第2364話・奥羽の地にて

Side:由衣子


 生まれた赤ちゃんは女の子だった。名前は事前に司令と相談して決めてあることにしたけど、実はこれから決める。私と司令なら通信機で連絡取れるから。


 通信機越しになるけど、ちゃんと顔を見て決めたいと司令が言ったからだ。今も通信機越しに赤ちゃんを見て喜んでいる。


『可愛いな。どうしようかなぁ。名前』


 女の子は一生の名前になるから、候補をいくつか考えてふたりで決める。これは長女である希美の時からそうしている。


 この子が気に入った名前がいいかなと候補の名前で呼んでみるけど、どの名前で呼んでも喜んでくれる時は喜んでくれるし、眠そうな時は寝てしまう。


 我が娘ながら、なかなかマイペースだ。


「年末には帰るから、もうすぐ会える」


『もうすぐって、尾張に戻ってくるのか? さすがに危ないだろ』


「大丈夫。年末はみんなと一緒にいたい。それに船に乗れないのが慣例になると困る」


 出発をギリギリまで伸ばして、生後一か月を迎えてから戻ることでみんなと話をしている。船は動力がある偽装船だから、万が一の心配もない。


 それでも司令は心配しているけど。


『うーん、由衣子と赤ちゃんの体調とか判断して大丈夫ならいいけど……』


 この世界での生活も長くなり、奥羽での生活も数年が過ぎた。いろいろと変わったこともあるけど、司令と私たちの根幹は不思議と変わっていない。


 司令は時々別人に思えるほど変わった。武士らしくなり時には厳しく冷酷になることもある。でも、私たちと一緒の時はあの頃のままだ。


「うん、そうする」


 悲しみが多く、生きるだけで精いっぱいの奥羽も変わりつつある。ひとりまたひとりと私たちと共に頑張ってくれる人たちが増えた。


 特に毎年夏に八戸と十三湊で打ち上げている花火の効果は大きく、奥羽の人たちの誇りとなりつつある。


「今度、奥羽を見に来てほしい。きっとみんな待っているから」


 司令が奥羽に来ると、この地は変わる。最後の一押しとなる気がする。斯波家と織田家の東国統一には欠かせないと思う。


『奥羽かぁ。一度行きたいんだけどね』


 私はあまりの悲しみと苦しみを前になにも出来なかった。ただ、みんなと一緒に少しずつ変えていく礎くらいは築けたと思う。


 私は……、自分の無力さを痛感させるこの地が嫌いだった。でも今は少しだけ好きになった。


 この子も、自分が産まれたこの地を少しでいいから好きになってほしい。ただ、それだけでいい。




Side:久遠一馬


 冬、寒い季節だが、燃料用の薪や炭は領内に安定供給出来ている。


 山の村のみんなが領内各地で広めた植林と炭焼き技術が、本当に役に立っているんだよね。あと竹林も各地に設けて竹細工や竹炭を生産している。


 今年からは甲斐や信濃で技術指導をしていて、一部は奥羽領に派遣した。燃料問題と森林資源の管理は、ほんと大切だからね。


 農業改革とか炭焼き技術の伝授、その積み重ねた成果が今出ている。関東を中心に東国は不作で米や雑穀ばかりか燃料までも高値になっている地域があるが、織田領では物価安定が出来ている。


 北畠とか六角、北条には、なんでそんなことが出来るのかと驚かれるが、関係者の努力という一言に尽きる。


 何度か言っていることだが、有用で世の中の役に立つ技術はこの時代でもたくさんあるんだ。ただ、それを寺社なりが秘匿してしまうことで普及せずみんなで活用することが出来ないでいる。


 まあ、これも寺社を一概に悪者に出来ないんだけどね。褒める気もないが、武士と寺社の関係も一言では言えない難しいもので、寺社を閉鎖的にしているのは武士でもあるから。


 所属や立場を超えて協力出来る体制を整えることが出来た。これこそ、尾張の強みだ。


「殿、この報告でございますが……」


 いい報告もあれば悪い報告もある。望月さんが持ってきたひとつの報告書にエルたちと顔を見合わせた。


 炭焼き技術が流出しているというものだ。事前に教えた村以外に広めるのを禁じてはいたが、ここまで領地が広がると情報管理に限界がくる。


「漏らしたのは旅の坊主か。悪気はないんだろうな」


 忍び衆の調査結果、領内で炭焼きを何度も見た旅のお坊さんが教えて歩いていると判明した。これ織田領内の寺社からも同じ報告が上がっているんだよね。


 真面目な寺社には便宜も図っているので、こういう報告は上がってくる。


 他国に漏れたものはいくつかある。海苔の養殖技術や南蛮米や南蛮麦と呼んでいるウチが持ち込んだ品種も一部に漏れている。もうF1種でないので漏れるとそのまま増えていっちゃうんだよね。


 まあ、東国はもう脅威となる相手も多くないし、オレとしては漏れても構わないと思っているが。およそ十年という間、守り通した領内の皆さんに感謝するのみだ。


 ちなみに漏らした勢力には警告をして場合によっては制裁も課しているが、今回のような個人が相手だと面倒になる。


 ほぼ間違いなく善意で行動しており、こちらが怒っても首が欲しいならどうぞという態度すらある。


 そもそも織田家だって、ケチって技術を秘匿しているわけじゃない。他勢力に要らない力を与えるとそれが争いの原因になるのが一番の理由だからだ。


 元の世界では敵に塩を与えるなんて創作された逸話もあったが、あれ実際にやるとかなり面倒なことになるんだよね。


 さすがに今の織田家に戦を仕掛けるところはあまりないが、余力が出ると弱いところや因縁あるところを叩くのがこの時代の人だ。最終的に泣きを見るのは織田領以外の弱い立場の人になる。


「寺社奉行に回しておいて。一応、警告と説得はしよう」


「ははっ!」


 お坊さんならどこかに伝手があるだろ。ぶっちゃけ漏らしてもいいが相手を選んでほしいというのが本音だ。寺社あたりで管理して大人しく現地の人が使う分には文句をいうつもりはない。


「仕方ありませんね。現状の体制でさえ出来過ぎです。船や鉄砲など戦に関わる技は依然として漏れていませんから」


 確かに、エルの言う通りだろう。尾張公儀の体制は安定しつつあるが、各領国は代官の力量がまだまだ大きい。さらに在地の元国人衆や寺社によって統治に差があるところもなくはないんだ。


 織田領の皆さん、同じ日ノ本という感覚あんまりないからなぁ。元の世界の外国のように他国を見ている。情報や技術が漏れないのはそれが理由だろう。


 ほんと己の身ひとつで旅をすることには敬意を払うが、彼らの行動が時として弱者を苦しめることになると自覚してほしいね。



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