第2399話・静かなる東国
Side:今川義元
関東の様子がようない。そろそろ田仕事の頃だが種籾が足りぬことから、あちらこちらで争い、奪い合う様子が見られる。
関東では珍しきことではないが、春の野草が手に入る今でさえ飢えから逃亡する者が減らぬ。
「流民か……」
己の村を捨てて逃げた者は流民となり西にくる。関東でも北条領の伊豆や相模はまだ落ち着いておるが、流民を受け入れるだけの余力などない。
領内を荒らす不逞の輩として通りかかる村々の者らに討たれて数が減るが、その生き残りが駿河へと来てしまう。
前々からあったことだが、今年はちと数が多い。
賊として討伐したとて誰憚ることもないが……。
「手に余る流民は遠江と甲斐に送れか」
清洲からの書状を確認したのち、駿河評定衆に見せていく。駿河で余る人は遠江と甲斐にて賦役で働かせることにしたらしい。
「難所の賦役があまり進んでおりませぬ故。そちらに回せばよろしいかと」
文官衆もあまり喜んではおらぬな。清洲とて喜んではおらぬが、織田では流民に慣れておると言うべきか。生きるための機会を与える。これだけでも他家ではあり得ぬこと。
「甲斐の詳細を見ると、良く飢えずに食わせておると驚かされまするな」
甲斐の名が出たところで、今川家臣のひとりがいかんとも言えぬ顔で呟いた。戦をしてでも手に入れようとした地の実情に思うところがあるのじゃろう。
相応の国であることに変わりはない。頻繁に飢える国だということも知っておったが、あの国を治める難しさを我らは知らなんだ。
織田家では分かっておったらしいな。忍び衆や商人などを通して得た知らせから甲斐がいかな国か見通しておったのだ。それ故、甲斐を欲するようなことはなかった。
尾張と甲斐の内情を知れば、わしとて同じことをしたやもしれぬ。今更じゃがの。
「関東に地の利がある者もおりましょう。左様な者らから使えそうな者を選び、駿河に留め置いて黒鍬隊として備えと致しましょうぞ」
「任せる。武官衆で決めよ」
今年の田畑の収量次第では関東が荒れる。備えはすでにしておるが、確かに地の利がある流民は上手く使うべきか。
先のことが今一つ読めぬ。雪斎がおればと、ついつい思うてしまう。
「文官衆、甲斐代官殿と信濃代官殿との繋ぎを増やす故、支度をしておけ」
「ははっ!」
今の織田が揺れるとは思えぬが、領境は荒らされるやもしれぬ。それがもっとも困ること。北条次第といえるが、今以上に関東が荒れるとこちらも動かねばならぬかもしれぬ。
北条とて信じ過ぎるのは危うい。あそこの家中は見たほど結束しておらぬからの。駿河、信濃、甲斐。この三ヵ国で力を合わせて関東から領国を守る盾とならねば……。
Side:季代子
尾張より遅いけど、奥羽の地も春となりつつある。
稗や粟の生産を大幅に増やしたことで、領内は無事に冬を越した。独立していた寺社領では飢饉となり寺領の民が逃げ出してしまいどうしようもなくなり、渋々こちらに降ったところがいくつかある。
奥羽においては朗報もある。まず南部晴政殿、浪岡具統殿、斯波経詮殿が織田の治世に慣れたことで家名に負けぬ働きをしている。うちふたりは若くないけど、次代を含めて教育と経験の伝承はしている。上手くいくと信じたいところね。
あと安東殿が奥羽織田水軍の編成を頑張ってくれている。彼は若いこともあって飲み込みが早く、まだまだ未熟なところもあるけど先が楽しみね。
特に日本海航路の領海掌握と流通警備などの基礎を構築するなど、奥羽領を盤石にする大きな働きをしてくれた。
なんでもかんでもウチでやっては成長しないのよね。由利十二党がほぼ争うことなく降ったのも安東家の働きが大きかった。やはりよく知る者が新しい治世で働き功を上げ評価されるのは、地域への影響が大きい。
出羽の懸案だった小野寺家。今年に入り臣従の使者を寄越した。年始に一族をなんとかまとめたようね。
織田領に囲まれ、寺社すら動けなくなった奥羽でよくここまで意地を通したわ。近隣では大宝寺と最上がまだ残るけど、最上は斯波一門であり悪くて中立なのよね。大宝寺と出羽三山もあるけど、こちらも意地を張っているもののそれ以上の展望はない。
すぐ背後には越後もあるけど、長尾景虎は動かないでしょうね。上杉を抱え上野で北条と対峙しているし、越中も実は落ち着いていない。これに奥羽にまで手を伸ばすのは、いくら彼が軍神と言われる戦の天才でも無理があるわ。
出羽三山、また宗教かと奥羽織田家では少しうんざりしていたけど、ここも今のところ大人しい。当初は争う支度をしていたことは掴んでいるけど、仁科三社のことや神宮と熊野の一件で完全に動きが止まった。
もともと勢力を拡大させるようなところじゃないし、意地を見せて所領を守りたいというのが本筋だったのでしょうね。
奥羽の寺社蜂起を西の本山がことごとく見捨て、同じ寺社が強訴を認めないとしたことで動けなくなったというところかしら。
「お方様、葛西は相も変わらずでございます。今のままでは、まとまるとは思えませぬ」
斯波経詮殿、今は高水寺を主に名乗っている。彼が報告に来た。私たちに対する遠慮から公式の場では高水寺を名乗っているのよね。無論、誓紙などをかわす時は斯波になるけど。
彼の報告、太平洋側の葛西。まあ、もとから家中にまとまりなんてないから、今もそのままというだけ。
織田領に接するところはこちらに降りたいところもあるようだけど、葛西としては伊達などの影響もあり、はいそうですかと織田に降る決断は出来ない。
ただ、こちらは遠野の阿曽沼が臣従した。葛西と伊達の様子を見てあちら側には付きたくないと考えたらしいわ。放っておかれてもなにも変わらないし。
「なんとかしてあげたいけど、伊達もいるし関東も飢饉で不穏なのよね」
伊達は変われない。天文伊達の乱の影響が今も残っていて、伊達本家の力が弱いことなど事情があるんだけど。あそこは現状維持しか取れないのよね。下手な決断をすると、家中でまた争いになるから。
こちらが葛西を従えると伊達との争いになるでしょうね。関東情勢がどうなるか分からないうちは動きたくない。
理想としては、十年はこのまま落ちついて内政をしたいくらいよ。まあ、無理だけど。
「葛西からは目を離さないで。貴方が目を光らせているうちは動けないと思うから」
「はっ畏まりましてございます」
高水寺殿は斯波一門で裏切る心配もほぼないから、領境を任せるにはちょうどいいのよね。どっちかというと武官に適性がありそうだけど。年齢も若くないから今は旧領の代官をしつつ奥羽評定衆としているわ。
和賀や阿曽沼を与力として葛西と伊達の備えとしている。
奥羽領でも統治が安定している津軽半島と下北半島では、今年から芋の試験栽培を始める。これが上手くいって人心がさらに変われば、寒冷地向け品種のお披露目も出来る。
あとは奥羽全域が落ち着けば、私たちも役目から解放されるんだけど……。
いつになるのやら。
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