第2406話・清洲城でのこと

Side:イザベラ


 長尾が越中に兵を出すという知らせが届いた。こちらを攻めてくるとは思えないけど、念のため越後と越中との領境にあるところは警戒する必要があるわね。


 甲斐の武田じゃないけど、関東とか甲信越地方は畿内よりもやりたい放題なところが多い。畿内ではやらないような非道なことをしても、力があれば生きていけるから。


 長尾景虎。そんなこの地において彼は義将と言われるほどにまともなのよね。畿内を中心としたこの時代の価値観では。ただ、問題はまともなのが彼くらいだということ。


 村単位では、領境での小競り合いは今でもある。織田の地とそれ以外の地は物価どころか生死を分けるラインになるところだってあるから。他人の領地に恵んでやるほどこちらも余裕はないし、やられたらやり返す。


 越後と越中のあたりも、昨年の秋の米の収量は良くなかったことが分かっているわ。実は信濃もそれは大差なく、作物転換で増やした粟や稗などと織田領全体としての食料確保で助かっているだけのこと。


「お方様、仁科三社に動きはございませぬ。また当地での三社の世評は良くなく、仮に動こうとしても、もとあった寺社領ですら従わぬかと……」


 信濃望月家一族である者の報告に安堵する。仁科の地は信濃の北西部にあり越中が近いのよね。これもそこまで警戒しているわけではないけど、越中で騒動が大きくなると動くことも考えておかなくてはならない。


 さすがに堂々と挙兵はしないでしょうけど、陰でこそこそと動くくらいはしそうなのよね。内部にはそれだけ不満が溜まっている。


「ご苦労様、引き続き三社からは目を離さないで。おかしな動きがあったらすぐに当地の代官に知らせること」


「ははっ! 畏まりましてございます!!」


 仁科家が尾張に行った代わりに仁科の地の代官となったのは、尾張者なのよね。これ以上あの地での騒動は御免だということ、三社への監視もあって尾張から遣わされた代官になるわ。身辺に気を付けるようにと書状を出しておかないと。


 大丈夫だとは思うけど。長尾景虎は戦好きで戦に勝つことに関しては天才的でも、戦略的に勝てる人物ではないわ。別に非難する気なんて更々ないけど、彼の従える越後と東越中の者たちが勝手をしてこちらに火の粉が降りかかると困る。


 隙を見せないようにしないと。村上殿にも越後を警戒するように知らせを出しておきましょうか。




Side:久遠一馬


 念のため越前の朝倉義景さんに書状を出した。越中が動くというものだ。向こうでも知っているだろうが、こういうやり取りから情報を交換して相互理解は深めておかないといけない。


 まあ、越前が荒れるほどではないだろうが、加賀相手に隙を見せないくらいの動きをしてくれるとこちらとしても助かる。


「あ~! かじゅ!」


 嬉しそうに声を上げた岩竜丸君の様子に思考を一旦止めた。義信君の息子である岩竜丸君も一歳半となり元気いっぱいだ。


 清洲城内を見て回り、いろんな人に声を掛けるのが好きな子だ。赤ん坊の頃から会っていたせいか、オレのことを覚えてくれている。ウチの子たちもそうだけど、世話をしたり遊んだりしてくれる人たちのこと、ちゃんと覚えるんだよね。


 育て方は尾張流だ。傅役と乳母はいるが複数で交代制になっていて、義信君たち夫婦も子育てに参加している。


「岩竜丸様、今日も暖かくていいですね」


「あい!」


 岩竜丸君、ロボ一族の犬を一匹連れている。斯波家に送られたゆかりの子なのだと思う。斯波家に送られたさんと紫は、それぞれに伴侶を得て子供を儲けていて織田家中とかに貰われている。


 元の世界でいう柴犬なんだけど、飼育方法が違うからだろうか。それともロボとブランカの血を受け継いだからだろうか。相変わらず人懐っこいところがある。元の世界でいうと柴犬というよりは洋犬に近いかもしれない。


「少し休憩にしようか」


 岩竜丸君たちが遊んでと言いたげな様子で部屋に入って来たので、休憩にする。なにが言いたいのか半分分からないこともあるが、身振り手振りを交えてあれこれとオレに伝えようとしてくれる。


 うーん、これは……。


「ああ、先日の絵本の真似をしているんですね」


「あい!」


 なるほど。実は先日、岩竜丸君にいくつかの絵本を贈ったんだよね。そのうちのひとつ、警備兵の仕事の絵本を真似していることが分かった。


 どうも場内の見回りをしているらしい。


 警備兵や火消し隊、それからレスキュー隊である雷鳥隊など、まだまだどういう仕事をしているか領国によっては知られていないんだ。そんな彼らの仕事を知ってもらうための紙芝居と絵本がある。


 少し早いかなとも思ったけど、岩竜丸君にも彼らの仕事を教える絵本を届けたんだ。どこまで理解しているか分からないが、今は楽しみつつ親しんでくれればいい。


「若様、お役目の邪魔になるので、そろそろ参りましょう」


「やだ!」


 興奮しているのではと思うくらい楽しげな岩竜丸君だが、オレの仕事の邪魔になるのではと連れ出そうとした乳母さんに手足をバタバタさせて抵抗していた。


 うーん、乳母さんが困っているなぁ。


「あとで城内の子たちと一緒に庭で遊びましょう。それまで待っていてください」


 抱っこをしてなだめてやるものの、あんまり理解していないね。今すぐ遊びたいのかもしれない。ただ、仕事を先に片付けないと皆さんに迷惑が掛かるからなぁ。


 結局、岩竜丸君は乳母さんに連れられての退場だ。


「幼子というのはいずこも変わりませぬなぁ」


 史実で長束正家の父親だった水口さんは微笑ましげしていた。彼も、いつのまにかウチでは古参と言われるようになった。忍び働きより文官に適性があったことで、商務の役目の中核を担うひとりだ。


 すでに嫡男となる子供がいる。史実の正家の生年として伝わる年より早く生まれた子だ。まあ、彼に限らず、史実の生年とズレる子供は結構多い。織田家だと状況も違うからね。


 水口さんとは、一緒に子育ての苦労を語ったりするくらいには親しい。オレは商務総奉行以外の相談事とかも受けているが、あれこれと仕事が出来るのは水口さんたちが商務の仕事を支えてくれるからなんだよね。


 ウチに来た当初、御家再興をしたいと言っていたが、既に昔の所領など物の数ではないくらいの俸禄となっている。


 所領を失ったあとに離れた一族や家臣もほとんど戻り、ウチで働いてくれているからね。いろいろ思うところはあったようだが、助けを請うように戻った者たちを水口さんは再び召し抱えた。


「わがままを言って、叱られたりするくらいでいいんだと思う」


 尾張だとあまり気にする人いないけど、近衛さんと山科さんは尾張の子育てが畿内と違うことを危惧していたことをふと思い出す。


 別に今の尾張の子育てが最善とは思わないが、親子兄弟で争うよりはマシだと思う。申し訳ないが、朝廷ゆかりの方法では家督継承出来ない子どもの生きる道があまりに厳しすぎるし。


 あちらに配慮して、子供たちを不幸にすることだけはしたくない。



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