第2363話・帰路にて

Side:毛利隆元


 桑名へ向かうため、久遠船にて尾張を離れる。


 秋穂の水軍衆を蹴散らした時も、これと同じ船がおったのだとか。願わくは南蛮船、尾張でいう恵比寿船にも乗ってみたかったが致し方ない。


「若殿、長らくこの国を見聞なされましたが、いかが思うのでございまするか? 公方様と尾張の関わりを大殿は気にしておられましたが……」


 遠くなる蟹江湊を見ておると、父上の家臣が問うてきた。いろいろとぶつかることもあるが、この者はこの者なりに毛利のことを考えておるのだ。


 分かり合うのは難しいがな。


「今までと同じと思うと上手くいかぬであろうな。南北の和睦をとりなしたのは尾張だ。特に内匠頭殿。あの御仁がおればこそ、足利も北畠も前に進めたのだと思う」


 父上ならば公方様と尾張が争うのを望むかもしれぬな。近江より西は少なからずそれを望む者がおろうが、斯波と織田は承知のはずだ。


 争うた時のための手はすでに打ってあるとみるべきであろうな。


「ふむ……。されど、尾張と西国では遠すぎまするが?」


「左様だな。今は遠い。だが久遠の本領は遥か東の海の向こうだという。西国と久遠の国、いずれが近いのであろうな? 秋穂での海戦の先例もある」


「その気になれば動けると考えたほうがよいか……」


 大内の御屋形様が生きておられればな。上手く尾張と西国を取り持てたかもしれぬ。見てみたかったな。御屋形様が尾張と通じていかに国を豊かにするのか。


「父上は天下でも欲しておるのか?」


 その言葉に父上の家臣は閉口した。もう若くはない。左様なはずはないと思いたいが、元よりあまり先々のことを考えておるお方ではないからな。父上は。


「そなたが父上にいかに申し上げてもよいが、あの国を甘く見るのだけは止めておけ。天下無双の武勇や智謀があっても、おそらく尾張には勝てぬ。わしの言葉など信じぬと一笑に付すかもしれぬが。心の隅にでも覚えておけ」


「若殿、某は左様なつもりなどございませぬ」


「ならよい。わしも少し言い過ぎた」


 正直、言うと分からぬことだらけだ。ただ、大内の御屋形様を思い出すと、おぼろげながら先が見えてくる気はする。


 尾張が望まずとも畿内や西に巻き込まれるのではあるまいか? 御屋形様のように畿内に関わるのを拒み続けるのか?


 仮に織田が西国を呑み込もうとなった時。大人しゅう従ってしまえば毛利の価値は高まるはず。されど、大きゅうなった毛利にそれが出来るのであろうか?


 隆光殿は自らが大内家の後継となることは望むまい。されど、織田が西国を従えようとすれば出てくるはずだ。御屋形様の眠る尾張を守るためにな。


 太平の世は近くまで来ておる。あとは、それが畿内より西に広がるかどうかなのかもしれぬ。


 謀ばかりする毛利か。わしが織田ならば要らぬと拒みそうな気もするな。




Side:久遠一馬


 文化祭が終わると、織田家では師走に向けて動くくらいだ。


 そんなこの日、ひとつの報告に頭を悩ませる。


「徳があろうがなかろうが天には勝てぬか」


 農務総奉行の勝家さんの表情が渋い。甲斐の米の生産量の報告が届いたのだが、なんというか、毎年のように低い生産量になんとも言えないのだろう。


 勝家さんは『徳』と言っているが、実際問題、同じように斯波家と織田家で治めている土地なのに貧しい地域は貧しいままだ。徳を積んだところで意味があるのかという疑問は真剣に語られるようになった。


 無論、個人単位では徳があれば悪いことが起きないなど信じている人は未だに多い。ただし、政治に関しては徳があまり関係ないだろうというのが織田家評定衆では言われていることだ。


「寺社から古い日記などを借りて調べましたが、あの地は昔からこんな感じのようです。そういう土地なのでしょうね。恐らく不作になりやすい理由があるんですよ」


 織田家では寺社との関係が良好なことで古い時代からの記録が手に入る。それをもとに賦役を決めることもあるからな。それらを調べると、豊かになれない理由が見えてくる。


「大豆や雑穀が上手くいっておるのが救いだな」


 甲斐に普及予定の果樹は信濃でテスト中だ。一部は甲斐でのテストもようやく開始したが成果となるには数年はかかる。


 街道と灌漑整備、それともう収量の悪いところは大豆、粟、稗など作物転換を図っている。そちらは成果が出ているんだよね。


 費用対効果を考えると甲斐の開発は限定して居住地域を制限したいところだが、その地にはその地の歴史があり開拓した人たちがいる。要らないと安易に放棄出来ないのが実情だ。


「他国ではなぜ、織田だけ米があるんだと首を傾げていますよ。こちらの苦労は見えませんからね」


 東国は全般的に不作傾向で関東なども不作が酷い。ただ、織田領だけは甲斐信濃を含めて米価が安定していて飢えていないことから、少し他国の事情を探るような人はなぜだと疑問に感じている。


 そりゃあ、十年も前から農業改革をして、金蔵なんか後回しだと米蔵を次から次へと建設して備蓄したんだ。当然なんだけど。各地にある元国人衆の城ですら、米蔵には八割は確実に米がある状況にしてある。さらに地域によっては寺社の蔵でも食料の備蓄を織田家としてしている。


 他国だと籠城前みたいな備蓄量が普通なんだ。


 この辺りはウチが指南と道筋を示したあとは武士の皆さんが頑張ってくれた。おかげで織田領になる前から米を買うような相手や、現地の代官と血縁などがあるなどして支援が必要な相手には不作になっても商売を継続出来ている。


「今までと同じように、長い目で見て領国を育てねばならぬということでございますな」


 まあ、米の品種は寒冷地向けのやつもあるので、その気になれば収量は増やせるが、現状はその前に地道な改革がいる。


 風土病対策も始まったばかりだしね。来年も飢饉が続くことはほぼ確定していることから、こちらも気を抜かず備えないと。




◆◆

 永禄五年、近江御所落成と足利義輝の婚礼祝いに訪れていた諸勢力が、尾張を訪問したという記録が残っている。


 すでに日ノ本一の国と称されるほど尾張の隆盛は諸国に伝わっていた。それもあって斯波義統に同行の許しを得て、義統の帰国に同行した者が多数いた。


 奥羽や関東など東国の独立勢力の多くが同行をしていて、さらに土佐の一条兼定や安芸の毛利隆元など西国四国からも同行者がいたことが分かっている。


 両名は親交があった大内義隆の墓を参りたいと、尾張大寧寺を訪問したことが記録に残っている。


 大内義隆の一代記である『義隆公記』には、隆元が義隆の墓の前でその死を悼み嘆いていたと記されている。その様子から西国では、義隆の死の影響がその当時でも強く残っていたことが窺える。


 隆元は織田学校文化祭も見物しており、その際に久遠一馬と偶然会い会話をしたとされる。具体的な話の内容は残っていないが、同行する者たちに対し、一馬を並び立つ者がいない英傑であると語ったと伝わる。


 

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