第2389話・寺社のあれこれ

Side:近江のとある寺社


 来るべき時がきたのかもしれぬな。


 黒い大船が尾張にて騒がれて幾年になろうか。瞬く間に世は変わり、伊勢と美濃はすでに新しい治世の下で寺社であっても等しく変わってしもうた。


 昔は織田と久遠を見下し罵る者や笑う者が多かったが、いつの間にか左様な者が少なくなった。


 勝手なことをしてと苛立つ者は今もおるが、古くから力ある者は勝手をするものだ。朝廷とて、その昔は争い戦にて東国を己がものとした。


「これほど世が変わるとはなぁ」


 若かりし頃より付き合いがある近隣の寺の者が、ため息交じりに嘆いた。我らにとっても他人事ではなくなった。武士も民も我らの生き方、日々の過ごし方まで気にするようになった。


 一向宗は別だが、あとは酒も女も戒律で禁じておること。近頃ではそこらの民ですら知っておるのだ。商人から酒でも買おうものなら、次の日には近隣の村であそこは酒を飲んでおると噂される。


 戒律も守らないのに税だ、寄進だと銭を求めるのかと噂される。寺社と言うだけで信じなくなりつつあるのだ。


 坊主を信じるくらいなら、仏の弾正忠様を信じると公言する者も今ではおる。不敬だと騒ぐ者もおるが、騒いだところで民の信は戻らぬ。


 左様な我らにとどめを刺すべく動き始めたのは六角だ。寺社は六角家中ではない。今後は関わりを見直すと言い始めた。


 尾張流賦役に寺社領の民を使わぬことは以前からしておったが、今後はさらに尾張物などの売値を変えるとのこと。


 確かにあれは織田との関わりの在り方により値が変わるもの。そもそも誰と商いをするかなど織田の勝手。織田はとうの昔に、寺社を介さぬ商いを成り立たせておるからな。寺社とて口を出せぬようになっておった。


「粗末な寺で祈るだけの日々を送れというのか」


「そこまで言うておるまい。やるならすべて己が力でやれという話だ。神仏は信じるが寺社は信じず。それに尽きよう」


 友は少し気落ちした様子だが、理解しておるからこそ怒ることもない。


 神仏に仕える我らとて、他宗他派の寺社を信じて遇するのかと言われると左様なことやらぬからな。外から見ていずこの寺社を信じればよいのだと疑念を抱かれたことは昔からあった。


 今はそれを堂々と言えるようになっただけ。


「穢れた我が身は乱世と共に捨てられるか。自業自得と分かってはいるが……」


 そう自業自得であろうな。文句があるならば織田より武士や民を信じさせればいいだけ。説き伏せることが出来ず、力で解決するようになった寺社は消えたほうがいいのかもしれぬ。


 本来は本山が穢れた寺社を正さねばならぬのだが、今の世は本山からして穢れておるからな。


「昨年には叡山の者らが暴れて処刑された。織田の者が近江で暴れたか? わしでも叡山を信じるくらいなら仏の弾正忠殿を信じるわ」


 十年もの間、仏の名を穢すことがないだけでも立派だ。少なくとも穢れた生臭坊主が勝てる相手ではない。


 あとは、いかにするか。己が力で今のまま生きるか。六角に従うか。それだけであろう。




Side:久遠一馬


 ウチに届く報告書は、ほんといろいろとある。困ったら相談してくれるし、迷ったら報告書を届けてくれるからだ。


 そんな中、気になる報告書がある。


「慶光院か……」


 南伊勢にある清順さんの寺。神宮を盛り立てている寺のひとつだが、神宮との不和が表面化しているとの報告が複数のルートから入っている。


 宇治と山田の町にいた反織田の商人たちを北畠が兵を挙げて潰した時、神宮が見捨てたことが今になって大きく響いているんだよね。無論、宇治、山田、大湊の商人たちは神宮を形式として立てていることに変わりはない。


 ただ、相変わらずウチの商品は誰も神宮に売っていないし、儀礼的に関わる以外は神宮に近寄らなくなってしまった。


 ちなみに必要な物資は手に入っている。一部の贅沢品とウチの商品は手に入っていないが。あと比較的身分が低い神職は、北畠家の助言役として現地にいるやよいが定期的に行っている庶民向けの診察に紛れ込んでいるので薬も手に入っているんだよね。


「弱き者に責めを負わせる。神宮も俗世と変わりませぬな」


「ふふふ、それを言ったら話が終わってしまうわ。八郎殿」


 資清さんの一言にメルティが不意を突かれたように笑ってしまった。


 ほんとその通りなんだよね。神宮内でさえ織田とかオレへの不満はあまり聞かれないらしい。一部の者は相当不満をこぼしているらしいが、全体としてみると自業自得だと落ち込んでいる人が多いそうだ。


 仁科三社とはとっくに連絡を取っておらず、絶縁とは言わないが双方共にもう関わりたくないと音信不通状態だ。


 そんな中、尾張と伊勢を行き来して関係改善の嘆願を地道に続けているのが慶光院の清順さんだ。当然、彼女の評判は悪くないし、はっきり言えば上がる一方になる。


 神宮上層部の一部はそれを妬んでいるんだよね。オレのところまで報告が複数届くとかよっぽどだ。


「慶光院は守らないといけないな。あと清順殿の身辺も。望月殿、お願いね」


「畏まりましてございます」


 ないとは思うが、慶光院と清順さんの身辺に人を増やしたほうがいい。清順さんが消えたらいいんじゃないかという愚かな考えをする人が出そうで怖い。


 清順さん、少数のお供で出歩いているんだよね。伊勢も治安がいいので問題にはなっていないが、そこに付け入る馬鹿が出たら困る。


「あそこもなぁ。維持するだけでも式年遷宮とか負担が大きすぎてなぁ」


 織田家でも散々議論されているが、なかなか落としどころが見つからないのが寺社の維持管理費なんだよなぁ。


 基本は元寺社領の実入り以上は与えない方針だ。あれこれ理由を付けて支援を求めるし、建て替えなどあれば寄進を求めるけどさ。一度与えると、以後それを当然だと思うのは目に見えている。


 国家の財政とか、世の中が落ち着けば収入と支出のバランスを取るのが難しくなるのは分かっているし。


 不要とは言わないが、宗教と文化芸術、あとはスポーツもあるか。税金投入は慎重にしないと。一部の人だけにしか利益が回らないことが多いし、極論をいうとなくても死ぬわけじゃない。


 まあ、寺社の皆さんもそこのところは理解していて、尾張だと人手不足な寺社では施設の整理縮小をしているところもある。この時代だと、寺社の中に町やら施設やらといろいろとあるからね。


 本堂とか必要なところはいいけど、見栄とか権力者が寄進して建てたものとか、あと僧兵とか職人が住んでいた場所とかは使わなくなると維持管理も大変なんだ。


 中には旅籠や寺子屋や診療施設にして上手く使っているところもあるが。


 中小の寺社はわりとたくましいよ。神宮みたいに中の人でさえも、今までの形を変えていいのか分からず動けないところは大変だが。


 誰も神宮を変えようと言えない。それだけ古い歴史があるんだ。だからこそ、誰も手を出さず助けることもないんだけど。


 



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