第2394話・春の頃のこと

Side:とある公家


 写本を終えると、少し休息とすることにした。京の都も春となりて、戸を開けると心地よい風が入る。


 静かで穏やかな日々と喜ぶべきか。それとも……。


「上辺だけ取り繕い、朽ち果ててゆくか。まるで朝廷のようじゃの」


 数年前に建屋だけ出来上がったまま、いくらかの書物が納められておる図書寮の方角を見て、朝廷と我らの現状を考えてしまう。


 斯波と織田が朝廷のためと献策し、建屋の普請と書物を集めることをしてくれた図書寮だが、書物の扱いで一致出来ずに止まったままだ。


 始まりは御幸の際に解任された院の蔵人らか? それとも三関封じか? もしかすると鎌倉の頃からある東国との因縁もあるのやもしれぬの。


 織田は図書寮の書物を、寺社に対し勝手に見せたり寄進したりしないことを求めたが、あちらこちらの寺社から抗議が届き、朝廷として落としどころを探ったが上手くいかなんだ。


 特に久遠ゆかりの書物と久遠が大陸から得た書物などの扱いは、織田としても決して譲れぬのは分からんでもない。寺社とて、己で書物を囲い秘蔵しまうからの。


 寺社は尾張とは直に対峙せず妥協するが、朝廷に対しては昔のままだ。傲慢で神仏の名を用いても朝廷を押さえつけて上に立とうとする。


 このままでは朝廷の世評にも響くということで、数年前に京の都の図書寮は朝廷で好きにしてよいということで話がまとまった。


 京の都の図書寮には自ら写本を寄進しておる者らはいるが、尾張からは朝廷ゆかりの書物の写本以外は届かぬ。


 仲介しておる広橋公の面目を潰さぬようにと、写本を尾張と京の都で互いに送ることは今も続いておるが、この件もまた他の一件と同じく足利を経由して話をすることになって以降は、互いに写本を届ける量は年々減っておる。


 昨年は、そろそろ互いに写本を届けることを終わらせようかという話まであったとか。写本をしておるのも織田の銭じゃからの。信が失われるとこうなる。


 寺社は己の知恵を出さぬというのに織田と久遠の知恵は出せと求めるのだ。当然のことであろう。


 もっとも、すべてが無駄であったわけではない。我らが各々で紙と墨を用意して写本をすればいいだけのこと。面白そうな書物を写本して尾張に送ると返礼が届く。


 また京の都や朝廷、寺社の噂などを書いた文を添えると返礼が増えるのじゃ。図書寮としての写本はすでに多くを尾張に送ったことで、吾が写本するような書物はもうないがの。


 ただ、伝手で手に入れたものなどを送ることで、尾張と直に通じることが出来るようになった。正直なところ、京の都の図書寮に書物を納めたとて、吾らが得るものはほとんどないのだ。


 それもあって公家は写本をして尾張に送る者が多い。関白殿下などは左様な現状に御不満のようじゃが、京の都の図書寮に納めたとて暮らしてゆけぬからの。


 それに、堂上家とて己らで尾張と通じておるのだ。吾らだけやるなと言うのは筋が通らぬ。


「図書寮を献策した者は嘆いておろうな。後の世のためにと考えたのであろうに。傲慢な寺社どもにより邪魔されるとは……」


 昔のように強訴まで致さぬが、中身は変わらぬまま。朝廷がかつての力がないだけに、余計に酷く思える時もある。


 まあ、書物が残るのは京の都でなくとも尾張でもよかろう。後の世のためと思うならばな。




Side:久遠一馬


 春祭りが終わったが、次は毎年二月に行っている蟹江海祭りが近い。その準備の用事もあったので、オレはお市ちゃんと子供たちを連れて蟹江にいる。


 お市ちゃんと約束した釣りに来ているんだ。


「さかな! さかなー!」


「おいで~」


 みんなで船に乗って釣りをしているが、小さい子たちが船から海に向かって魚を呼んでいた。


 牧場の動物とかが呼べば来る動物が多いからだろうなぁ。子供の想像力とか面白いね。


 ちなみに船は恵比寿船と久遠船で合計二十隻いる。織田家の子供たちとか、同行者がたくさんいることと、オレたちを護衛する船もいるからだ。


 釣り場所は蟹江の港から少し船を走らせた沿岸なこともあって、このあたり他国の船が頻繁に行き来するからな。治安が悪いとは言わないが、子供たちがいることもあって護衛の船をお願いした。


 しかし、賑やかに騒ぎすぎて釣れないんじゃなかろうか? まあ、オレとしては楽しければ構わないと思うけど。


「我らは久遠島にゆくぞ! 皆を助けるのだ!!」


「おー!」


 おー! じゃないですよ。まったく、釣れないこともあって吉法師君とか男の子たちが騒ぎ出している。


 戦ごっこというんだろうか。ウチの島を助けに行くミッションが始まっているらしい。


「敵船だ! かかれ!」


 ああ、訂正。あきらとか数人の女の子も一緒だ。輝たちも釣りに飽きたらしい。


 まあ、船からは落ちないようにしているからいいか。


「もう~、釣りは静かになるものだというのに……」


 子供たちの楽しげな様子を見つつ釣り糸を垂らしていると、お市ちゃんが困ったものだと言いたげな顔をしている。


 お市ちゃんも小さい頃は騒いでいたんだけど、覚えていないんだろうか?


「父上?」


 お市ちゃんを見て思わず笑ってしまうと、希美が小首を傾げた。笑った意味が分からなかったらしい。


 ちなみにオレの周囲には大人しい子たちがいて一緒に釣りをしている。さっきからオレの膝の上に座っているのは希美だ。


 実の子では一番上のお姉さんな分だけ、我慢する子だ。それもあって、平等に可愛がってあげるように気を付けている。


「いや、みんな楽しそうだなって」


 お市ちゃんの昔の話? 言いませんよ。微妙な年頃だから幼い頃の話とかされても恥ずかしいだろうし、昔を懐かしむのはもう少し大人になってからでいいと思う。


 ほんと反抗期になる頃だから、お市ちゃんの扱いは気を付けている。


「うわ!? 若様、竿が!!」


「かかったか!?」


 賑やかな場が変わったのは、竿の番をしていた吉二君の声が始まりだった。


 ゴミでも引っかかったか?


「あっ! こっちも!」


「こっちもだ!!」


「ちーち!」


 あれ、あちこちの竿で急に魚が釣れるようになったな。魚の群れでもやってきたんだろうか?


 大人も子供も一緒になり、みんなで魚を釣る。入れ食い状態だなぁ。


 こういうのもいいね。みんな真剣に釣りを始めた。お昼ご飯は釣った魚を食べられる。


 今日は大漁だ。



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