第2416話・乱世の越中

Side:滝川益氏


 越中は思うたより落ち着いておった。彼方此方かなたこなたから流民が押し寄せることも覚悟しておったが、そこまでではないらしい。


 斎藤伯耆ほうき守殿は戦下手と評されることもあってあまり世評のよい男ではないが、己が分を弁えておるか。


 清洲が伯耆守殿に命じたことは多くない。領内をなるべく落ち着かせることと、飛騨との街道沿いを確と従えることだ。


 通例ならば臣従した者とそれ以外で厳格な待遇の違いがあるが、飢饉であること検地などがこれからということで旧斎藤領では従う意思を示しておらぬ土豪や寺社の領民すら食わせておるとか。


 来てみて分かったが、此度に限ればそれは悪うない動きだ。


 我らは城生城の麓に陣を張った。幾年か前までは井田館という斎藤家の館があったという場所だ。どこぞに攻められたあと再建することもなく捨て置かれたらしいが、本陣を置くにはちょうどよい。


 伯耆守殿からは城生城に入られてはと勧めてくれたが、山城に入れば籠城すると思われかねぬので武官衆が辞退した。無論、籠城も考慮して兵糧や武具は多めに城生城に運び込むことになるが。


 織田家の軍略だと籠城ありきの策はあまりない。


 武官衆はすぐに、飛騨との街道を確実に押さえるためにあれこれと命を下しておる。


「分かった。引き続き役目に当たれ。ただし深入りするな。危うくなる前に退け」


 わしは越中と近隣におる忍び衆から報告を受ける。越中ばかりではない。越後、加賀、能登と近隣の大まかな様子を知ることが出来る。


 殿とお方様がたが十年の月日をかけて築いた目と耳だ。


 吉報もあった。能登畠山のお家騒動は今のところ落ち着いておることだ。さらに加賀も大きな動きはないらしい。


 兵たちには玉薬の調合と焙烙玉を作ることを命じた。飢えた一向衆どもには鉄砲と焙烙玉が必要だ。


「今のところは神保が優位か」


 神保はすでに挙兵して椎名方を攻めておる。守勢に回る椎名は越後からの後詰めを待つつもりのようであまり出て来ぬとか。


 無論、戦の勝敗が決まるほどではない。神保方は城を落とすよりも椎名方の村を襲い奪うことに熱心だ。飢えた一向衆もおる故、致し方ないのであろうが。


「儀太夫殿、少し良いか?」


 久遠家中の皆と集まった各地の様子などをまとめておると、斎藤孫四郎殿が姿を見せた。


「御用がございましたらお呼びくだされ。大将が軽々しく動くと士気に関わりまする。ここは越中。尾張と違いまする故に」


 わしに配慮をしてくだされたのであろう。感謝するが、今のうちに釘を刺しておかねばならぬ。


「そうであったな、すまぬ」


 孫四郎殿の話は領境のことであった。伯耆守殿は領境には手を付けておらず少し荒れておるらしい。神保は手を出さぬと明言したらしいが、領境のことは棚上げということで済ませたとか。


「捨て置くしかございますまい。我らで出張り守れぬこともございませぬが、それをやると神保と椎名の双方と争いになるやもしれませぬ。女子供を後方に退かせるくらいはしてもよいと思いまするが」


 武官衆と孫四郎殿は三河本證寺の戦訓もあって領境から退いて陣城、野戦陣地を築き守るかと考えておるらしい。


 悪い策ではないが、そこまでしてしまえば神保と椎名もこちらが戦に横やりを入れるのかと疑念を抱こう。


 さらにあの時とは情勢が違い過ぎる。三河本證寺の際にはすでに本證寺を潰すことを決めておった故、一旦退くことも出来たが、越中は今のところ所領を広げる気はない。


 動きたくても動けぬのだ。


「やはり、そうか」


 孫四郎殿としても武官衆としても、なにか動かぬと大殿の面目が立たぬのではという懸念もあるのであろうな。


「今しばらく待たれてはいかがでございましょう。越後の長尾もそろそろ越中に入ったはず」


 動いてもよいが、今はその時ではない。越後勢がどう動くか。確かめてからだ。


「ここだけの話でございますが、我が殿は長尾越後守殿を少し気にしておりました」


 恐らく知らぬであろうことだ。孫四郎殿に伝えると目を見開き驚いておる。甘く見ておるわけではあるまいが、やはり越後と上野で少し勝っておるだけの男だからな。


「まずは高みの見物と参りましょう」


 いかに見たとて織田の優位は変わらぬ。神保も椎名も長尾も、一度や二度の戦に勝ったとて疲弊して僅かな所領を得るだけだ。


 我らはひとまず旧斎藤領を掌握せねば。




Side:神保長職


 領内では飢えた者たちが怒りと不満を溜め込んでおる。その矛先がいつわしに向かんとも限らぬ。一向宗の坊主どもは己に徳がないことを棚に上げて人のせいにするのは得意だからな。


 我らは越後の長尾が来る前に、ひと暴れしてやろうと挙兵し椎名方を攻めておる。


 椎名は思うたよりも戦下手らしい。守勢に回りこちらが攻めると出てくるが、少し槍を合わせると退いてしまう。


 その勢いに乗った味方は椎名方の所領で暴れまわっておるわ。


「さすがは殿、お見事でございますな」


「左様、これでは椎名の首を取ることも容易いことでございましょう」


 不作があったことで苛立ちを溜めておったのであろう。家臣らは味方が勝っておることで気が大きくなっておると見える。


「気を緩めるな。父上の無念を思い出せ」


 多少ならば憂さ晴らしに騒いでもよいが、そのままの勢いで長尾まで軽んじられては勝てる戦も落としてしまうわ。


 それに……、今のところ動きはないが、能登や加賀がおかしなことをせぬとも限らぬ。椎名から奪い、飢えた領内を落ち着かせるのが此度の戦の狙いなのだ。


 まあ、あわよくば東越中を手中に収めたいところだが。そもそもわしは長尾如きが越中に手を出すことが気に入らぬ。あの不忠者の蛮族どもが。


 本来は守護家である畠山が越中を守らねばならぬというのに、畠山は越中のことなど二の次だ。畿内で騒ぐ三好にすら劣る有様。


同じ三管領家であっても斯波と大違いだ。武衛様の半分でよいので従う者たちのことを考えてくれればいいものを。


 畠山といい細川といい、三管領家は己がことしか考えぬ故に、臣下に見限られるのだ。


「それより斎藤はいかがしておる?」


「はっ、なんでも飛騨より兵が入ったとか。恐らく尾張からの兵と思われまするが……」


 やはり兵を寄越したか。織田は戦で所領を広げぬが、所領を攻められて大人しゅうしておることもない。


 一向衆を信じておらぬのであろう。織田は寺社に厳しい。


「誰が将だ?」


「はっ、斎藤山城守の次男とか。名を孫四郎殿と聞き及んでおりまする」


 同族を将としたか。


「間違っても斎藤方を攻めるな。仏は仏のままにしておけばよい」


「ははっ!」


 ろくに名を上げておらぬ斎藤一族を出したということは、表だって攻め寄せることはあるまい。


 仏の弾正忠は仏のままに。修羅にしてはならぬのだ。




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