第2373話・学校の大掃除

Side:久遠一馬


 年の瀬も近くなり商人は売掛金回収に走り回っている。もっとも織田領では経済政策が他国とまったく違うことで、そこまで売掛金回収に困る状況ではないけど。


 特に身分や権威を悪用して支払いを拒んだりすることを禁じているので、売る側も買う側も常識の範囲内で売買をしている。


 まあ、借金を踏み倒そうとして訴えられ、俸禄を召し上げられて日ノ本の外に島流しにあった武士や坊主とか普通にいるけど。


 もちろん買う側にきっちり払わせる代わりに、ぼったくりや弱い立場の者から買い叩くようなことを禁じている。定価なんてない時代だ。悪いことをしようとするといくらでも抜け道はあるんだよね。


 ただ、この十年で尾張と近隣はそういうのが減った。比較的新しい領地だとまだ問題が多いけど。寺社と結託して弱い立場の者を騙して買い叩くなんてことが、今でも発覚して厳罰に処されているんだ。


 それでも他国の人からは信じられないくらい上手くいっていると思われるが。


 今日は学校の大掃除の日だ。恒例行事だね。ちなみに大掃除という言葉、この時代だと存在しないのでウチの造語のような扱いで普及しつつある。


「こっちは傷んでるところねえぞ」


「こっちもだ」


 校舎のあちこちでは、職人衆が傷んでいるところはないかと確認してくれている。定期的に補修してくれていることで子供たちが安心して学べる。


 中心となっているのは、熱田と津島の宮大工だ。一般の大工への技術指導とかもしてくれていて、彼らのおかげで尾張の建築物は耐震性が良くなったんだよね。


 尾張だと戦で町を焼かれることもないし、それなりに裕福な商人なんかも増えた。耐震性や見た目を豪華にした屋敷を建てる人もいる。


 熱田の宮大工に関しては、何年も前に工業村の職人衆が宮大工たちの入村許可を求めたので許可を出して以降、職人衆と一緒になって新技術の開発や一般大工への技術指導などをしてくれている。


 無論、すべての技を伝えているわけではないが、寺社ほど立派な建物は費用もかかるからね。一般大工が使える程度の技術を普及させてくれたおかげで、尾張は他国よりも立派な建物が増えた。


 宮大工としてのプライドは今でもあるが、織田家の政策を理解して職人組合を通して提言もしてくれるほどだ。地域の避難所となる寺社の改築などに関する提言もあったな。



 そのまま困っているところはないかと学校内を見て歩いていると、書物庫に公家衆がいた。


「書物は大切に扱うのじゃぞ。これを残せば、子々孫々の助けとなるものじゃからの。朝廷には千年ほど前の書物もある」


「千年……」


「凄い……」


 子供たちと蔵の掃除をしてくれているらしい。竹中半兵衛君もいる。


 さすがに書物の扱いは手慣れている。傷んでいる書物は補修をしているようで、それを子供たちに教えつつ掃除してくれている。


 彼らの評判は相変わらずいい。織田家において朝廷の価値を見直す人が出るくらいに。血を流して奪いに来るような畿内を嫌う人は増えているが、同時に彼らのように共に生きる人は迎え入れるべきだという意見も増えている。


 まあ、ここは任せていいかな。いろいろな話を聞かせて子供たちからは驚きや笑い声がする中、掃除しているんだ。


 邪魔をしたら駄目だから、そっと離れよう。


「皆様、頼もしい限りですね」


 エルが嬉しそうに目を細めている。


「そうだな。ああいう細かいことをオレたちが言う前に動いてくれる。感謝しかないよ」


 もとは今川預かりの公家衆だったんだけど。今も形としてはそのままだ。もっとも、今では普通に尾張で働いてくれているのでいい意味で気を使わなくていい。


 普段は白粉も塗らないし、言葉遣いも武士や庶民と合わせている。彼らを公家だと知らないで付き合っている領民も多いだろう。


 清洲の小料理屋である八屋の常連でもある。どこかの身分のある人というくらいの認識ですっかり尾張に馴染んだ。


 ちなみに彼らの俸禄は近衛さんが羨むくらいに高い。八屋で外食しなくても、大きな屋敷を構えて優雅に暮らせるくらいの収入はあるんだよね。


 当人たちは清洲や那古野にて、織田家から与えられた屋敷に住んでいるが。贅沢らしいことといえば、自前で蟹江に別邸を構えて温泉に入りに行くことはあるくらいだ。


 身分や家だけだと捨て扶持くらいしか与えられないが、替えの利かない仕事をされると一気に俸禄が上がる。


 外務方や学校、太田さんに任せた郷土史編纂など彼らの働きは目を見張るものがある。


「セルフィーユ殿、これでどうでしょう?」


「うん、いいわ。姫様の料理の腕前が上がったわね」


「はい! ありがとうございます!!」


 校庭に戻ると、セルフィーユとお市ちゃんが女衆と一緒に昼食の支度をしていた。


 ちなみにセルフィーユ、義輝さんの婚礼でもっとも名前が知れ渡ったひとりになる。与一郎さんと共同制作した鱧料理は上皇陛下や公家衆に衝撃を与えたほどだ。


 本人があんまり名前を売るような立場を望まなかったので、今まではエルが公の際に料理していたんだけど。今回はそんな余裕なかったからなぁ。


 エルでさえ、オレと別行動で奉行衆の手伝いというか差配をしていた。


 尾張に戻って以降は、今まで通りあちこちを回って食生活事情の確認と指導をしているけど。裏方のほうが好きらしいね。


「数年前には姫様を抱きかかえて一緒に大鍋の料理をしたのですが……」


 一方、エルはお市ちゃんを見ていた。言われて見るとお市ちゃんは大きくなったなぁ。


 料理、そもそもこの時代の貴人の女性はやらないんだけどね。お市ちゃんは料理とか菓子作りが好きらしく、オレもよく食べることがある。


 時が過ぎるのは早いと、しみじみと感じる。


 かつて遊んでいた子供たちは、いつの間にか大人と一緒に働いている。積み重ねた技術や知識を学んでいる姿は、歴史というものの末端がどうなっているのか教えられる気分だ。


「それじゃ、オレは力仕事を手伝いに行くよ」


「分かりました。私は女衆のほうを手伝いに参ります」


 一通り見て回ったので、オレも働こう。エルたちと別れて机や椅子を運んでいる子供たちのところに行く。


 寒い冬の日なのに、汗をかくほど働いている子供たちの姿に心が温かくなる気がする。


 オレも頑張ろう。気持ちよく年を越せるように。



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