第2405話・動けぬ織田

Side:織田信長


 越中で戦が始まるとの知らせに、急遽評定が開かれた。


 臣従が昨年の冬だったこともあり、越中斎藤領は検地も済ませておらぬ地だ。武官を遣わして玉薬など送っておるとはいえ、あそこでは織田の戦は出来まい。


 奉行からの報告を聞きつつ思案する様子の親父は、静かに地図を見ている。


「越後と越中か。越後は下剋上が多い地と聞き及ぶが……」


 あの辺りは雪深く米も多く採れぬ。正直、あまり利になるような地ではないとか。北の海路を久遠で押さえたことで、長尾が大人しいとも考えられる。あの海路を止めると東国の多くが困るとさえ言われるからな。


「わしも人のことを言えぬが、守護が務めを果たさず国が荒れる。一馬たちが来る前を思い出すの」


 確かに……。守護様のおっしゃる通りだ。越中の隣は一向衆の国、加賀だ。越中はかつての尾張に少し似ておるか?


 尾張は伊勢守家と大和守家で分かれていて、三河と尾張と伊勢の境である長島には一向衆がいる。成り行き次第では、尾張とて越中のようになったのではあるまいか?


「守護が治める形そのものはそこまで悪くないんですよね。ただ、この件は元を辿れば朝廷や寺社が絡むので……」


 言葉を選びつつ語るかずの様子に、同席する者たちは押し黙ったままだ。今までの武家の政は朝廷の政の真似事だからな。さらに一向衆は寺社の堕落と増長が根源にある。


 これに口を出せるのは、己が力で今の地位を得ているかずくらいであろう。


「一馬、越中のことはそこまで懸念はないと思うが? 神保では長尾に勝てまい。懸念は一向衆か?」


「はい。越中と加賀の一向宗は石山の命でさえ従いませんし。さらに加賀と越中の一向宗は不仲です。かつての願証寺と本證寺のようなものでしょう。そこを加味しても半端に手を出すと面倒になります」


 孫三郎叔父上とかずの懸念はやはり一向衆か。


「また寺社か」


 誰かの言葉が聞こえ、評定衆の数人がうんざりだと言いたげな顔をした。昔は皆、表向きとして寺社を立てていたが、近頃では本音を隠さぬ者が増えた。


「北畠と六角がお味方でよかった。奥羽と関東、北陸で戦になっても西は憂いない。両家がおらねばいかがなっておったのやら」


 左様に容易い状況ではないが、かずは戦を広げるのを嫌っておるしな。とはいえ北畠と六角のありがたみはよく分かる。もしおらねば朝廷や叡山は我らを潰さんと動いたのかもしれぬな。


「長尾は神保には勝てよう。斎藤領以外は関わりのないところだ。こちらは関東から目を離せぬ。奥羽に飛び火したら厄介だ」


 評定衆からはあれこれと意見は出た。もう斎藤領を明け渡してしまえという意見すらあったが、さすがにそれは出来ぬ。斎藤領の者は織田に従うと喜んでおるくらいだ。


 もっとも親父は、斎藤領以外の越中を長尾にくれてやることにしたらしいが。


 まずは季代子らがおる奥羽だ。あの地をなんとしても落ち着かせねばならぬ。




Side:久遠一馬


「頼もしくなったね」


「ええ、今は織田家として皆で動けています」


 評定が終わり、城内にあるオレたちの部屋に戻ると一息ついた頃。オレたちはかつて三河本證寺と争っていた頃を思い出してしまった。


 あの頃はオレたちがいろいろと動かないと危うい状況だった。開戦前から一向宗の影響を落とすべく動き、ウルザたちは最前線に赴いた。


 それと比べると、皆さん、それぞれの役目と立場から動いていて安心感がある。


「懸念は寺社だよなぁ」


「一向衆の拡大と暴走は世の中への不満ですから」


 確かにエルの言う通りなんだろう。宗教論を語ってもきりがないし答えなど出ないだろう。重要なのは一向衆が今この時代に勢力を伸ばして暴れている原因だ。


 政治の乱れや飢えなど、政治の問題も大きいんだと思う。朝廷を頂点とした権威政治も欠点だろうか。無論、利点もあるし、この時代のように飢饉が頻発する時代でないならば、また違ったのだと思うが。


 今回、越中の騒動で鍵を握るのは長尾景虎だ。彼は元の世界で義将と呼ばれそれに相応しい男だったことは確かだと思う。問題なのは、そんな彼ですら見ているのは身分ある人だけだということだ。


 あまり語られることはないが、出稼ぎとも称する史実の上杉謙信の関東遠征では多くの民が命を落とし奪われた者は飢え虐げられた事実がある。無論、北条方も戦となると同じことをした。


 まあ、史実の上杉と北条のどちらがいいかという問題ではない。両者ともにそれぞれの理想と目的のために戦ったと歴史として評価するべきなのかもしれない。


 ただ……。


「奪い奪われ、荒れるだけの戦が始まるのかな」


 非難してはいけないことだ。こちらはこの時代にはない技術や知識を使っている。それがない長尾や越中の者たちは今ある現実の中で生きるのに必死なだけだ。


 少し胸が痛くなるね。元の世界の価値観なんてしばらく思い出すこともなかったが、頭の中を整理すると思い出してしまう。


「北条は十年もの時をかけて織田に学び、飢えに備えておりましたからな。越中と越後はそれをしておりませぬ。某は情けを掛けるべき相手とは思えませぬ」


 オレもエルたちも少し沈んだ顔をしていたのかもしれない。強く武士らしい顔をした資清さんにはっきり言われてしまった。もう何年も戦場には出ていないのに、こんなに武士らしい顔をするのはいつ以来だろうか?


 本当、普段は目立たないように助けてくれるのに、必要となれば自ら意見を言ってオレたちを支えてくれる。


「北条は幻庵殿がいるからね」


 しばらく会っていないが今も文のやり取りはある。元服前に新九郎君を連れてきた幻庵さんの英断があって北条は多少なりとも変われた。


「越後守殿は強すぎたのかもしれないわ」


 静かにお茶を飲んだメルティの言葉が現状なのかもしれない。確かに彼は強い。戦というか精神というか。オレたちの影響で変わりつつある世でも、相応に合わせて動けている。己の力と考えで。


 まあ、そういう意味でいうなら、幻庵さんの行動力と友好関係に舵を切った読みが凄すぎたというべきかもしれないが。


 景虎は乱世の武将としては素晴らしいが、政治家としては少し疑問符が付くからな。


「今年の作物の収量次第では、関東は荒れまする。もし昨年と同等かそれ以上に飢えれば……」


 望月さんはすでに最悪を想定して関東での情報収集を強化している。商人や忍び衆のネットワークは無論のこと、北条に仕える風魔との繋がりもあるからな。


 織田家が関東に介入するかは北条次第なところもある。一応、伊豆諸島を領有しているので織田家として介入する口実はあるが、北条が史実のように籠城をメインにした戦略で関東と自力で戦うことを選ぶなら手を出すのは難しくなる。


 奥羽戦線を関東で止めて東西から関東を囲んだまま関東が落ち着くなら、オレはそれでも構わないんだけど。


 出来れば戦線の整理をしたいので関東は早めに平定したいが。それはこちらの都合だ。関東勢が考えて自ら決断する時間は惜しんではいけない。


 やっぱり越中が気になるなぁ。あそこで大火事になると加賀、能登、越前、若狭と影響が及びかねない。


 まあ、景虎だけだとそこまで面倒なことにはならないと思うが。問題は越後も飢えた国だということだ。黙っていると飢える。内乱をするか外で戦をしている国だからな。あそこも。


 とはいえ、現状だと情報収集をしつつ備えるしか出来ないが……。


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