第2402話・近江の改革

Side:秋


 六角家の直轄領と宿老たちの所領に関する報告書が上がってきた。


 まあ、正確には検地と人口調査までしたのは直轄領と旧目賀田領のみであり、他の宿老の所領はこれから検地と人口調査をすることになる。


 そのため現状では、現地での聞き取り調査と慣例として把握している情報を基にした報告になる。ただ、こちらも経験上、そこまで大きく外れてはいないはず。


「これが我らの実情か」


 管領代殿は報告書を見て、なんとも言えない顔をしているわね。寺社や国人などが入っていないこともあって天下を差配するには少し寂しい数字になる。無論、ここから改革を始めると考えると悪くない。織田家だって若殿の下で出来ることから始めたんだもの。


 情報の整理と数字化。これは基本なんだけど、今まではそれすら難しかったのよね。


「これを基に今後の政を考えるべきよ。まずは米や雑穀を貯める量を定め、領内に必要な品物をいかほどの値で売るかも検討出来るわ」


 春の説明をまじめに聞いているけど、質問などもなく静かなままね。さすがに何年も前から尾張で学んでいるだけあって理解している。


 宿老の俸禄化に関しても、先に所領を献上している目賀田家と昨年に献上を進言した蒲生家以外の、すべての家で具体的な話し合いの段階に入っている。基本は統治にかかる諸経費を除いた実入り分を俸禄とすることになっている。このあたりは織田家の経験を踏まえてそれが一番無難なのよね。


 国人や土豪や寺社は今まで通り。ただし、今後は織田領から売る商品の流通価格を六角主導により変えることになっていて、その調整が行なわれているわ。


 こちらは一部贅沢品の値上げね。臣従勢力も敵ではないことで穀物や塩などの必需品の値上げは見送った。これに関しては、そもそも六角と織田の話し合いで抑えていた価格だけに、本来は高値になる代物だから非難される理屈はないんだけど。


 実のところ、この件は国人や土豪の俸禄化を促すためのもので利益を狙ったものじゃないわ。俸禄化して所領を一括管理することが狙いになる。


「懸念は両属のところか」


 蒲生殿が懸念する通り、寺社と両属となる者たちが今後の課題となるはず。最大の懸案は比叡山延暦寺。


 琵琶湖の湖賊などがそうで、彼らは六角に従っているところがあるものの比叡山にも従っている。


 それと近江には朽木氏のように独立勢力もいる。朽木氏に関しては上様の信が厚いこともあり、物資の流通は同盟価格と同じになっているわ。そんなに目立つこともないけど、上様を擁している三国同盟と歩調を合わせていて味方となっている。


 朽木氏などの独立勢力は、正直どちらでも構わないけど。比叡山などの寺社勢力と六角の両属になっているところは、今後選んでもらわないといけない。


 比叡山を刺激したくないので制裁などは出来ないが、六角の改革による恩恵も今後は得られなくなる。もともと琵琶湖、この時代でいう近淡海は比叡山と湖賊の利権なのでこちらの改革で触れる予定はないんだけどね。


「賦役が一番いいわよ。出来るところからやっていきましょう」


 現状だと伊勢や美濃との街道整備が最優先なのよね。私からいくつかの賦役を提案して、重点的にやる個所を選んでもらう。


 実は所領返上前提でないと、これも難しいのよね。一部の所領が先に豊かに便利になると家中の力関係が変わることになるから。


 私たちが六角家の評定に出席しているのは、改革指南と信頼がある仲介者という立場でもあるからなのよね。管領代殿と宿老に今のところ不和はないけど、言いたいことが言えない場合がまだあり得る。調整する者がいるのが現状だもの。


 目下の最優先事項は千種街道と八風街道の整備ね。戦略的にもあそこは早く整えないといけないわ。




Side:久遠一馬


 農務総奉行である柴田勝家さんと、領内における今年の作付け状況を確認している。甲斐と信濃は年々米の作付けを減らして雑穀や大豆などを増やしていて、今年もその傾向に変わりはない。


 一方で作付け品種はウチが尾張に持ち込んだ南蛮米や南蛮麦などの品種を植える地域が年々拡大しているので、作付面積を減らしても収量自体は右肩上がりだ。


 これもね、もう外部に漏れてもいいとオレは思うんだが。現地が絶対に漏らすなと厳命していることもあって、一部で漏れたものの織田領の外で栽培が広がるほどではない。


 そもそも種籾と栽培をきちんと管理しないと、在来種と混じってごっちゃになるからね。織田領だと種まきの頃に尾張や美濃で品種転向を経験した人を派遣して、その辺をきちんとやらせているんだ。


 苦労して手に入れたところで種籾をきちんと管理して栽培方法を守らないと、そこまで収量が上がるわけじゃない。


 織田領ではどこの村でも使っている木酢液だって同盟国と北条には売っているが、その他の地域ではまず手に入らないしね。実はあれも製造方法が未だに漏れていない。


 製造する村は炭焼きをしている領国各地の村に増えたんだけどね。技術や知識の秘匿に関してはこの時代は凄いよ。


 勝家さんは先ほどから関東から届いている不作の報告書と、領内の作付けや昨年の収量の報告書を見比べて唸っている。


「こうしてみると確と違いが分かりまするな」


 甲斐、信濃、駿河も不作の影響はあるんだよね。ただ、農業政策や作物転換の影響もあって不作の影響が確実に抑えられているのが数値として分かる。巷ではこれも感覚的に仏の弾正忠様のお力だと言われているけど。


 織田領で飢饉とならないのは守護様と仏の弾正忠様に徳があるからだと言われ、関東で飢饉なのはあっちに徳がないからだと言われる。


 無論、今の勝家さんは農政の専門家と言えるほどの知識があるので、それが地道な積み重ねだと理解しているが。


「余裕はないですけどね。東の四ヵ国は。この上で関東が荒れてこちらで抱えることにでもなれば……」


 オレの言葉に勝家さんは顔を青くした。戦場ならばたとえ万の敵兵でも臆さない勝家さんだが、厄介な関東を織田で面倒を見る苦労はさすがに喜べないらしい。


 まあ、気心が知れているオレやエルだけに本音を隠す気もないんだろうが。


 実のところ、農政は国の基本だ。特に飢えに直結するこの役目をウチでなく武士が担う意味は果てしなく大きい。


 勝家さんにはその功績の大きさから、家老衆への昇格という話が出ている。家老衆の増員と総奉行の代替わりを兼ねて。


 ただ、それも昨年に東国の不作があったことで見送りとなったが。


「もう少し雑穀を増やすように命じましょう」


 顔を青くしつつも、それで終わらないのが勝家さんの凄いところだ。田植えが遅い信濃北部や甲斐などに更なる雑穀の増産を命じるべく考え始めた。


 史実の織田家ではあの難しい北陸で上杉と対峙していた人なんだよね。この世界では農政で飢えと対峙してくれている。


 個人的には戦で活躍する勝家さんを見てみたかった気もするね。



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