永禄六年(1560年)

第2377話・新年

Side:久遠一馬


 新年だ。ただ、ウチは相変わらず賑やかだなぁ。


 一応、新年の挨拶だけはきちんとしている。『明けましておめでとうございます』とみんなで姿勢を正した挨拶をした。


 あとはほんと、みんなが楽しむ賑やかな正月だ。


 ここ数年は孤児院の子たちと猶子の子たちが、みんなを楽しませようといろいろと考えてくれるのが楽しみなんだ。


 びっくりするくらい多才な子もいるんだよね。中にはウチの妻たちが楽器を演奏するのを見て、教えてほしいと学んで習得した子が何人もいるんだ。


 楽器演奏が本業に出来そうなレベルの子もいるが、あくまでも趣味だ。そもそも本業のほうでも優秀だからな。ウチの子たち。


 孤児院の子たちを猶子としたのは、留吉君を守るための緊急避難的なことだったんだけどね。みんな優秀過ぎるからきちんとした後ろ盾がいる。ほんと猶子としてよかったよ。


「おもち、おいちい」


「みんなでついたおもちだもんね!」


 みんなでおせち料理とお雑煮、それと餅をお腹いっぱい食べる。これがなにより幸せだ。この子たちが大人になった時、ウチで食べた料理が思い出となりそのまた子供たちにと伝えてくれたら嬉しい。


 この世界に来た最初の頃は、手に入らない食材が多過ぎてシルバーンから運んできた食材も多かったが、今では多くをこちらで手に入れることが出来るようになりつつある。


 まあ、日ノ本本土であまり育たない作物なんかに関しては、今もシルバーンで生産したものを運んでいるけど。主に香辛料とか。


 数の子は奥羽から運んだ品だし、黒豆とかも領内で栽培したものだ。野菜類や乳製品、肉などは牧場で生産したものだから、子供たちが一生懸命作ってくれた作物だと感謝して食べるようにしている。


「ちーち! ちーち!」


 ただ、幼い子たちは元気があり余っている。ちょっとしたきっかけで食べながら騒いでしまう。個人的に賑やかな食事は好きだが、食べ物を粗末にしないようにときちんと教えないと駄目だ。


「分かったから。こぼしたらもったいないよ」


 ああ、伊達巻も美味しいなぁ。程よい甘さと卵や魚のすり身の僅かな風味もいい。ちなみに伊達巻は『正月巻』という名前になっている。この時代にはなかった料理だったし、伊達というと東北の武士の名前を連想させるからさ。


 名前でいえば、おせち料理の栗きんとんも名前が違う。『黄金こがね栗』なんて名前だ。これ、織田家のおせち料理として年始に出しているからか、縁起物として人気だ。正月巻も黄金栗も久遠料理扱いだけど。


 エルたちがオレのためにと、元の世界のおせち料理をいくつか作ってくれたのが始まりなんだよなぁ。


 子供の頃、両親が生きていた頃に好きだった好物だ。ひとりになって正月も特に祝う必要もなかったから、こっちに来るまで何年も食べていなかった。


 栗の甘露煮と小豆芋の餡が子供たちにも大人気だ。オレも一口いただこう。


 ああ、美味しいなぁ。この甘さが子供の頃はたまらなかった。ほんと思い出の味と言ってもいいのかもしれない。


 ウチの料理、孤児院の子たちは当然習っているから作れるんだ。猶子の子たちにはエルやリリーたちの料理が思い出の味となる。


 いろいろ悩むこともあるけど、子供たちに思い出を作ってあげて家族というものを伝えられているかと思うとホッとする。


 これからも成長して元服して大人になっていくだろう。願わくは、年始くらいは戻って来て元気な顔を見せてほしい。


 この時代の人たちは同じ人間だという意識があまりない。一族、家族を重んじて他人は余所者なんだよね。織田領では少しずつ変化しているが、それだって仲間意識を持つ範囲が一族や村の仲間から織田領に広がっているだけだ。


 正直、そこはあまり変えようと思っていない。オレだって自分や子供たちを犠牲にして縁もない人を助ける気はない。今は助ける余裕がある分で助けているだけだ。


 最終的に日ノ本くらいはひとつの国としてまとまるようにしたいが、それだってどうなることやら。分からない部分はある。


 オレは決して人に褒められるような人間じゃないんだ。ただ、今少しこの手の届く範囲は助けられればいいと思っているが。


 今年も飢饉となる。どうなるんだろうな。




Side:神宮の神職


 濁り酒と古くからの縁起物は手に入った。ここ十年ほどあった金色酒や久遠物は手に入らなんだがな。


 縁起物なども遠方の末社に頼み手に入れた品だ。生きるのに必要な品は手に入るが、宇治、山田、大湊の商人は、こちらがあれこれと求めても手に入りませぬと頭を下げるばかり。


 正しくは荷留までしておらぬが、久遠が神宮と縁切りしたことで商人らが忖度しておる。特に久遠物と久遠が知恵を授けて尾張で作る品は売らぬようになったのだ。


「誰かを責めるとすると、仁科三社とあの愚か者だからな。織田と久遠を責められぬ。あれだけ良くしてくれておったのに……」


 共に正月を祝う者らも、金色酒を懐かしみ、尾張のあれこれが食いたいと嘆くが、恨み節を語る者はあまりおらぬ。


 無論、恨みを持つ者もおるが、我らからすると致し方ないと諦めの境地に達しておる。


「尾張の申すことも一理ある。そもそも神宮を一介の守護が支えるべきなのか?」


「織田は、内々だが寺社が多すぎると困っていたからな。強欲で民から奪うばかりの寺社も多い。各々で生きよと言えば出来ませぬと泣きつき、面倒を見るとなにかと理由を付けて銭をせしめようとする」


「温厚な内匠頭殿だから我慢しておったのであろうな」


 織田と久遠を恨むなど筋違いだ。銭のない粗末な寺社に縁もないというのに寄進して暮らしていけるようにしておったこと。皆知っておるからな。


 神宮には神宮の体裁があるが、それにしても織田から寄進をいただくようになり贅沢になったのも事実。今のように末社から手に入れる品と濁り酒で、慎ましく生きれば信じる者も増えたであろうに。


「そもそも朝廷も冷たいからな」


 朝廷そのものに銭がない故、致し方なかったが。朝廷は古くから神宮を厚遇しておるとは言えぬところがある。


 帝や院が神宮に参ったことは遥か古のこと。慣例もあり難しいのは重々承知しておるが、尾張や近江の御幸した際も素通りだ。


 叡山や五山が強欲そのもので贅沢三昧をしておるのを見て見ぬふりをしつつ、神宮が式年遷宮をすることも出来ぬというのに助けてもくれぬ。


 言うても仕方なきことと誰も口にせなんだが、不満というならば朝廷に対してもあるのだ。


「そういえば慶光院を妬む愚か者がおるとか」


「黙らせろ。清順殿に突き放されると噓偽りなく神宮は終わるぞ」


 愚かを通り越して乱心を疑うわ。織田と久遠が慶光院を重んじるのは、神宮と和睦する際の橋渡しのためであろう。


 我らは信を失うても清順殿だけは信じると示したのだぞ。


 まったく、新年早々頭が痛いわ。


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