第2392話・春祭りを迎えて

Side:とある久遠家家臣


 咲き始めたばかりの桜の花が風に揺れている。


「今年も咲いてくれたな」


 お坊様に聞いてもいつ植えたか分からない桜の木だという。数代前の住持だったお方が山にあった若い桜の木をここに植えたという言い伝えはあるが。


「ええ……」


 妻とは、この木の下で行われた宴で親しくなり婚礼を挙げた。もう十年近く前のことだ。


 久遠家中と誼がある警備兵などの若い者だけの宴。その場で気に入り添い遂げる相手を決めると、殿が両家に話して婚礼を進めてくれていた。近頃は殿もお忙しいので彦右衛門殿が婚礼の段取りをしてくれることが多いがな。


 オレの家は那古野の外れで田畑を耕していた。小作人ではないが、村をまとめるような立場ではない。親との仲は可もなく不可もなく。四男だったことで田んぼを分けてもらえるかすら怪しい扱いだったが。


 いつだったかなぁ。あれも春の頃だった気がする。まだ元服前の若殿が村に来られた際にお声掛けがあり、時々呼ばれるようになった。


 お城の若様だと知っていたが、織田の大殿ですら今ほど身分が高いわけではなかった。そんな頃だ。若殿はよく城から出ては、近隣の村の気に入った者らを集められるようになったんだ。


 石合戦や鍛練をしたり遊んだりもした。飯を食わせてくれる時も多かったなぁ。


 あの頃の共にいたやつらだと金次が出世頭かもしれねえ。元から武士だった勝三郎殿を除けばな。


 金次は正直、目立つ男じゃなかった。なにをやらせても一番になれる様子はなく、ただし、気遣いが出来て周囲の者には好かれていたがな。


 若殿が久遠家にて働く者を集めると考え始めた時、オレは側にいた。実家の様子や身分があると面倒だからと、オレや金次のように家を継がなくていい者から若殿が自ら選ばれたんだ。


 実は若殿も、武士として召し抱えるとは思ってなかったみたいだけどな。最初は酒造り、今の尾張澄酒を造ることと下働きの者として集めておられたからな。


 殿もああいうお方だから、細かい禄なんて話はなかった。困らないようにすると言われ飯を腹いっぱい食わせてくれていたから、実は禄が別にあると知らなかった奴もいた。


 商家に働きに出る。オレの親はそう思っていたしな。あの頃は、一人前になるまでは銭なんか頂けるはずもないことが当然だった。


 それに違うと気付いたのは、八郎様が仕官された後だった。


 オレたちを集めて、行儀作法や文字の読み書きなどを教えることをされたんだ。半分くらい文字もろくに読めなかったからなぁ。


 お方様から着物や刀を頂戴致して役目の時にはそれを着るようになり、俸禄について話があったことで、ようやくオレたちが武士となったんだと理解した。


「父上! 桜が綺麗でございますね!」


「ああ、綺麗な桜だ……」


 子供は倅がふたり、娘がひとり生まれた。嫡男が生まれた頃は、まだ家中で子が産まれた者が少なくてな。殿とお方様がたには随分と可愛がっていただいた。


 あれから年月が過ぎ、久遠家は大きゅうなったが。殿はあまり変わられぬ。子供がお好きでな。今でも家中の子たちがお屋敷に呼ばれることは珍しくない。


 倅たちは久遠家中で生まれた子では年長だ。近頃では殿のお子や孤児院の子ら、他の久遠家中の子たちの面倒を見ておる。


 若殿とオレたちの若い頃と比べると行儀がいいがな。ただ、殿が堅苦しい形を好まれぬこともあり、子らの様子はあの頃よりもいいかもしれぬ。


「父上! 母上! あっちに市が出ております!!」


 ふふふ、子らは桜の花より市が見たいか。それもまた、若い者としては当然だな。


「行こうか」


「はい」


 ここで出会った頃を思い出すのも悪うないが、子らは今日この日を楽しんでおるのだ。ならば共に今日を楽しもう。


 いつの日か、我が子が大人になり子が産まれた時に、今日のことを思い出せるように。




Side:久遠一馬


 二月に入っているが、今日は桜祭りだ。これ、ほんと桜の開花に合わせているから、毎年時期が暦とズレるんだよね。誰も気にしていないけど。


 人はその時々の暮らしや環境に合わせて変わっていくんだなと思う。


 桜祭り、正式名称は観桜会にしてあるが、正直、桜のないところでも春の祭りとして楽しんでいる様子が見られる。


 尾張だと村とか旧領単位の垣根がほぼないから、春祭りはオレも把握していないくらいあちこちで行っていて、村とかでも豊穣祈願の儀式を行って宴をするなどしているんだ。


 ちなみに現在、今年は清洲運動公園の多目的ホールでは、能、この時代でいう猿楽の公演が行われている。畿内で有名な人だ。


 有名どころは権威との繋がりもあって面倒だから、斯波家と織田家でも招待とかしていないんだけどね。向こうから来てくれて、やらせてほしいと頼まれるようになった。


 待っていても声が掛からないと察したらしい。


 猿楽、信長さんも好きだし尾張でも流行っている芸能のひとつだ。ただ、畿内から人を呼ばないで領内で猿楽師が育っているからなぁ。


 中にはウチの紙芝居とか人形劇の影響を受けた人もいて、独自の形になりつつある。


 その多目的ホールで公演中の猿楽。どうなるかなと少し心配していたんだけど、連日ほぼ満員になるほど人気らしい。


 さすがはプロということだろう。


「初めはオレたちだけでお花見したんだよなぁ」


 清洲にある桜の木がある寺に来ると、大勢の人で混雑していた。僅か十年ほどでこれほど変わるとはね。少し感慨深いものがある。


 人に迷惑を掛けるような商売以外は規制していないから、露店や屋台以外にも見世物として大道芸のようなことをしている人とかたくさんいる。


 中には元の世界だと外でやれないような類いの見世物とかもあるが、まあ、この時代だと普通だからなぁ。


「お花見は賑やかなほうがいい」


「そうだね。これぞ、お花見だよ」


 一緒にいるケティとパメラも嬉しそうだ。ただ、元気いっぱいの子供たちがはぐれないように見ているから、ゆっくり祭り見物とはいかないけど。


 まあ、ウチの子たちは清洲だと顔を知られているから、少しはぐれそうになっただけでも近くにいた領民がオレたちのところに連れてきてくれるけどね。


 上の子だと大武丸とあきらとか、もうやんちゃなところもあるから行動範囲が広くてさ。孤児院の子たちとか家臣の子たちもそうだけど、ウチの家紋入りの着物や半被を着せてあげることでみんなが助けてくれる。


 本当にありがたい限りだ。


 地域で子供を育てる。オレが生まれた時代にはほぼなくなっていた習慣だ。賛否あったのは歴史として知っているが、こうしてその時代を生きてみるとこういうのもいいなと思う。


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