第2407話・若御所様のお昼

Side:北畠具房


 釜の蓋を開けると、米の香りがする湯気が広がる。


 そのまま炊き立ての米を椀に僅かによそい、ほんの僅かだけ待ち味を確かめると笑みがこぼれる。


「分かっておったことだが、こうして食べ比べると米の味がまったく違うではないか」


 織田領のみで作っておる米だ。他家多領の米より育てやすく採れる米も多いと聞き及ぶが、これだけ味が違うと他の米が不味く思えるほどだ。


 まあ、織田は米ばかりではない。塩も他の品と違う。特に上物の塩はあまりの美味さに驚いたほどだ。


 この米と上物な塩で握り飯を作ると、それだけでよいと思えるほど美味い。


 飯を握る力加減は強くても弱くても駄目だ。米を潰さぬようにしつつ崩れぬように握らねばならぬ。


 握り飯を作りつつ、領国に思いを馳せる。北畠の領国でもこの米が育てられれば……。


「難しかろうな」


 そこまで考えたが、北畠とてすぐには無理だと分かる。織田領では、この米は内匠頭殿がもたらしてくれた宝であると言う者すらおるのだ。他国にはなにがあろうと渡すなと、皆で守ってきたものだからな。


 ここ数年で伊勢も変わった。わしが気付いたのはいつ頃であろうか? 院の御幸があった頃であろうか。


 父上と違い、御所から出ることすら稀であったからな。気が付いた時には世が変わっておった。


 織田の名は知っておったが、よう聞かれるようになったのはここ十年ほど。面白いもので当初は陰口が多かったというのに、いつの間にか織田と共に近江以東を守らねばと皆が言い始めた。


 公卿家である北畠家はそこらの武士と違うのだと、見下しておった者らが心から尾張から学ぼうとする姿には驚きを通り越して信じられぬところもある。


 朝廷に尽くしていた北畠が朝廷に兵を挙げる。祖父上は、その一言で北畠を変えた。


 斯波や織田のためではない。次の世のため。子や孫のため。そう言われたことで否と拒み謀叛を起こす者などおらぬ。


「よし、出来た」


 塩むすびだ。我ながらいい出来だと思う。竹皮で包むと供の者らと蟹江の屋敷を出る。


 屋敷の外は多くの者で賑わっておるな。ここでは領国の御所のように周囲の者が慕ってくれる。顔馴染みの者も出来た。左様な者らと挨拶をかわしつつ海へと行く。


「今日も海は変わらぬな」


「はっ、相も変わらず多くの船でございまする」


 港に入ると、海が間近に迫ったところを歩き邪魔にならぬところで腰を下ろす。


「さあ、食え。今日の出来は一際いいぞ」


 自ら炊いた米で作った握り飯を皆に配りて食べる。ただ、それだけのことだ。


 わしは伊勢に生まれながら、己が目で海を見たのはつい先年のことだ。初めて海を見た時は、なんと広く果てない海なのだと驚いたな。


 尾張にて食い過ぎを諫められ、美味い物が食いたいならば自ら料理をするようにと教えを受けて以降、飯を食う場をいかにするかも考えるようになった。


 今日のようにお天道様が見えて雲一つない日は、海を見ながら握り飯を食うことがなにより好きになった。


「うむ、今日の握り飯はよう出来たわ」


 ただの塩結び。されど、それが美味い。やはり外に出ることはよいの。この風に乗って遥か唐天竺まで行ってみたいものだ。




Side:季代子


 八戸根城は少しバタバタしている。シャーロットと愛美まなみが乗った船が到着したようね。


 私たち久遠の女衆には過剰な出迎えや歓迎は不要としているけど、それでも宴の一席くらいはと支度をしている。


 斯波家はともかく、織田と久遠が奥羽にとって余所者であることには変わりない。もっとも今はその批判が聞かれることはほぼなくなった。


 理由は昨年秋の不作を原因とする飢饉よ。関東よりはマシだけど、場所によっては相当厳しいところもあったわ。過疎地だけあって騒がれることはなかったけど。


 私たちが蝦夷から運んだ芋や穀物、それとここ数年で貯めた食料をそれらの地域に配布したことで、概ね飢えないように出来ている。その成果がなにより大きいわ。


 畿内の寺社が強訴もどきをした寺社を見捨てたことと、食料を配って食わせたことで僅かに残っていた反抗的な寺社ですら態度を変えつつある。


 あと一年、もしかすると来年の秋くらいまではこの状態が続くかもしれない。計算上は飢えないで食わせていけるはずなんだけど……。


「いや~、八戸も思ったより賑わっているじゃない。ただ、この城、ちょっと美しさが足りないけど」


 到着したシャーロットの第一声に苦笑いを見せたかもしれない。生きるのに必死なこの地で城の美しさを語るのは彼女が初めてね。


「実務的な城ということでしょう。それを加味しても少し手狭なようですが……」


 愛美の言うとおりね。広がった奥羽領をまとめる城としては少し手狭となっているわ。これでも八戸湊と周辺は数倍に拡大したんだけど。


 伊達が片付いたら、私たちはもう少し南下して拠点を移すつもりだから、城をあまり大きくし過ぎるのもね。


 ふたりが乗って来たのは移動用の速鰐船、元の世界でいうところのクリッパーになるわ。無論、荷も運べるから開いているスペースにいろいろと運んできてくれたみたい。


「歓迎するわ。ただ、奥羽では城から出る時は護衛を増やさないと駄目だから、そこは我慢して。八戸の外に行く時は五百の兵もつく」


 シャーロットが明らかに嫌そうな顔をした。私は慣れたけど、慣れないと息が詰まるのよね。


「なんとかならないの? 私たちなら大丈夫だけど」


「無理よ。奥羽も不作の影響で少し不穏だし、それにふたりに兵を付けないと他の人が来た時に困るから。その代わり、兵はこちらの子飼いにしたから。そこまで気を使わなくていいわ」


 八戸には蝦夷など久遠領から選抜した二千の兵が今も常駐している。彼らは日ノ本の民ではない久遠の兵になるわ。その一部をふたりに付けることにする。


 正直、私たちなら少数精鋭でも安全なんだけどね。他の武士とか僧侶とかも来ることがあるし、彼らには相応の兵を付けているわ。女の私たちが要らないと言って、武士に兵を付けると外聞が良くないし。そこは諦めてもらわないと。


「ふーん、まあいいわ。そろそろ、この地の視察はしないといけないし」


「とりあえず今日はゆっくり休んで」


 どう取り繕っても過疎地なのよね。やれることは山ほどある。ただ、私たちは専門じゃないし、今までは無理をさせない範囲でやっていたんだけど。


 ふたりなら変えられるかもしれないわね。



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2024年9月20日 12:01 毎日 12:01

1558年~・戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。 横蛍 @oukei

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