第2381話・烏賊のぼり大会にて

Side:とある絵師


 今日はよう晴れているな。烏賊のぼりを上げるにはよい空だ。


 わしはその日暮らしの絵師だ。僅かばかりの伝手で絵師として名を馳せていた師に弟子入りして少しばかり学んだが、師が亡くなると独り立ちした。


 とはいえ黙っておっても絵を描けるほどの腕前はなく、絵を頼まれる身分でもない。愚痴をこぼすようなことは言いたくないが、絵を描くには誰もが黙るほどの絵を描くか身分がいる。


 諸国を歩き、武家や寺社で絵を描かせてもらいつつたどり着いたのが尾張だ。


 無論、ここでも名を上げることは出来ておらぬが。ここ尾張は数多の絵師がおるのだ。狩野派が牛耳る京の都より絵師は多いのではないかと思うほど。


 わしは日ノ本の各地を流れたが、細々と絵を描いても暮らせる国はここだけだ。商家の襖絵を描いたり、烏賊のぼり大会にて使う絵を描いたり。祭りも多いので日頃から絵を描き貯めて、祭りの市で売るとそれなりの稼ぎになる。


 得意なのは見た者をその場で描くことだ。当人より少しだけ良く描いてやると喜ばれる。


 ござを敷いて描き貯めた絵を並べ、買うてくれる者を待ちつつ上がり始めた烏賊のぼりを眺める。わしが頼まれて描いた烏賊のぼりもあるな。上手く上がるとよいのだが。


 絵師の間では烏賊のぼりの絵を描くのが面白いという者が多い。近くで見る書画と違い、遠くに見える烏賊のぼりの絵は他の絵とまったく違うものなのだ。


 豪快にかつ繊細に描くことが良しと思われ、この場で評判となると絵師として名が売れる。


「おっ、なかなかいいな。これ一枚くれ」


 正月はよう絵が売れる。名のある武士や坊主でなくともこの国では絵が買えるからな。


「なあ、おらたちの絵を描いてくれねえか?」


「ああ、いいぞ。少しそこに座って烏賊のぼりでも見ててくれ」


 そうそう、尾張の面白いところは親子が揃った様子の絵を描くことか。子が産まれた時に絵を描いてもらうことで無事に育つことを祈り、子が大きくなったら父と母の若かりし頃の姿を見られるようにとしておるとか。


 わしのような絵師でもよう頼まれる仕事のひとつだ。


「うわぁ。いい絵ですね! 見ている者が楽しくなりそうな絵です」


 親子の絵を描きつつ絵を売っていると、ひとりの娘が嬉しそうに絵を見てくれた。歳の頃は十を過ぎたくらいか? 身分があるとは思えないが、いい身成りをしている。


「おっとう、おっかあ。絵師様がいるよ!」


「おみねは本当に絵が好きだなぁ」


 両親は商人か? おみね? はて、どこかで聞いた気がする。一度でも会うた者ならば忘れぬのだが……。


「私はお前が描いた絵が一番好きだよ」


「おっかあ……」


 お前が描いた絵? ……!?


「もしや、牧場殿か?」


「はい! 牧場みねでございます!!」


 気付かなんだ。直に会うたことなどないからな。尾張の絵師でも上から数えたほうがいい娘ではないか。その才を見込まれ、久遠様の猶子と同じ牧場姓を名乗ることを許されたはず。


 というか、みね殿はわしの絵を欲しいようで選んでおるな。


「いずこかで娘が世話になったのでございましょうか?」


「ああ、案じさせてしもうたか? すまぬな。父御殿。会うたことはないが、尾張で絵を描いておると娘御の名を聞かぬことがない故にな」


「左様でございましたか。絵の好きな娘でして……。身分あるお方に良くして頂くことが多く畏れ多い限りでございまして」


 案じることはあるまい。久遠様の猶子に手を出す愚か者などおるまい。


「これを頂けますか?」


「ああ、銭は要らぬ。是非、貰うてやってくれ。その代わり、機会があったら描いた絵でも見せてくれ」


 わしのような者が憂いなく絵を描けるのは久遠様のおかげぞ。その猶子のお方から銭など頂けぬわ。


「えっ、よいのでございますか? それならいつでも構いませんよ」


 この娘、己の身分がまだあまり分かっておらぬな。父御と母御が少し困ったように笑うておるわ。


 かような出会いがあるとはなぁ。新年早々、なんとも面白きことだ。




Side:久遠一馬


 ここ数年、正月だというのに外出する人が増えた。明らかにオレたちの影響だよなぁ。


 寺社や遊女屋なんかは大変だが、書き入れ時らしく結構な収入になるみたい。さすがに商人は商いをしていないけどね。屋台や物売りの人は正月返上で働いている。


 今日は烏賊のぼり大会だ。これ、ほんとウチが関与していない祭りだが、正月の人気の祭りとして年々広がっている。


 今年は那古野、蟹江、津島、熱田でも烏賊のぼり大会をしているくらいだ。


 オレたちは一番参加人数が多い清洲の烏賊のぼり大会を見物に来たが、ここの会場は身分ある人もそうでない人も入り混じって賑わっている。


 身分相応の姿で歩く人もいるし、庶民と変わらないような姿で歩く人もいる。無礼な振る舞いは論外だが、一方であまり過剰に騒がないのが祭りの楽しみ方として定着しつつある。


「ちーち! おしるこ!」


「ちーち! あれあれ!!」


 うん、子供たちは元気だ。実の子も孤児院の子もたくさんいるしなぁ。放っておくと迷子になりそうなので、妻たちとみんなで迷子にならないようにしてあげないといけない。


 まあ、ウチの子たちの場合、周囲にいる領民の皆さんも気に掛けてくれるので迷子にならないようにと声をかけてくれるが。


「そういえばお汁粉屋が増えたね?」


「当家で正月に食べると広まりましたから……」


 エルと顔を見合わせて笑ってしまった。正月にお汁粉を作ってみんなで食べたり来客に振る舞っていたりしたら定着してしまった。


 ほんと変なこと出来ないね。新しい風習とか習慣が生まれちゃうから。


「あれ、真柄殿だ」


 そんな祭り会場で一際目立つ、というか身長が高いから目立つ真柄さんが見えた。


 元日はウチの屋敷で奥さんと子供たちも一緒にみんなで過ごしていた。家族もいるし、そっとしておいた方がいいかなと思いつつ、宗滴さんを介してよかったらと誘ったら来てくれたんだ。


 今日も奥さんと子供と一緒にいるが、武官衆の皆さんも一緒だ。家族ぐるみの付き合いをする友人を尾張で作っているんだなと思うと安心する。


 あっちでは公家衆が妻子と一緒に烏賊のぼりを見物しているね。


 今川預かりの公家衆だが、彼らにはいろいろと助けられている。さらに織田の治世で公家がどう生きるんだろうという参考にもなっている。


 結論からいうと、それなりに合わせて生きるんだよね。公家衆は。強かな面もあるし。寺社と違って過激な思考にあんまりならないから助かる。


 寺社、真面目な人ほど過激になりがちだからなぁ。


 まあ、今日は素直に祭りを楽しむか。




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