第2367話・冬のお坊さん

※前話の補足。

 奥羽領には、すでに定期船があります。今回はそれ以外の水軍用久遠船の輸送とそれを利用した物資の輸送の話でした。

 少し誤解を与えるような文章だったので、修正しました。




Side:久遠一馬


 十二月に入った。師走ということで尾張も忙しくなっている。


 冬は賦役の季節だ。大小様々な賦役があちこちで行われていて、すでにオレも全容は把握していない。


 尾張だと主要な街道整備はほぼ終えていて、現在はそこから分岐する道の整備や治水がメインになっている。この時代では暴れ川が珍しくないことで、治水に関してはまだまだやるべきところがある。


 ただ、一般の賦役はもうオレが細かく考える必要はなく、予算と人員と優先度を織田家の皆さんで考えて進めている。


 ひとつひとつ、オレたちの手を離れる。寂しくもあり嬉しくもあるね。


 あと、尾張では寺社の統廃合や整理縮小が進んでいる。いろいろな理由があって設けられたのだろうし歴史もある。一概に潰せとは誰も言わないが、寺というだけで人が集まることはない。


 同じ村に二つも三つも寺社があったり、宗派間の対立や勢力争いで増えたりした寺はそれぞれの寺社や宗派の判断で整理縮小をしている。理由は一言、人手不足に尽きる。


 戒律なんて知らん。偉いんだから頭を下げて寄進しろという寺社。尾張にもまだあるが、正直、人々からは見向きもされない。織田家からの俸禄があるので生きながらえているが。


 寺社の側からしても俸禄を頂いている以上、相応に維持をしなくてはならないが、出家する人が減り、寺社に預けられる人が減っている現状では維持も楽ではない。


 とりあえず、ひとつの村に寺社はひとつ。これを理想として寺社奉行の下、寺社で調整している。


「変われば変わるものだね」


「民を好き勝手に使える世ではございませぬので……」


 寺社に関する報告には驚くところと思うところがあるが、資清さんはこれも世の移り変わりだと感じているみたいだ。


 寺社が自前で管理して耕す田畑はあるが、いわゆる寺社領といえるところはもうない。寺社に対して細々とした下支えをしているのは地域住民であり、それは織田家の領民だ。


 人様の領民を使うということで、昔ほど寺社が横暴な振る舞いは出来なくなった。ただ、これ逆に言うと、地域のために働く寺社には昔より人が集まって立派になっていくんだよね。


 寺社のほうでも宗派ごとに、そういった地域住民に敬遠けんえんされる人を住職から外すなど対策はしてあるが、突き詰めると支える人が足りないところは出てくる。


「寺社とて、故郷の賦役を遅らせてまで贅沢したいところなど多くありませぬ」


 太田さんの言葉が重いな。寺社はみんなが支えるべきだが、一方でインフラや開発を後回しにしてまで、寺社を優先するべきなのか寺社でも疑問を感じているところが増えている。


 寺社の中には本堂や施設の建て替え費用として貯めていた資金を出すから、先に川に橋を架けてほしいと織田家で行っている投資を活用するところすらある。


 負担と利益、寺社でこれをきちんと考えているんだ。


「荒れ寺とか尾張だと見なくなったしなぁ」


 尾張だと真面目に働いているからこそ、荒れ寺で貧しいお坊さんが困窮しているなんてこともすでにない。


 ちゃんと食えるようにしているし、必要な施設は維持出来るように寄進なり俸禄なりで対処した。その上での寺社の行動だ。


「寺社で学ぶ中核となる寺も整いつつありますわ」


 ウチで寺社と親交が深いひとり、シンディの言葉の通りでもある。


 整理縮小と同時に、尾張で中核となる寺の整備も各宗派でしているんだよね。これには織田家から支援も出している。実は畿内と戦になった場合を想定した動きでもあるんだが。


 畿内と絶縁しても、領内の寺社を守り信仰と教えを残していく。その覚悟が尾張の寺社上層部にはある。


 対畿内の強硬派、多いのは寺社なんだよね。知識人だけあって歴史や畿内の事情を知るだけに、畿内を信じていないんだ。


 最近じゃ、尾張は寺社まで勝手なことをしていると言われる始末だ。普通は末端の寺社を増やすからね。裕福な地なら特に。


 もっとも、そんな努力の結果、領内でも寺社は相応の地位を守り信頼される立場として残っているが。


 ほんと、変われば変わるものだよねぇ。




Side:とある寺の坊主


 師走となり、近隣の村の者らの様子を見て歩く。困っておる者はおらぬか。借財などで苦しんでおる者はおらぬかとな。


「これはお坊様!」


「腰の具合はいかがじゃ? あまり無理するでないぞ」


「はい、ありがとうございます」


 冬の間は皆が賦役に出てしまうので、村に年寄りと乳飲み子くらいしかおらぬ。あれこれと内職をする年寄りらに声を掛けて、無理をせぬようにと言い聞かせる。


 尾張では賊など出ることはあまりないが、さすがに危ういとのことで数年前からは村にも警備兵が置かれるようになった。その者らとも話をして、あまり具合がようないと聞く者のところへと足を運ぶ。


 戦もなく、飢える者もおらぬ。とはいえ、皆が忙しく働いていることで、具合が良うないなど言えぬことも出てくる。


 皆で助けてやらねばなるまい。


 もっともこれは我らのためでもある。かように働かねば、我らのことなど忘れられてしまうからの。


 寺領を手放し、税を取り立てることがなくなったことで暮らしは楽になったが、近隣の者らと会う機会も失うこととなった。


 税を払うわけでもなく寄進もせぬままでは頼れぬと、遠慮する者も増えたのだ。同じ頃、織田家の武士が村々を回り、あれこれと話を聞いて細かな助けを出したこともある。


 このままでは居場所を失うと、わしは自ら近隣を訪ねて歩くことを始めた。


「お坊様、これ持って行ってくだされ」


「おお、美味そうじゃの。いつもすまぬの」


 皆のところを歩いて、時には話をするだけになることもある。されど、かような日々も悪うないと思うようになった。


 少なくとも争い血を流す日々よりはいい。


 近江では叡山の者らが勝手な振る舞いで暴れ、管領代様が罰を与えたとか。それが日ノ本の仏法の総本山を自任する者らの所業だ。


 かような者らに従うは、神仏の教えに背くようなものであろう。己を律することも出来ず、なにが仏法だ。


 尾張に生まれてよかった。この地で出家し生きられてよかった。


 これから生まれてくる者たちのためにも、この国を皆で守り支えて行かねばならぬ。


 畿内のような地獄の国に戻るのはごめんじゃ。


 わしは、祈り、近隣の者らの助けになることしか出来ぬがな。



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