第2371話・あれから……

Side:久遠一馬


 蟹江に来たついでに、奥羽の水軍所属となる十隻の新造久遠船と奥羽領への今年最後の定期船となる大鯨船の出航を見送り、一息つく。


 奥羽領向けの品物を満載した船だ。無事な航海を祈ろう。


 港には別の大型の大鯨船で運んできた砂糖が、トロッコに乗せられて倉庫に運搬されているところだった。これらはすべて領国と北畠領で年越し用に売る分だ。


 近江や遠方の領国、特に雪が降る美濃や飛騨や信濃北部なんかには冬の前に年越しのための物資を送っている。そのため、今回は残る尾張と近隣で売る分を主に運んできた。


「あれだけあれば、みんなに砂糖が渡るわね」


 ミレイの言葉に頷く。餅・お酒・砂糖くらいは、少量であっても末端の領民に行き渡るようにしている。正直、この規模になって末端まで行き渡る量を用意するのは大変なんてレベルではなく、それこそ一年がかりで計画を立てて支度していることだ。


 ただ、領民もこの砂糖を届ける価値があるくらい、みんな新しい形に合わせて頑張ってくれている。衣食足りて礼節を知るってことがまさにその通りだと感じるほどだ。


 領内でも尾張と近隣は生活水準も上がっているからね。結構な量を流通させる必要がある。


「それにしても、熊野水軍がまた増えたか?」


 港を見渡せば、熊野水軍の船がちらほらとある。織田領の船と他国の船はすぐに分かる。織田領の船だと造りがしっかりしているし、大半が黒いコールタールを塗っているので一目で見分けがつくんだ。


「評判がいいわよ。安い値でよく働くから」


 ミレイの言葉に苦笑いが出たかもしれない。熊野からは鯨関係がよく持ち込まれるんだよね。領内でも志摩半島あたりで鯨漁をしているけど、熊野も鯨が捕れるからだろう。


 熊野との定期船を要請されていた件が仁科騒動で立ち消えになったことで、こちらに出稼ぎにくるとは。たくましいというか侮れないというか。


 船自体は旧来のままなので、そこまで効率がいいわけでもないんだけど。


「熊野との行き来は大変だろうに」


「ああ、その件ね。熊野水軍、ほとんど帰っていないわよ。さすがに年越しは帰るみたいだけど」


 おいおい、ほんと出稼ぎそのものだ。伊勢と熊野の領境付近の熊野水軍がごっそり減っていると報告もあったけど、税を取る船とか最低限の備え以外はこっちに来ているっぽいんだよな。


 特に織田領との領境海域が無警戒過ぎて調査をさせたほどだ。


 さすがに畿内方面の水軍は相応に残っているが、織田領側はどうせ攻めてこないだろうし攻めてきたら勝てないと割り切っているらしい。


 熊野水軍もこの時代の例にもれず寄り合い所帯だからなぁ。織田領に近い者たちは適当な言い訳を体裁として出稼ぎに来ている。


「ちーち! ちーち!」


 海を見ていると、鏡花との子である帆乃花が楽しそうに手を引っ張った。もうすぐ二歳だからなぁ。活発に動くんだ。


 鏡花に似たのか船が大好きな子なので、一緒に船の見送りに来ているんだけど。


「そうだな。ちょっと町でも見に行こうか」


 オレたちが歩き出すと、嬉しそうにオレたちの前を歩き出す。一緒に暮らしていない子は会うとついつい甘やかしてしまうんだよなぁ。


 蟹江の港を出ると商家が並ぶ。大通りには大店だな。ただ、道は広いので許可を得て露店を出している人もいる。


「これは帆乃花様、お久しゅう……」


「あい!」


 帆乃花は道沿いにいる皆さんに声を掛けられてご機嫌だ。


 いろんな品物があるなぁ。蟹江だと奥羽領とか伊豆大島、久遠諸島からの品も割と見かける。輸送費が掛かるのでどうしても割高になるのだが、売れ行きは相変わらずいいみたい。


 なんか正月用の縁起物にと、ウチの船が運んできた品を欲しがる人が多いんだ。一部だとウチの運んでくる品が縁起物として扱われるからなぁ。


 しばらく歩いていると、鉄道馬車の駅がある。帆乃花が乗りたいらしく行列に並んだので、一緒に乗ってみようか。


 鉄道馬車も紆余曲折あったが尾張では普及しつつある。清洲、那古野、蟹江、津島、熱田とそれぞれの町中で鉄道馬車が走っているんだ。距離は長いとは言えないけどね。


 町と町の間は、清州と那古野間の鉄道馬車整備は既に工事が始まっている。


 正直、鉄道馬車自体はそこまで暮らしを劇的に変えるものではないが、欲しいという需要は多い。現状だと赤字にならないならいいかなという感じで認可をしている。


 ひとり用の乗用大八車も珍しくなくなりつつある。これ史実の江戸時代とかにあった安い駕籠でもいい気がするが、先にこっちが普及しちゃったんだよね。


 順番通りに並び鉄道馬車に乗ると、オレたちが座る席を先に乗った人が空けてくれていたのでお礼を言って座らせてもらう。


「まーま、だっこ!」


「はいはい、いらっしゃい」


 帆乃花はミレイの膝の上に座ってご機嫌だ。鉄道馬車などでは、実は身分の高い人とか年配者に譲り合いが普通に行われている。これ尾張だけだと思うが、こういう時のモラルは元の世界を超えるレベルにあるんだよね。ごく一部で。


 師走の賑わう港町ってのもいいね。蟹江だと煉瓦づくりや漆喰の建物が多いから少し異国情緒もある。




Side:神宮の者


 久遠に拒まれて一年か。神宮は奈落に落ちたと思えるほど、その立場が変わってしもうた。


 共に歩む者として神宮に参っておった織田領の者らが途絶えたばかりか、門前町であるはずの宇治山田の商人すら寄り付かぬようになった。


 宇治山田が織田や北畠と争うた時、神宮が見捨てたからな。今の町衆は織田と北畠に従う者ばかり。久遠に拒まれた我らとの関わりを極力避けようとする。


 久遠の屋敷には使者すら入れてもらえず、用向きは清洲に行くように言われて終わりだ。それ故、幾度目か分からぬ嘆願に訪れたが、幾度訪れても許される見込みはない。


 そろそろ独立してはいかがだ? 左様な話ばかりされる。


 近江御所と大樹の婚礼の際には、久遠内匠頭が多くを差配しておったというほど、今やその名は日ノ本中に轟いておる。


 慶事故、許されるかと期待してまったが、一切声が掛からぬ。内々に仲裁をしてくれる者はおらぬかと向こうに出向いた者が動いたものの、誰も手を差し伸べてくれぬ。


 足利と北畠の婚礼を成した功労者のひとりである内匠頭を怒らせるといかになるか。身を以て教えられた。


 もっとも、織田からの寄進は変わらず暮らしは困ることはない。金色酒や薬など久遠物は一切手に入らなくなったことで困る者はおるがな。


 それが余計に助けてくれる者がおらぬ理由だ。斯波と織田からは絶縁されておらぬが、祭りなどにも呼ばれぬようになったことで絶縁に等しき扱いとなったというのに。


 なんとか致したいのだが、上はどうせ数年で許されると高を括り、久遠だけならば困らぬと考えておる者もいる。


 そんな我らをあざ笑うかのように、熊野が尾張にあれこれと働きかけをしておる。もともと信濃代官殿の面目を潰したのはこちらだからな。熊野は巻き込まれたと怒っておったほど。


 織田と久遠も独立した者には相応に配慮をする故、あちらは意外と上手くいきつつある。


 南伊勢では神宮より慶光院が賑わうという屈辱を味わっておる。清順殿は確かに織田との関わりを取り持つなどよう働くが、女の身で慶光院を神宮より賑わうようにするなど、あの者も神宮を愚弄するひとりではと言われるようになりつつある。


 無論、清順殿が悪いわけではない。


 されど、久遠を恨むわけにもいかぬ。神宮内で左様な動きがあると漏れると、蟹江におられる大御所様が今度こそ兵を挙げてもおかしゅうないのだ。


 恨みやすい者を恨む。そんな己の愚かさを理解しつつ、代々の慣例と形を変えるだけの決断を出来る者がおらぬ。


 慣例にないことをすれば、末代まで恨まれるかもしれぬからな。それよりはと、現状のまま時だけが過ぎる。


 なんとも困ったものだ。



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