第2396話・海祭りを眺めつつ

Side:久遠一馬


 時の流れとは不思議だなと思う。かつては争い、不満げだった者たちが、そんな過去を忘れたかのように振る舞っている。


 数年前のことになるが、駿河や遠江の水軍衆は見ただけで分かるほど不満げだったのにね。今年は楽しんでいるらしい。


 悪いと言っているわけじゃない。ただ、不思議だなって思う。


 今年の海祭り、新しいことと言えば熊野の水軍衆を正式に招待していることか。近隣勢力の招待は他の祭りでもやっているしね。珍しいことじゃないが。


 数年前から熊野水軍が友好勢力であることに変わりはないし、熊野三山を含めて熊野がいろいろと譲歩していること、尾張の輸送業務を頑張ってくれていることを評価しての招待だ。


 熊野水軍は織田水軍や織田領の輸送業よりも少し安い値で働いているのだが、いわゆる織田の船がやりたがらない、他国の輸送を引き受けてくれるから助かっているんだよね。


 時代も時代だし、どうしても面倒な相手との商いはあるんだ。




 オレは今、水軍衆による操船競技を見物している。小早や久遠船を使い速さを競うものだ。あと今年は暖かいので水泳競技もやる。水泳は武芸大会から分離したものの、海祭りの天候次第でやったりやらなかったりしている。


 水軍衆からは、いっそ夏に水泳競技だけやったほうがいいのではという献策もあったなぁ。


「海がもっとも上手くいっておる気がするの」


 義統さんは楽しげに競技を見ている。この操船競技、各地の腕自慢が集まるから見ごたえがあるんだよね。


 この十年余りで水軍は本当に変わったと思う。領国となった地域の水軍を吸収し、水軍学校で育てた子たちも現場で働き始めているんだ。


 水軍と海軍の役割分担もだいぶ進んだ。水軍は領海内の仕事で海軍は領海を出て遠方に行く。


 もともと海軍はウチの船を織田家の組織にどう置くかという問題から新設したが、いまでは織田家で建造した船も増えつつある。


 懸念はウチが強すぎることか。入植地と領海とした地域の広さは世界一だろう。その分の海軍力が必要となる。ただまあ、これに関しては織田家としての危機感はほぼない。


 危機感どころか、織田家の方針としては久遠家への支援は年々増えている。人材派遣、交流、米などの日ノ本から買う物資の価格補助など。


 日ノ本の近隣にあるウチの領地には織田家の人が行っているし、中には現地に長期滞在している人すらいる。


 一言で言えば、織田家の皆さんは腹を括ったんだ。食うか食われるか。久遠と共に畿内と対峙すると見定めて新しい国にすると覚悟を決めている。


 こういう割り切りというか覚悟の決め方は、政治家ではなく武士なんだなと改めて思う。


 織田家の皆さんに覚悟を決めさせたきっかけは、やはり上皇陛下の蔵人の一件だろう。すでに処分も済ませて終わった話だが、年月を追うごとにあの件が日ノ本に重くのしかかる。


 あの時、誰も止められなった極﨟殿は去年亡くなったと知らせが届いた。病死とのことで暗殺ではないと思う。すでにあの人のことを持ち出す人はいなかったし。


 院の元蔵人に関しては、極﨟殿以外の蔵人たちからは後日謝罪の文が届いた。日ノ本の外の者に対して配慮が足りなかった。そういう内容だ。楽しみにしていた子供を穢れ故に会うなと言う気はなかったという言い訳もあったが。


 それは事実でもある。そんな頓珍漢なことをわざわざ持ち出していたのは極﨟殿だけだ。そんな極﨟殿を止めることもしてくれなかったが。


 極﨟殿からの謝罪は最後までなかった。


 上皇陛下からはオレに密かに謝罪をしていただいたが、それは朝廷の面目に関わるので織田家評定衆にも知らせていない極秘事項になる。


 結果、極﨟殿は謝罪をしないで亡くなったことになる。ちなみに家を継いだ極﨟殿の息子さんからは、何度も謝罪の文が義統さんや信秀さんやオレに届いている。彼もまたこの件の被害者だろう。


 問題は当人が謝罪をしないまま亡くなったことで、この件と三関封じにより生じた東国の朝廷への不信を早期解決する糸口を失ったことだ。


 時が過ぎれば傷も癒えて忘れていくだろうが、世の中の転換期に朝廷への不信が続くのはこちらとしてもデメリットが大きい。


 まあ、極﨟殿。晩年は乱心していたと伝え聞いていたので、謝罪など無理だったのだが。


 近衛さんが謝罪の場を設けられないかと密かに動こうとしていたが、意地を張っていた極﨟殿が乱心してしまうとどうしようもなかった。


 ちなみに極﨟殿の様子は、織田家としてずっと把握していた。


 預かった寺でも扱いに困っていると言い書状で教えてくれたんだ。最初は、こちらからどうしているか教えてほしいと頼んだんだけどね。向こうが察して年に数度、彼の様子を書いた書状が届いていたんだ。


 個人的には亡くなったなら冥福を祈って済ませたいけど、彼の存在は今後、さらに厄介になるのかもしれない。


「かず、いかがした?」


 海を見つつ考え事をしていると、信長さんがオレを見ていた。人の様子を察するのが本当に上手くなったなぁ。


「いろいろと考えていただけですよ。いいことも悪いことも」


 海軍と水軍に関しては上手くいっている。短期的には人員の育成と海上輸送の効率化など必要だし、中長期的には尾張以外の領国における港湾整備や、防衛・流通経済としての海をどう発展させていくかなど課題は多いが。


 いずれにしろ試行錯誤していくしかない。シルバーンの光量子コンピューターで人類を管理することでもしない限りは。


「であるか」


 信長さんもそれ以上は問わなかった。楽しい祭りの場で話すことではないと理解したんだろう。


「次は熊野水軍も出るんですね」


 そうしているうちに小早舟を使った競技が始まろうとしていた。小早は人がオールで漕いで進む舟であり、どの船が速いかを競うものだ。


 領内の水軍の出場は毎年あるが、余所の水軍が出るのは初めてだなぁ。負けたら面目が潰れたとか騒がなきゃいいけど。


「招いたのはこちらだが、小早競争にはあちらから出たいと申し出があったそうだ」


 信秀さんの言葉に素直に驚く。熊野水軍、もうそこまで体裁を崩したんだ。まあ、武芸大会だと負けても恥とならないしなぁ。主に愛洲さんや真柄さんのおかげで。


 余談だが、海軍と水軍では戦などがあった場合に熊野へ援軍を出す検討を密かにしている。このままだと助けを請われそうなんだよね。争いがあったら。


 援軍を出すかどうかは評定で決めることだが、その検討だけはしておこうということになっている。


 黙っていても領国が広がるからな。その時になって慌てないようにとあちこちで動いているんだ。



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