第2388話・年頃なお市ちゃん

Side:とある奉行衆


 松の内を明けると、すぐに忙しゅうなった。


 尾張では松の内が明ける前から働くというが、さもありなんと思う。世が落ち着くと政が増えるのではなかろうか?


 次から次へと溜まる仕事を片付けておると、上様の御裁断を仰ぎに行った者が戻ってきた。


「いかがであった?」


 少し厄介なことであった故、上様のお怒りでもと案じておったが……。


「ああ、ひとまず様子見でよいとのことだ」


 安堵した。上様は昔と違う。些細なことで苛立つこともない。ただ、かつてとは違うところで譲れぬとお考えになるお方だからな。案じることもある。


「仕える者次第で、こうも変わるものなのだな」


 誰かの言葉が聞こえたが、答える者はおらぬが、皆、同じ思いであろう。


 若狭管領殿がいたころは、今とはまったく違う。上様は些細なことで我らを疎み苛立っておったのだ。


 無論、上様だけではない。我らもまた疑心と憎しみの日々であった。細川京兆に振り回されてばかりいる将軍家と我らは、今思えば地獄にいたようなものだとすら思う。


 六角の下に来てから変わった。まあ、変わった理由は尾張にあろうが。


 上様は武芸者として生きることで世を知り、将軍に相応しき御方となられた。我らもまた近江での日々で、上様にお仕えするに相応しき者となった気がする。


 寺社の坊主や人の上に立つ者には徳がいるとよく言われるが、あれの真髄は皆を信じさせることではなかろうか?


 今の上様には皆を信じさせるものがある。おかげで戦も減り、あらゆることが上手くいきつつある。


 まあ、突き詰めるといずこを信じるかということだ。朝廷や寺社? 違うな。尾張だ。仏の弾正忠殿と内匠頭殿を信じられる故に、上様は日ノ本のために皆が信じるように動ける。


 穢れだなんだと他者を寄せ付けぬ朝廷も、大陸から学んだ知恵の数々を己がものとして私利私欲に利用する寺社も、徳などないのだ。力と権威で従えるばかりでな。


 無論、我らにも徳などあるまい。ただ、上様の徳を穢すことなく仕えるくらいはしておるつもりだ。


 そもそも織田の政は、さほど難しきことはしておらぬ。皆で信じて力を合わせる。根源にあるのはそれだけだ。


 何年も会うておらぬが、若狭の管領殿はいかがしているのであろうな? あの御仁は今も、人を信じられず己すら信じておらぬのやもしれぬ。今にしてみるといささか哀れに思える。


 戻りたくないな。あの頃には。


 内匠頭殿は我らに多くを求めぬ。なるべく公平に争わぬようにやることのみ。そのくらいはまっとうせねばならぬ。


 我らは朝廷や寺社とは違うのだからな。




Side:久遠一馬


「ああ、姫様。今、帰りですか」


「はい、ただいま戻りました!」


 学校帰り、お市ちゃんがウチに来ると子供たちは賑やかになる。昔は一日中ウチで遊んでいたんだけどなぁ。


 今はお昼過ぎまで学校で勉強をして、そのあとウチや牧場の孤児院に来ることが多い。


「ひめ!」


「あそぼ~!!」


 勝手知ったる他人の家。まさにそんな感じだ。ウチ来ると、すぐに子供たちに囲まれてしまう。下の子たちだと、お市ちゃんが家族じゃないと理解していない子もいるっぽい。


 ウチは妻と子供たちが離れて暮らしているからなぁ。お市ちゃんの距離感はほぼ家族のようなものだ。


「なにをして遊びましょうか?」


 屋敷を走り回って、乳母さんに注意されたりエルたちに叱られたりすることもあったんだけどなぁ。今では子供たちを注意する立場になった。


 エルたちのようになりたいと、今でも妻たちにいろいろと学んでいる。将来は学校の教師にもなれるし医師や看護師にもなれる。武芸の腕前も同年代の女の子と比べると抜きん出ているくらいだ。


 彼女の問題は婚姻だろう。そろそろ初恋のひとつでもしただろうか? そういう話はしていないんだよね。


 お市ちゃんが今でもオレに対して憧れのような感情を抱いているのは理解している。ただ、幼い頃から家族のように兄のように付き合っているうちに、いずれ変わるのではと思っていたんだが。


 反抗期に入れば……。


「ちーちも!」


「ちちうえ、いっしょにあそぼ!!」


 子供たちと話すお市ちゃんを見ていると、周囲にいた子供たちに着物を引っ張られていた。


「そうだな。一緒に遊ぶか」


 まだちょっと仕事があるが、まあ明日でもいいだろう。オレも遊ぶと告げると、お市ちゃんは子供たちと一緒に喜んでくれた。その笑顔は子供から大人に差し掛かっていると思えるものがある。


 お市ちゃんはいずれ、自分で自分の生きる道を選ぶだろう。それがオレたちの生き方だからだ。


 出来れば、決める前に相談してほしい。エルたちにでもさ。叶えてやれるはずだ。今のオレたちなら……。


「姫様、学校のほうはいかがですか?」


「はい、学徒の子たちも徐々に故郷から戻っていますよ。あと、そろそろ一馬殿の授業を受けたいと、皆が楽しみにしております」


「ああ、そうか。なら各地から子供たちが戻ったら一度授業をしようかなぁ」


 お市ちゃんとか学校に通う子たちの様子を見ていると、学校を作ってよかったなと思う。


 実は子供たち同士の付き合いから、人生が変わった子たちもいる。オレの猶子の子たちなんて、それの典型だ。多くは元服すると望む仕事に就いているが、中には義信君の近習になった子もいる。


 蹴鞠が得意な子でね。蹴鞠をする時には必ず呼ばれているうちに、義信君から誘われて近習として勤めているんだ。


 オレが子供たちを心配して、みんなを猶子にした時は、さすがにどうなんだという微妙な意見もあった。ただ、今になるとオレの猶子なら問題ないからと、自分のところで働いて欲しいと言ってくれる人が結構いる。


 ああ、おみねちゃんのこともあった。留吉君が弟子にしたことで彼女は人生が開けた。織田家ではこの件もひとつの教訓としていて、才能のある子たちは身分に問わず、才能を伸ばせるようにとみんなが考え動き始めている。


 最近は楽器の演奏が出来る子供たちが評判だ。音楽はこの時代だとなかなか聞けないからね。一部は織田家で召し抱えることを始めた。


 これも武士の子なら仕事をしつつも音楽を続けられるが、庶民の子は読み書き計算を終えたら学校を早期に卒業してしまうのが理由だ。


 音楽が得意な子が実家に戻って働くと話を聞いた義信君が手を回して、織田家で召し抱えることで音楽をさせつつ文官の仕事を手伝わせるなどして様子を見ている。庶民が音楽を続けるのは、まだ無理だからね。


 現状でも各領国に公民館を利用した分校を設置していて、そこに対して有能な子たちがいたら那古野の学校に留学させるようにと命じている。


 そんな中で書画や音楽など、芸術方面で才能を発揮している子供たちをどうにか才能を伸ばせるようにと動き出している。


 尾張には、文化芸術に目を向ける余裕が生まれた。なんか感慨深いものがあるね。



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