第2411話・十一年目の会談

Side:滝川益氏


 越中か。まさか、わしが出向くことになろうとは。


 あいにくと越中のことはよう知らぬ故、すべて頭に叩き込むべく学んでおるが。殿が難しいとおっしゃられた通りだと理解した。


「……地獄のような国でございますな」


 今日は清洲におられた山城守殿より教えを受けておるが、正直、此度ばかりはいかになるか分からぬほどだ。つい本音が漏れると山城守殿はさもありなんと頷かれた。


「いずこの国でも争いはあったがの。越中も負けず劣らず争いを繰り返しておる。あの辺りには因縁も多くあっての。越後守の祖父が越中一向衆との戦で討ち死にしておる」


 因縁か。山城守殿の言葉に返す言葉が出てこぬ。


「わしなどが言わずとも分かっておろうが、この争いは長尾と神保では終わらせることが出来ぬ。此度は無事にやり過ごしたとしても、必ずまた荒れる。それとな、越後守は信じるに値する男かもしれぬが、あの手の男は思わぬことで足を掬われることがある。努々気を付けなされ」


「と申されますると?」


「報告書を見た時に思うたのじゃ。気難しいところがあり臣下すら胸の内が分からぬと噂があるとか。どこか世捨て人のように世を見ておるところがあるのではと見えた。誰かを騙し討ちにすることはなかろうが、あの男を信じても世が治まるとも思えぬ。信義は重んじておるが、それ故にあまり損得や後先を考えて動くようには見えなくての」


 なんとも難しき男だということか。そういえば、上洛の最中尾張を通りかかった時に殿が気にされた数少ない男が越後守殿だったはず。


「信義は大切じゃ。されどの、信義を守ることで世が荒れることもある。内匠頭殿のように信義を守りつつ世を鎮める者などわしは他に知らぬ」


「越後守殿の信義が越中をより荒らすと?」


「かもしれぬというだけの話。年寄りの戯言として、そなたにだけ伝えておこうと思うてな。これは倅らには言うておらぬ。そなたならばこそ言うたまで」


「お言葉、胸に刻んでおきまする」


 越中斎藤の旧領を守るだけで済まぬのかもしれぬな。


「内匠頭殿があまりにも容易く争いを収めてしまう故、そなたも実感が持てぬところがあろう。越中ではまことの地獄を見るやもしれぬ。わしや大殿が若い頃の世が見られるはずじゃ。されど、そなたならば道を誤るまい」


 それは過ぎたるお言葉だ。わしは所詮、甲賀の土豪の出。殿やお方様がたの教えのままに今があるだけの身なのだ。


 されど、やらねばならぬ。越中でしくじると関東と奥羽が荒れることになるやもしれぬのだ。




Side:久遠一馬


 越中に関しては、やはり不作が結構深刻らしいね。史実で武田信玄が暗躍した結果の戦だったので、代わりの理由があるのかと思ったが。


 史実との違いは、北陸一帯は尾張産の品物が高い地域でもあることか。敵対はしていないが値段が下がる要素もない。


 結果、欲しい品に対して足りない払いは最終的に価値がある銭か米になるが、あの地域も銭の質が良くないことで銭の交換比率が良くないらしい。また、銭がなくなると困ることもあって米を支払に充てている。


 史実の経済状況がないのでなんとも言えないが、史実よりも米が流出しているのではとの予測がシルバーンからあった。


 あと、この時代でも有数の厄介な地域である越中と加賀、あの辺りは足利政権とか三国同盟の恩恵があまり届いていない地域になる。一向衆が好き勝手している国に好き好んで関わる人がいないし。


 そんな格差、世の中の壁が越中を史実と同様に動かしたのかもしれない。


 今日、オレは願証寺の高僧と会っている。越中の件で意見交換をしているんだ。こっちにあまり入って来ない越中一向衆の様子を断片的ながら教えてくれている。


 願証寺に関しては半独立した立場なので、越中の一向宗と繋がりがあまりないらしいけどね。織田家の政策の影響とかもあって形式として石山本願寺の傘下にいるが、本願寺の統制は受けていない。


 入手出来る情報は限られているそうだ。


「あの一帯の因縁と現状は目に余るものがございます。されど、困ったことに誰も解きほぐせぬまま争いが続くばかり……」


 願証寺としても、ほんとどうしようもないという感じだね。言葉を選んでいるが、もう関わりたくないという本音が見え隠れする。


 当然だろう。この世界の長島願証寺は、寺領もなく織田の治世で順調に生きている。もともと戒律などなかったことが幸いしている。


 他宗派が戒律を守らないと武士や領民から批判される中、一向宗は妻帯も肉食や飲酒も隠す必要がないので織田の治世に合っていると言ってもいい。


 無論、贅沢をし過ぎたりすると批判されることもあるが、節度を持っていれば一番困らないからね。


 戻りたくなどないだろう。越中や加賀のような立場に。


「こちらとしても深入りするつもりはありませんね。過ぎたことをどうこういうのは好きではありませんが、あの一帯は石山本願寺が責を負うべき場所。生かすも殺すも石山本願寺次第かと」


 織田が本腰を入れて越中と加賀のために動くなら、協力するつもりはあるようだ。ただ、自ら動いても三河本證寺の時のようにいい結果にはならないと思えるらしい。


 願証寺自体が、既得権を放棄してまで織田の治世で生きている以上、同門とはいえ他国の寺のために命を懸けて動くことはない。


 あの頃は願証寺の立場も危うくなるとの懸念があったが、正直、越中と加賀がどんなに馬鹿なことをやっても今の願証寺は関係ないからと生きていける。積み重ねた信用の大きさが彼らにとって財産なんだ。


「お望みとあらば越中の同門の寺に使者を遣わしまするが……」


「それには及びません。私は三河本證寺の時になくなられた本願寺と願証寺の僧侶のことを忘れてはおりません。二度と願証寺から、かの者らのような犠牲が出ないようにしましょう。守るべき者たちは守ります」


 提案は感謝するが、今のところわざわざ願証寺のお坊さんを危険にさらすメリットがない。三河本證寺の戦訓を生かさないといけないんだ。


「……左様でございますな。そう言うていただけると亡くなった者たちも喜んでおりましょう」


 高僧は少し驚いた顔をして目を閉じ、誰かに思いを馳せるような様子でうつむいた。


「共に学んだ友があの地で眠っておりまする。それを思い出してしまいました」


 本證寺の跡地には公園を整備して、あの一件を記した石碑が建てられている。今でも願証寺では法要を営んでおり、織田家やウチからも人を出して当時なくなった人を供養している。


 越中の民も可哀想だと思うが、その手に武器を持って奪う選択をした時点で、彼らは奪われる側になる覚悟がいる。


 それはオレたちも同じだけどね。


 願証寺から犠牲者を出さない。それもオレにとって重要なことだ。


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