第2415話・越中の様子
Side:忍び衆
越中織田領、飛騨と越中の街道沿いの村にわしはいる。村々を訪れては薬を見てもらいつつ村の者から近隣の話を聞いておるのだ。
「なあ、尾張は行ったことあるか?」
「ああ、よく行くよ。あの国は薬が良く売れるしな。薬の材料も手に入る」
殺気立つ他の地と違い、越中織田領はそこまで荒れておらぬ。面白いことはいずこに行っても尾張と織田様のことを聞かれることか。
斎藤家が織田に臣従したことで越中斎藤領が織田領となったことは知らせが届いたが、正直、あとはどうなっているのか村々には知らされていないからだ。
「なんで賦役をすると飯が食えるんだ?」
「さあ、わしに言われてもな。織田様の治めるところはどこも同じだ」
知らぬ者はなにも知らぬ。賦役で飯が食えることに不満などあるまいが、理解出来ない者はこの地に多い。
「神保様のところも椎名様のところも飢えているのに、ここらだけ食えるんだ。いいのか?」
いかな身分でも同じだが、力ある者や身分がある者から食える。弱い者、貧しい者は飢えるのだ。そんな当たり前のことが変わるのが織田様の地になる。戸惑うて当然だ。
「いいのではないのか? 飢えるよりはな」
新参の地はあれこれと勝手なことをする者がおるし、それはこの地も同じ。されど、領民を飢えさせるなと命じたことは概ね守られておる。
もっとも越中織田領でも、寺社領はまだ独立したまま故、別扱いなのだが。ただ、捨て置くと飢えるとのことで、斎藤の判断で領内にある寺社領の村にも賦役をさせて食わせているようだ。
他の地ではかようなことをしておらぬが、一向衆が挙兵したからな。致し方あるまい。
「神保様と椎名様が戦をするって聞くがなぁ」
思ったより越中織田領は落ち着いているな。これなら神保と椎名の争いに勝手に加わる者は多く出るまい。
とりあえず街道沿いが蜂起して退路を断たれることはないようだ。すぐに飛騨に知らせを出しておくか。
Side:忍び衆・その二
種まきを済ませたばかりの田んぼが荒らされ、村に火が放たれた。
「まるで悪鬼だな」
隣にいる男がその様子に呟く声が聞こえた。
戦とはかようなものだ。田畑を荒らして村には火を放つ。人どころか草木の欠片ですら奪えるものは奪う。
幸いか、村の者は逃げていて命までは奪われておらぬが、それも一時のこと。敵が引き上げたあとに村に戻っても家も食う物もない。
されど、他所の地に逃げるのも難しい。行き場もなく食うものもない。着の身着のまま村から逃げた者の多くは、安住の地を見つける前に行き倒れとなる。
「椎名方も出て来たな」
攻め手は神保方の土豪で、守り手は椎名方の土豪になる。なにかあるたびに小競り合いがある村同士だ。ようあることだが、此度は朝駆けとして出てきた神保方に椎名方は出遅れたことで村を焼かれた。
村にあった食い物と種籾の残りなど僅かな奪えるものを奪った神保方は、椎名方が出てきたことで退いていく。
途中で一当てするように両者は槍を交えるが、双方ともに深追いすることはない。此度は神保方が勝ったと言えるか。
もっとも、ここしばらくはかようなことがあちこちで見られる。明日には椎名方が神保方から奪うだろう。
領内では、尾張どころか甲斐や信濃でもかような争いは見なくなった。されど、この地は昔と変わらぬままだ。
「誰も弱き者に見向きもせぬな」
「当然であろう」
焼かれた村には、逃げ遅れた神保方が倒れておる。恐らく助かるまい。せめて我らくらいは冥福を祈ってやろうと手を合わせる。
飢饉の責は誰にあるのであろうか? 当地を治める者か、寺社か、それとも朝廷か? かの者らのために弱き者は死ねというのか?
この世は地獄ではあるまいか?
「行こうか」
「ああ……」
せめて成仏してほしい。僅かな祈りを残して我らはこの場を去る。守らねばならぬのだ。我らの国を、我らの主を。
地獄を照らす唯一の光明を守らねばならぬ。
なにがあろうとな。
Side:久遠一馬
今日は教導、いわゆる若い子たちの指導をしているジュリアと武田家の飯富さんと話をしている。織田家中の若い子たちの意識、価値観、そこらがどうなっているか確認するためだ。
「上野のことも越中のことも侮る者が増えているよ」
ジュリアの言葉に、オレとエルたちも資清さんたちも渋い表情をしているだろう。織田家という巨大組織に属して新しい価値観に慣れた者たちの中には、旧来のまま争う者を侮る者が増えている。
それもまた世の流れのひとつであり仕方ないことは理解しているが。
飢饉の際に身分の低い者が食べる薄い雑炊を食べる日を設けたり長距離の行軍をやらせたりと、試行錯誤はしていて一定の効果を上げているけど。
ただ、結局のところ上か下かで世の中や人を見る者たちは、争い飢えている地を上と位置付けてみることはない。
「致し方ないところがございます。控えめに申し上げても御家に勝る者は他国におりませぬ。それで侮るなというのは無理というもの」
少し言葉が途切れると飯富さんが口を開いた。割と現実的な人なんだよね。だからこそ体裁などではなく現実を教えることに掛けてはスペシャリストだ。
そんな飯富さんをもってしても仕方ないと言わしめるのが、今の織田と他国の格差だ。
一致結束とまではいえないかもしれないが、領内のみんなで国を良くしていこうという意識はある。その反動だろうね。威張ってばかりいる朝廷や寺社の犠牲になりたい者はいない。
高貴な血筋や氏素性があるだけで配慮したいと思う者は年々減っている。
他の勢力、朝廷や寺社も助けてやらないと駄目だと思う人はいるけどね。まあ、それもどっちかというと上から見ている人が増えている。
古い権威、昔からあるから価値があるのか? そんな元の世界であったような疑問が若い武士から普通に出ることもあるのが今の尾張だ。
権威の価値が暴落し、権威に対する信頼が薄れている。朝廷の失策と、オレたちが寺社の内情を暴いたことが大きなきっかけだろうね。
はっきり言うと織田領では商人とか村のまとめ役ですら、領外が負担でしかないと気付く人がどんどん増えているんだ。
その分だけ、同じ領内、とりわけ同じ村や近隣の村とは助け合うようになった部分が多い。よく分からない寺社に寄進するくらいなら、その負担で近隣同士で助け合おうと考える人は今も増えているんだ。
神仏と寺社と坊主は別物。オレたちが言い始めたことだが、その価値観の結果、多くの人が、国家を左右するような寺社が特定の身分の利権の温床でしかないということを知ってしまった。
当然、そんな寺社の負担は負いたくないのが人というものだ。
越中の一向衆に対する好意的な意見、織田家中だとほとんどない。三河本證寺と同じく潰したほうがいいという意見が多いくらいだ。
過去の歴史や誰が悪いとかそんな話じゃない。今とこれからの自分たちに必要かと言われると、一揆を起こす連中は要らんというのが織田家の本音になる。
神保家には思うところがないんだけどね。織田家だと寺社と組んで兵を挙げるのはいい印象がない。そういう意味でも家中は長尾寄りの人が増えつつある。
なかなか難しいね。
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