第2378話・年始のようす
Side:足利義輝
元日の御所は穏やかだ。
年始は母上と御台と僅かな者らで静かに過ごすことにした。奉行衆はなにかと古き形に戻してはと進言するが、オレには不要だ。
代々の積み重ねを軽んじる気はないが、要らぬものは要らぬのだ。父上もやっておらぬようなことは、もう無きものと考えておる。
皆、己の一族が大切なのであろう。一族と共に正月を迎えればよい。
母上と御台として迎えたおそねの様子は、可もなく不可もなく。広い御所故、会おうと思わねば顔を会わせることもない。双方共に侍女や近習がおるからな。
一馬らの親と子や暮らしとは違うのだ。オレと母上ですら、腹を割って話せるようになったのはここ数年だ。
それでも母上から誘って、時折、共に茶を飲むなど話をすることはしておる様子。困ったことなどないかと案じておるらしい。これだけでも近衛や将軍家では驚くべきことだ。
「それにしても与一郎殿はなんと多才な……」
母上が出された膳に驚いておる。年始の祝いということで縁起物が並ぶが、与一郎が作りし久遠の正月料理があるからだ。
共に旅をするようになり、与一郎は与一郎なりに世を学び、己を高めて生きる道を広げておるということか。
「まあ、なんと良い口触りに、ほどよい甘さ……」
母上が箸を付けたのは玉子料理か? オレも知らぬな。
「正月巻にございます。久遠家で正月に食べる玉子料理。私は学校に通うておる頃、年の瀬に頂き食うたことがございます」
「なんとまあ、あまり知られておらぬ料理にもかようなものがあるとは……」
ほう、おそねはやはり知っておったのか。一馬らと親しいとは聞いておらなんだが。母上は気に入られたようで上機嫌で召し上がっておる。
「日々の暮らし、料理からして変わりつつある。尾張者は本気で争わぬ国を作ろうとしているのですね」
ああ、そうだな。母上の言う通りだ。皆が変わりゆく世に僅かな不満を抱えつつも、無益な争いを捨てて共に生きる道を探しておる。
「温かい飯が食える。それが当然の国なのだ」
御所でも飯は温かいまま出すように命じた。鬼役による毒見などはしておるが、冷めて乾いた飯や冷えた汁など不味くて食えたものではない。
毒を盛られて死ぬならば、それがオレの天命だ。あとは一馬がなんとかするだろう。
まあ、セルフィーユが食材の調達から毒見などについて、御所の料理番にあれこれと教えておった故、あまり案じてはおらぬが。
古きを重んじつつ、変えるところは変えればよい。古き形は書物として残し、後の世で必要だと思うなら再び始めればいいだけのこと。
尾張では太田又助が左様なことをしておるからな。与一郎が感銘を受けてあれこれと残そうとしておる。
今年は穏やかな一年であってほしいな。難しいのかもしれぬが。
Side:織田信長
正月は清洲で過ごす。いつからか、左様な形となった。皆に城と所領を与え、それぞれが家として独立する形を廃した頃か。いや、それよりも前かもしれぬな。親父は子を集めて正月を過ごすようになった。
一馬らの暮らしを見て思うところがあったらしい。
オレは先ほどから、遠江代官である三郎五郎兄上と北尾張の代官である勘十郎と共に酒を飲みながら話をしておる。
もっともオレはあまり酒を好かぬ故、梅酒を薄めたものを舐めるように飲んでいるだけだが。
「遠江は悪うない地だが、豊かかと言われると困る。手を入れるとそれなりに変わると報告があるが、銭も人も限りあるからな」
三郎五郎兄上も変わった。以前は庶子であることから、オレや勘十郎に対して、弟ではなく主君とするように振る舞っていた。正室である母上と兄上の母では身分が違うからな。オレはあまり気にしなかったが、周囲の者が気にするのだ。
それはかずらが尾張に来てもしばらく続き、変わったのは所領を廃した頃だったか。
孫三郎の叔父上がオレたち兄弟を集め、公の場以外は皆が兄弟として生きるようにと変えさせたのだ。先々の家督争いなどを案じたらしい。
序列まで口を挟む気はなかったようだが、話す時くらいは腹を割って話せ。そう言うた叔父上に三郎五郎兄上は戸惑うておったな。
同じことを言える者は他におるまい。かずはこの手のことに口を出さぬからな。親父の下の弟である与次郎叔父上も言えぬと思う。
「駿河も思ったほど実入りはありませんから。今川は思ったほどの力がありませんでしたね」
勘十郎はなんとも言えぬ顔をして今川の名を出した。駿河遠江と二ヵ国を領有し三河も大半を従えておった今川は、かずが尾張に来るまでは恐れていた相手だ。それ故に思うところがあるのだろう。
「そうだな。されど、領地が広いのは確かだ。戦で従えるとなると難儀するぞ。内匠頭殿が今川との戦に異を唱えていたことも三河と遠江を見れば分かる」
駿河、遠江、甲斐、信濃。ここを戦で従えるとなると、いかほどの年月と費えが掛かるのであろうな。
国人や寺社を従え、かの者らが逆らわぬように治めねばならぬ。五年、いや十年はいかに早くても掛かったのかもしれぬな。久遠の力がなくば。
「兄上、関東の飢饉はいかがだ? かずが少し気にしておるのだ」
「今はあまり騒ぐほどでもない。されど、流民は増えたな。北条でも飢饉に備えをして上手くやっておるのは伊豆と北条一族と重臣の所領くらいだ。上野は言うまでもないが、あとも国人や寺社はそこまで上手くいっておらぬ。春の麦の収穫が良ければいいのだが……」
北条か。元服前の新九郎を思い出す。今は嫡男として励んでおるが、広がった所領の難しさは北条を見れば分かることだ。
あそこも新しき政を試そうとしたが、あまり上手くいっておらぬ。久遠のいない織田を見ておるような気になるのだ。
もっとも、北条はもうこれ以上所領を広げるつもりはないらしく、むしろ国人が離反しても構わぬと言いたげな様子もある。一時、織田に臣従を考えておった節もあるからな。
少なくとも左京大夫殿は、己の代で臣従をして北条を残すという覚悟がある男だ。
これ以上、飢饉が広がり争いが始まらねばよいのだが。
責める気はないが、今川も武田も小笠原も、意地と面目で戦をするだけで後始末をしないまま降ったからな。悪しき前例とならねばよいが。
「さあ、紙芝居を見せてあげますよ」
僅かに会話が途切れると、市の声がして子らが集まるのが見えた。
市は相も変わらず久遠と変わらぬ振る舞いだ。親父と母上はそんな市を見て目を細めておる。幼い子らを大切にして楽しませようとする。
その姿に皆が喜んでおるのだ。
身近な者たちで争わぬようにする。市を見ていると叶うことだと分かるからかもしれぬ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます