第2375話・それぞれの年の瀬

Side:近衛稙家


 今年も終わるの。京の都は穏やかなまま一年を終えることが出来る。なによりそのことを喜ばねばなるまい。


 内匠頭が観音寺城にて大樹と初めて会うてから八年、とうとう政を京の都から離してしもうた。


 よいのか悪いのか。そればかりは時が過ぎねば分かるまい。されど、京の都にて血を流さずに世を変えるのは難しかろう。尾張に異を唱え文句をつけるならば、尾張と別のやり方で世を変えず安寧に導けばよいのじゃが、誰一人やろうとせぬ。


 口だけで騒ぐ輩など考慮するに値せぬわ。


 誰のおかげで京の都が戦火から遠ざかっておるのか、分かっておらぬから騒げるのじゃ。内匠頭が皆をなだめ、戦にならぬようにと配慮しておる故に平穏な日々があるというのに。


 あやつでも止められなくなると、京の都は今度こそ終わりぞ。何故、それが分からぬ。


「困ったものだと思うた大樹を羨む日が来るとはの……」


 将軍を退きたい。そう言うた大樹を引き留めるために旅を許した。あの時は考えもせなんだわ。吾が大樹を羨むことになろうとは。


 捨ててしまいたい。京の都など。欲と穢れに満ちた京の都に巣くう愚か者の顔など見とうない。


 家督も倅に譲ったのだ。すべて放り出して尾張に移り住みたい。幾度、そう思うたことか。皆で力を合わせて新たな世をつくろうとしておる尾張にて、共に働き、その先を見届けたい。


「出来ぬことじゃの……」


 吾が都を離れると、二条公だけでは公家衆や寺社や畿内の武士から朝廷を守り切れまい。今しばらく大樹と尾張の代わりに憎まれる者がいる。


 琉璃の盃にて、内匠頭から贈られた林檎の酒をひとり嗜む。


「よき味じゃの」


 米ではなく林檎から酒を造ることで、米の余り採れぬ地の糧とし、米を食える者を僅かでも増やそうというのであろう。あやつは噓偽りなく、己がおらぬようになった頃のことを考えて動く。


 助けになってやらねばならぬ。内匠頭と奥方衆の慈悲を無駄にせぬためにも。


「いつか……」


 憂いなく会える時が来たら、共に酒を酌み交わしたいの。


 あやつの見ておるものを語り明かしたい。


 そのくらいの夢は持っても構わぬであろう?


 内匠頭よ。




Side:北畠晴具


 南伊勢へと戻り、新しき田丸の御所に入った。海が近いから楽でよいの。多気御所も悪うないが、今の世は久遠のおる海こそがなによりの味方じゃ。


 武芸に現を抜かして頼りなきところがあった倅も立派になったな。尾張介や内匠頭と会うて倅は変わった。


 気になっておった神宮に関しても、今のところ大人しい。


「父上と内匠頭殿が足並みを揃えると、なにも出来ぬようでございます」


「ならばよい。わしと内匠頭で睨みを利かせる故、そなたは領内を整え、家中を変えろ」


 思うままに変えてしまえばよい。この地を。神宮は変わったあとに従わせるほうが楽でよいからの。


 ふとわしの言葉に倅が笑った。


「おかしなものでございますな。かつてはよう分からぬと疑いの目を向けておられたというのに」


 ああ、昔のことを思い出したのか。確かに怪しき者らに見えたな。


「今もすべて理解したとは言えぬ。久遠の知恵もあやつの見ておる先も、難しく奥深い」


 正直、すべてを理解しようなどと思うておらぬ。わしはもう若くないからの。されど、あやつの心は理解しておるつもりじゃ。


「なにが正しゅうて、なにが間違っておるのか。もしかすると、この世の終わりにでもならねば分からぬのかもしれぬ。ただ、北畠が今一度敗れることになっても、わしは悔いることはない」


 南北の因縁を終わらせたことは始まりなのだ。新たな世をつくるためのな。


 苦しむのはこれからかもしれぬ。祖先が南北に分かれた朝廷の下で足利家と戦った頃のようにな。汚名を被り、泥水を啜る日々になるのやもしれぬ。


 その覚悟はある。


「二度とない一年でございましたな」


「そうじゃの。後の世の者らになんと言われるのやら」


 ようやく見えてきた新たな世への芽。なんとしても育てねばならぬ。


 関東じゃ。奥羽領もある現状で関東を従えねば畿内と対峙することすら出来ぬ。前古河公方は争う気はないようじゃが、関東の諸勢力は大人しゅう従うような者らではない。


 今しばらく苦難の日々が続くの。


 それでも、無事に一年を終われることを今は喜ぶべきかもしれんの。




Side:六角義弼


 年の瀬か。父上も数日前からようやく休んでおられる。


 もっとも、近江はいささか不穏な様子だが。


 愚か者らは六角の天下だと喜びつつ、政に厳しくなった父上への不満を口にしておるという。わしの耳にまで入るのだ。騒いでおる者が多いのであろう。


 特に不満が多いのは巷で売られる品物の値についてだ。上様の婚礼後、父上は、近江の国人、寺社、土豪などに対し、尾張物と称される品物について、今後は各々の立場を考慮して値を決めると知らせを出した。


 あれは斯波と織田との誼を経て安い値で売ってもらっておる品であり、それを父上が従う者らに分け与えておったのだ。されど、近江において尾張流賦役をする際に己らの民を使わぬことに不満をこぼし怒る者が増えたことで、父上は国人や寺社との関わりを見直すと明言した。


 宿老が臣従したこともあり、今後、他家は他家、寺社は寺社と分けて扱うことにしたのだ。これは本来の守護と諸勢力の形に戻したに過ぎぬ。


 さらに保内商人に対して、八風街道と千種街道の賊騒動について今一度精査するという名目で、大元となる綸旨を今一度確かめると命じたことで騒ぎが多きゅうなった。


 叡山は静観しておるが、縁ある者らがなぜそこまでするのだと騒ぎ出した。


 もっとも今のところ挙兵するほどの者はおらぬが。宿老が臣従したことが大きく、曙殿が父上の裁定に不満を申すならば、織田はその者と商いを止めると言うたことで父上に抗議する者すら途絶えた。


 働きもせずに利を得ておった者から、利を召し上げただけ。


 織田が商いを止めると尾張物のみならず、あらゆる品が手に入らなくなり値が高騰するという。


 父上が近江のためにと、織田と誼を深めて値が高くならぬように差配していたことを多くの者が理解しておらなんだのだ。


 最早、旧来の形で国人や寺社など従えても役に立たぬと、六角は尾張から学んだこともあろう。


 まあ、わしも尾張で若武衛殿から教えを受けるまで知らなんだことだがな。


 自助努力にて生きよ。それが本来の形。されど、勢力を広げ従える者を増やすことで力を示しておった今までとは、まったく違うこととなる。


 理解出来ずとも致し方ないことか。


 年始を経て、少しでも頭を冷やせばよいのだがな。わしが言えたことではないか。



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