第2369話・師走の領国

Side:ヒルザ


 ウルザとイザベラと共に尾張に戻る前に、私とイザベラは年内最後の信濃での評定を行っている。


 正直、信濃は順調と言ってもいい。いろいろとあったし、仁科三社は今も微妙な立ち位置のままだけど。全体として見ると、かつてはなかった信濃という国での連帯感が生まれたのは嬉しい誤算だったわ。


 因縁ある甲斐や駿河との関係は、まだお世辞にもいいとは言えない。とはいえ、甲斐や駿河からの旅人が村に入るのを拒むなどは随分と減った。


 農産物の生産も悪くない。作物転換で売れる品を増やしたことや、蕎麦や雑穀の生産量が増えたわ。


 仁科三社の一件がなければ、私たちはお役御免としてこの地を離れていたかもしれない。現状だと神宮と熊野との関係が落ち着かないと、当分留任することになりそうだけど。


「領境は大変ね」


 関東の報告に話が移ると、イザベラは少し不満げな顔を隠さないままそう口にした。珍しくないこととはいえ、関東は飢饉となっていてこちらからも多少だが食料を売っている。


 それはいいのだけど、食べていけないことで近隣と争い奪うところが増えているのが関東になる。それがこの時代なの。


「上野は誰もが困っておるようでございますな」


 小笠原民部大輔殿はなんとも言えない顔ね。やはり信濃の頭痛の種は隣接している上野になる。史実と違い長尾と北条の対立が上野だけになったことで、この国が一番損な役回りになっているのよね。


 荒れている分だけ混乱が近隣にも及ぶ。上野からの流民や賊も多いわ。


「越後の関東管領殿とは挨拶を交わしたけど、そこまで強情には見えなかったわ」


「わしもそれには同意する。とはいえ今のままでは上野を諦めるとは言えぬな。いずこも同じだ。家臣や従う国人が己の利と面目のために勝手なことする。面倒になってから後始末を上にさせるのだ」


 近江に行っていたイザベラと村上殿は、向こうで上杉憲政と会っている。そんなふたりの言葉に信濃衆が考える様子となった。


 シルバーンからの報告は以前からあったわ。上杉憲政は凡庸なれど愚かではないと。ただ、彼は家臣や上野の国人衆を制御出来ていない。


 もっとも越後に逃れた上杉家臣たちも必死よ。代々守ってきた城や領地を失って越後に逃れたのだから、己の代で取り返さなくてはならないと思っている。また、国人衆も上杉と北条の間でどうすれば生き残れるのかと四苦八苦している。


 この件では正当性は上杉にあるのかしらね? 北条の名分は民を大切にしたことで民の支持があること。申し訳ないが上杉にはそこまでの支持がない。


 さらに関東の諸勢力も上杉を無条件に支持しているわけではない。北条が関東にて勢力を拡大して以降、対北条という形で争いが起こっているけど、北条がいなくなると古河公方や上杉が争いを始めるのを誰もが理解しているわ。


 無論、古河公方家と関東管領家の関係も上手くいっていない。もう現行の体制と力関係だと誰が治めても関東は争いが絶えないのよね。


 積み重なった澱みが関東という地を厄介にしている。史実の秀吉がやったように力で押しつぶすほうが犠牲も時間もかからないのかもしれないわね。




Side:知子


 季代子が戻ってきているけど、ひと月も滞在しないまま尾張にとんぼ返りなのよね。今は近江での様子を皆に話して聞かせ、留守中の確認と今後の指示を出しているわ。


 留守中には不作だった寺社領にて一揆や領民の逃亡はあったけど、概ね落ち着いている。


 どこも地元の武士が手を貸さなかったことで、寺社としては取れる選択肢があまりなかった。神仏の名で民を従えようとしても、飢えと近隣との格差で不満を爆発させた民には通用しない。


 さらに寺社といえども、常時自前の兵力を多数抱えて寺領の民を弾圧出来るところなどほとんどないわ。地元の武士が力を貸さないと動けなかったところが多い。


 まあ、今も寺社領が荒れ果てているところとか、一揆勢相手に籠城したままのところが僅かにあるけど。残念ながら同じ宗派の寺社ですら助ける者はほとんどいないわ。


 こちらは寺社領からの流民を食わせるくらいなので、ほとんど影響がないのよね。


 無論、武士も寺社も勝手をしたり悪さをしたりしている者はいる。だけど、今から織田が崩壊して昔のように戻ると楽観している人は多くない。


 言葉として適切じゃないかもしれないけど、やり過ぎない範囲で小悪事を働いている。


 私も年内に終えたい仕事をしていると、戸沢殿が報告に八戸までやって来た。頻繁に来るわけではないけど、年の瀬ということもあり挨拶を兼ねて来ている。


「お方様、小野寺でございますが、遠くないうちに降るかもしれませぬ」


 戸沢殿の報告は、奥羽に残る大物である小野寺のことに話が及んだ。


「小競り合いで力尽きたか。上様の婚礼に使者を出したようだし、近江での動きを見たのでしょうね」


 縁ある由利十二頭の一部と大宝寺と共に争う姿勢を見せたまでは良かった。実際に小競り合いはあったし、こちらも現地の判断で応戦報復をしている。ただし、経済力軍事力ともに桁が違う。


 こちらは訓練程度の小競り合いであっても、あちらとすると領境の者が小競り合いをするための支援をするだけでも負担が大きい。


 さらに日本海航路をこちらが押さえていることで、経済格差が深刻になっていた。大宝寺との同盟も検討して、近隣の長尾や最上とも結ぼうとしたが上手くいかなかったのよね。


 一戦交えるくらいはしたいのがどこの勢力も本音としてはあるけど、小野寺に引きずり込まれる形で織田と争うのは望まない。


 最上に至っては斯波一門だから動くはずがないんだけど。


「気を付けなさい。追い詰められた者を侮っては駄目よ」


「ははっ!」


 伊達も自分たちのことで精いっぱいなのよね。出来れば織田領と接していて家中が揺れている葛西に戦をさせたいみたいだけど。


 日本海側は、この様子だと大宝寺もあまり長く持たないか。


 関東を中心に来年も飢饉になると、なにがあってもおかしくないわ。場合によっては奥羽勢を率いて越後か関東に兵を上げることになるかもしれない。


 あまり考えたくない流れね。奥羽はまだまだ発展途上の地よ。この地で飢えないようにして、私たちがいなくなっても自発的に発展して行けるようにするには足りないものが多すぎるわ。


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