第2393話・春祭りと関東の春

Side:北条幻庵


 次から次へと届く知らせに、ため息が漏れそうになるのを抑えた。


 人は極楽を知らねば、己が地獄にいることすら気付かぬことを改めて教えられたからであろうか。


 各地から届く知らせは、昨年の不作による飢えや争いばかりだ。


 近頃では春の作付けに使う稲の種籾すら事欠く有り様で、民は飢え死にするか争い奪うか逃げるか、武士も寺社も助ける者など僅かしかおらず、高い利息で貸し付け私腹を肥やそうとする者ばかり。


 これを地獄と言わず、なにを地獄と言おうか。


 同じく苦しいはずの甲斐や信濃では、飢える者はおらず種籾も困るところはないという。甲斐も相当な不作であったのは確かだが、あそこは種籾を残す形で冬の間も賦役をして食わせておったからな。


 それと比べると、関東勢の酷さが目に見えるだけに地獄の亡者にしか見えぬわ。


 いや、我らもまた地獄の亡者なのだ。幾年も歳月を重ねたというのに、なにひとつ成しておらぬ。己の思うままに好き勝手しておった武田ですら変わったというのに……。


 北条領は米を貯めておったので直轄領はまだ落ち着いているが、家臣や国人の所領はひどく荒れておるところもある。


「いかがしたものか……」


 敵は内々にあり。殿は米を貯めておくようにと命じたにもかかわらず従わなんだ国人らが、飢えておるからと戦を望むことに頭を悩ませておる。特に酷いのは上野じゃ。上杉と我らを秤にかけて己の面目と利ばかり考え争いを続けようとする。


 国人などいくら従えたとて尾張には勝てぬ。それどころか織田に降ったあとに愚か者どもの面倒を見なくてはならなくなるのだ。税を集めることも兵を挙げることも国人に許さぬ治世となれば、勝手ばかりする国人などむしろ邪魔でしかない。


 織田に降った今川など遠江衆をそのまま家臣としたが、武衛様に疎まれた遠江衆の扱いに難儀しておるではないか。武衛様は過ぎたことで誰かを責めるお方ではないと聞くが、斯波家を裏切り苦境に陥れた遠江衆は好まれず織田家中においても評判がようない。


一方で守護であった時に、己を助けなんだ国人衆を要らぬと公言しておる信濃の小笠原は織田家中で評判がよい。


 血縁がある仁科を助けるなど情もありつつ従わなんだ者らを捨て置くことで、今川とはやり方が違うが、元守護家としての面目を維持しておるのだ。


 もう北条は己の力不足を認めて国人衆を解き放ち、織田に降るべきではと思うところもある。頼朝公以来と称する関東の面目と意地に付き合う義理などないのじゃ。


 畿内はもう尾張と争うのは避けられまい。今更、頼朝公や朝廷に通じる面目を維持してなんとする?


 ただ、このまま織田に降るは悪手じゃ。それでは北条もまた己が都合しか考えぬ地獄の亡者と同じとなる。


 織田は、いや内匠頭殿は、北条の臣従時期が早まることを望んでおらぬからの。わしも確と聞いたわけではないが、奥羽と尾張の動きから察するに関東から奥羽まで治めるための支度をする時が欲しいのであろう。


 北条は今しばらく織田の盾として耐えねばならぬ。


 さきの管領代や周防の大内卿が見たとされる次の世。わしもおぼろげながら察するが、争いの根源は絶たねばならぬのじゃ。


「今のままでよろしゅうございましょう。幸い、関東管領殿と長尾殿は争いを広げぬように動いておりまする」


 上杉憲政も一時は相当我らを恨んだはずじゃが、今は落ち着いておる。上野の国人などは上野から北条を追い出し小田原まで攻めろと騒いでおる者もおると思うが、越後勢は上野から出て戦をする気がない。


 暗黙の了解というわけではないが、その代わり、こちらも上野衆を追い詰めすぎぬようにしておる。


「時を稼がねばならぬか」


「はっ」


 殿もご理解されておられる。内匠頭殿の治世を成すために北条がやるべきことを。


 耐える時じゃ。




Side:久遠一馬


 斯波家と織田家のお花見の宴。これも毎年恒例となったなぁ。


 最初の頃は奥方を連れてくると人質に取るんじゃないかとか、所領を空けると家臣になにをされるか分からないと言っていた人が大勢いたが、今はもういない。


 お市ちゃんが始めた、子供たちだけの新年会の影響はお花見の宴にもあって、子供たちが集まって楽しめるような場所も用意しているんだ。


 子供たちの集まり。子供たちを楽しませる宴。この評判は本当にいい。まだ子供であるお市ちゃんの功績として知られていて、織田家中に対する発言権も相応にある。


 お市ちゃん、学校の子たちで相思相愛の子たちを取り持つことが割とある。


 家柄とか身分もあって必ずしも自由恋愛で結婚出来るわけではないが、養子や養女になるなどして結婚させることは不可能ではない。


 オレと妻たちも頼まれて手を貸したことが何度かある。ちょっとした口利きくらいだけどね。信秀さんや信長さんどころか、義信君とも話が出来るから、お市ちゃんがやれることは結構多い。


 この時代だと婚姻は政治なので、お市ちゃんは一部だが政治にも絡んでいるとも言えるのかもしれない。もっとも細かいことは大人に任せるので、そこまで差配しているわけじゃないけど。


 そういう実績があるので、お市ちゃんが子供たちの相談に乗ることもあるんだそうだ。


「一馬殿、桜餅いかがですか?」


 噂をすればなんとやらか。宴の席で考え事をしながらのんびりと周囲の様子を楽しんでいると、お市ちゃんが桜餅を持ってきてくれた。


「ええ、頂きます」


 嬉しそうにほほ笑むお市ちゃんに幼い頃を思い出す。


 好奇心で新しいことに喜んでいたなぁ。信秀さんもお市ちゃんには甘いから、寂しがっていると連れてくるんだよね。その場で政治的な話もするから、幼い頃からオレたちのやり方をよく見ていた。


「今度、海に釣りにいきませんか?」


 釣りか。最近、行ってないなぁ。お市ちゃんが学校に通う前はよく連れて行ったんだ。


「いいですね。ちょうど暖かくなってきましたし」


 吉法師君とか子供たちも連れて行ってやろうかな。


「ああ、また喧嘩して……。ちょっと行って参ります」


 一緒にお茶と桜餅を楽しんでいたお市ちゃんだが、誰かの幼子が喧嘩をして乳母さんや傅役が止めているのを見て仲裁しに行ってしまった。


 お市ちゃんが双方に注意をして仲直りさせている。そのうえで乳母とか傅役の人に騒がないで見守ってあげるようにと頼んでいた。


 ああいう姿を見ると、ウチの妻たちのやり方を覚えたんだろうなと痛感する。リリーとかアーシャとかよく子供たちの喧嘩の仲裁をしているからなぁ。




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