うような村々が、攻め寄せてきた一向衆の者らと共に近隣の村を荒らし、織田領内にある村まで襲っておるとの知らせだ。


 主立った者ですぐに軍議を開く。


「是非もあるまい。そこまで入り込まれては黙っておられぬ」


「左様! 大将殿!!」


 文官衆は今少し確かめるために物見を出してはという者もおるが、武官衆は左様なことをしておられぬと兵を出すことを進言しておる。


 判断に迷う、わしはこれほど難しき将となるような戦は知らぬのだ。


 軍議に同席する者らを見渡し滝川儀太夫殿と目が合うと、静かに頷いた。少数とはいえ、領境にまで入り込まれては座しておられぬか。


「よかろう、武官衆。すぐに一向衆を追い払え。討っても構わぬ。ただ、両属の村は捨て置く。こちらの命に従わぬところは、最早、織田の地ではない」


「ははっ!」


 清洲で事前に決めておったひとつだ。勝手に挙兵した者や両属の者らが動いた場合、放逐するなり敵として討つなり好きにして構わぬとな。


伯耆ほうき守殿、清洲の大殿は此度の件でそなたの俸禄を減らそうとは思うておられぬ。ただし、勝手に動いた者や戦に加担した者は許されぬ。独立として己が力で生きてもらう。家中の者らに、今一度確と厳命なされませ」


「はっ、畏まりましてございます」


 皆が慌ただしく動くと、ゲルの中が静かになる。残ったのは儀太夫殿と少数の文官だ。


「このまま戦に引きずり込まれるか?」


「まだ分かりませぬ。長尾は恐らくこちらの所領に近付かぬように神保の富山城を攻めるはず。これは上野の戦からの様子でおおよそ分かること。越後守殿は戦をする場を選ぶのも上手いのでございます」


 わしの手に負えぬかもしれぬと案じてしまうが、儀太夫殿はこうなることを読んでおったらしい。


「もし神保と謀り、こちらに攻め寄せてきたらいかがする?」


「その時は越中と越後が敵となるだけ。無論、織田の戦は戦場で戦うだけではございませぬ。海路も商いも止めまする。勝敗に関わらず、越後と越中は数年とたたず悔やむことになりましょう」


 恐ろしい。その一言しかないかもしれぬ。わしにはない覚悟が儀太夫殿にはある。


「相手が誰であれ、織田の民を害する者を許してはなりませぬ」


 そう言えば聞いたことがあるな。内匠頭殿は身内を害する者を許さぬと。土岐が織田に見捨てられたきっかけは武芸大会の場におった孤児であったはず。


 儀太夫殿を見ておると父上を思い出す。まさに人を従える者、戦の大将だ。ふと思う。いかに考えても大将は儀太夫殿がなるべきではとな。


「相分かった」


 儀太夫殿が大将になるべきではと問おうとして止めた。久遠の者は皆そうだ。上に立たず動くことを好む。


 わしはわしの役目をこなすことのみを考えよう。




Side:直江実綱(景綱)


 ようやくすべての軍勢が越中に入った。難所もあり越中に入るのは苦労が多い。少数ならば船でよいのだが、軍勢での越中入りとなるとさすがにそうもいかぬ。


 すぐに椎名方から使者が来たことで軍議とする。


 いかになっておるかと思えば、神保は一向衆と共に暴れまわっておるか。椎名が劣勢なのは致し方ないが、もう少しなんとかならなかったものか。武士である以上、戦下手でしたでは済まぬというのに。


「織田方はいかがなっておる」


 静かに軍議を聞いておられた殿が口を開くと、皆が閉口して静まり返る。


「はっ、少数の一向衆が領境から織田方の所領まで攻め入り、織田方に追い払われたようでございます」


 使者殿の言葉に殿は僅かに笑みをこぼされ、諸将も安堵した。


 神保の失策だ。織田は領内を荒らされ民を害されることを誰よりも嫌う。織田に関わらぬように戦をするために、上野でいかほど気を使うたか分からぬほどだ。


 神保は左様なことも知らぬのか? これで少なくとも織田が神保に味方することはあるまい。


 使者殿の話では織田は飛騨から食い物を運び領内を食わせておるとか。とすると飢えから挙兵することもあるまい。こちらは神保に専念出来るな。


 一向衆を領内に抱えて苦しいのは察するが、やはり一向衆が神保の命取りになる。一向衆は並みの武士が従えられる者ではない。それこそ仏の弾正忠でもなければな。


「城生城に使者を出せ。少しばかり騒がせるとな。それと織田領には兵を近寄らせるな」


「はっ!」


 殿のお言葉により我らは西へ進軍する。こちらの兵はこのまま戦える。神保の兵と一向衆は椎名を翻弄していて勢いがあるが、疲労はあろう。兵の数はこちらが有利。このまま一気に野戦で叩いてくれる。


 己らが奪う立場だと思うておる神保と一向衆に、奪われる立場なのだと教えてくれるわ。




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