第2413話・越中では
Side:神保長職
「とのー!! 一大事でございます!!」
陣触れを出しておるとはいえ、無作法のまま慌てておる家臣に苛立ち嫌悪しそうになる。常日頃から、日々の振る舞いには気を付けるように言うてあるのだが……。
なにがあったか知らぬが、慌てるなど愚か者のすることだ。戦の士気に関わるではないか。後できつく叱っておかねばならぬな。
「何事だ、騒々しい」
椎名が動いたか?
「城生の斎藤! 織田に降ったとのことでございます!! 所領一切を織田に献上した故、今後は戦に関わることは清洲に使者を出すようにとの使者が参りました!!」
なっ……なんだと!? 少し震える家臣が差し出した書状の中を確かめる。
偽物ではないかと疑うところもあるが、そうとは見えぬ。
「領境は、いかがなるのか使者に問え!」
噂には聞いておった。織田に降る者は、戦をすることもなく周囲が気付かぬうちに話をして降ってしまうのだと。事実ならば、斎藤には手を出せなくなる。
仏の弾正忠。尾張と近隣では生き仏の如く祈りを捧げる者が多いという。昨年あった公方様の婚礼の際に近江で挨拶だけはしている。
戦をせずに領国を広げる様は、まさに神仏の如くと噂されるほどだ。裏切り裏切られ親子であっても戦をする世において、戦をせずに国を広げるは人の技とは思えぬ。
寺社ですら武威で国を広げる今の世において、慈悲で国を広げる武士。話半分でも戯言かと一笑に付したくなるが、織田はまことに戦をせずして国を広げておる。
斎藤は織田に降った美濃の同族から随分と助けを受けておったはず。事実であると見るべきか。
されど飢饉となり、戦をせねば領内が荒れるという時に左様なことをするとは……。斎藤領はそこまで飢えておらぬのであろうか?
近江や尾張は三国同盟により豊かになったようだが、越中は何一つ変わらぬ。わしの所領など、一向宗の坊主どもが己の国のように振る舞う。
神仏の名を騙る強欲な坊主どもめ。なにかあるたびに、かつての一揆をちらつかせて己らの思うままにしようとする。
あ奴らのせいでいかほど国が荒れたか。
「まあ、よい」
もとより織田と誼がある斎藤は、此度は捨て置くつもりだったのだ。口減らしに椎名と戦をして、あわよくば所領を広げればよい。こちらとしては一向衆が減れば、それだけ楽になる。一向衆と椎名をぶつけてやるわ。
長尾が出張って来るかもしれぬが、奴は上野ですら勝ちきれぬ程度の男。不利となれば籠城してしまえばいい。所詮は下剋上ばかりしておる長尾風情よ。恐るるに足らぬわ。
戦の行方次第で、父上の墓前に景虎の首でも捧げたいところだが……。
Side:久遠一馬
早植えをしている田んぼの田植えが済むとホッとする。
清洲からは越中に派兵する者たちが出陣した。あくまでも越中領を防衛するための軍であり、今のところはそれ以上を予定してはいない。
越中に必要な物資は今も連日輸送していて、費用は決して安くはない。ただまあ、仕方ないね。
この日は、春と秋の代理についてみんなで話している。結局、シンディとリンメイが行くことになったのでその調整だ。
オレとふたりの子である武尊丸と武鈴丸は同行しないことにした。母親と一緒のほうがいいかなと思うところもあるが、数えで七歳。やんちゃな頃だということもあって、とりあえず二人で向こうにいってもらい様子を見ることになる。
ちょうどいいので、那古野の屋敷で他の兄弟や姉妹と一緒に過ごしてもらうのも悪くないだろう。
近江の情勢は安定しているが、それでも尾張よりは危険だという判断もある。
「夏と冬が引き続き役目に当たるから大丈夫だと思うけど……」
本音を言えば少し心配なところがある。春たちも相当苦労をしていたからな。
「大丈夫ですわ」
「そうネ。今までを引き継ぐだけネ」
足利政権のサポートは徐々に減らしていきたいんだけど、春と話すと当分無理だという答えが返ってくる。
朝廷や畿内とは表向き争っていないが、別のことを始めたのは、最早、隠しようがない。畿内に対抗出来る存在が要る。春たちがその役目を担っていたんだ。
蟹江に晴具さんがいるのと同じようなものだろう。そこにいることに大きな意味がある。権威であり象徴でもある。
残念ながら朝廷の権威に対抗出来る存在はオレたちだけだ。それはオレの意思ではなく周囲がそう見ている。オレたちがいることで足利政権は変わろうとしてみんなで働けているんだ。
手を引くと、また揺れて荒れるだろう。
「大丈夫ですよ。この十年は私たちにとっても大きな財産となります」
エル……。確かにそうかもしれない。シンディは妻たちの中では一二を争うくらいいろいろな人に会っている。リンメイもまた初期の頃から津島にいたことで職人や武士と共に働くことに慣れているんだ。
昨年、御所のお披露目をした足利政権が今年揺らぐことはあってはならない。
それもあって春たちと対策を相談していて、この機会に足利政権の体制をもう少し整える方向で調整しているんだ。オレたちが言えた義理じゃないが、足利政権もまたこの時代らしい形で個人の才覚や一族一門の力に頼り過ぎている。
奉行衆は増員予定だし、そのために織田家中で足利家に仕えた過去がある北伊勢にいた元奉公衆などの家から人材を派遣することになっている。
法治国家なんて夢のまた夢だけど、人員を増やして少しでも特定の人に頼らない形にしないといけない。
増員予定の人員を選んだのは織田家だが、シンディとリンメイも加わっていたんだよね。家柄や人柄や能力を確かめるなど、結構大変だったと聞いている。
「北伊勢の奉公衆だった家の者は、世の流れの速さに戸惑う者もおりましたわ」
「だろうね」
シンディの言葉に苦笑いが出てしまった。
あの人たちは一揆で所領を失ったうえ、織田には従えないと騒いだものの、六角からも晴元からも見捨てられたからなぁ。諦めて織田に降って、逆らえないからと仕えていたのが本音だろう。
年月が過ぎた今、近江に派遣する人を選ぶ際には過去の立場が選定の条件のひとつになる。真面目に働いているところでは当主は織田家に仕えつつ、一族が警護衆として近江に出仕しているところがある。
今回、さらに奉行衆として出仕することになると、かつてより多くの者が足利家に仕えるなんてこともあるだろう。
かつてほど独立した立場ではないものの、気が付くと中央での立場を取り戻していて、伝え聞く奉公衆より忙しいなんて話もあるくらいだ。
ただ、ほんと真面目で意欲がある人はどんどん使っていかないと。家督を継げないからって腐らせている余裕はない。
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