第2357話・平穏な日常へ
Side:北畠具教
父上とシンシアらと共に伊勢に戻った。領内に入ると出迎えようと多くの民が沿道で待っていた。皆、此度の婚礼を心から喜んでおったな。
その様子は尾張に劣らぬのではあるまいか。近頃は尾張と比べて、尾張に追い付こうと必死であったが、こうしてみると領内も変わったのだなと実感する。
領主と民がひとつとなると、かように違うものなのだと改めて教えられたわ。
田丸御所に戻るなり、留守を任せた者らと宴だ。
「ようございましたな。これでようやく祖先に顔向け出来まする」
「あまりにも長き時が過ぎました。今の世で足利と争うことはもうない。これでよかったのでございましょう」
素直に喜ぶ者らもおるが、祖先を思いしんみりと酒を飲む者も多い。伝え聞く南北朝の頃の話がいずこまで正しいのか、誰にも分からぬが。
すでに南朝も北朝もないのだ。
「皆、この婚礼を持って南北の争いはすべて水に流せ。過ぎ去りし日々よりも今日と明日を生きようではないか」
分かっていることだ。されど、言わねばならぬ。父上は同席するが、最早、口を出さぬと言わんばかりになにもおっしゃられぬからな。
言葉とせねば伝わらぬことも多いし、わしが言葉とすることで納得する者もまたおろう。
足利の世がいつまで続くのか。まことに一馬が考える通り足利が退いて織田が世をまとめるのか。オレにも分からぬが。
いずれにせよ、古き栄華にしがみついた者が先達を超えることはあるまい。
「ははっ!」
手にしていた盃を置き、家中の皆が平伏した。父上とシンシアらと共にその姿を眺め、わしは笑みをこぼしているかもしれぬ。
前に進まねばならぬからな。世は変わった。今の世で朝廷が割れたとて、かつてのように天下を割るようなことにはなるまい。
朝廷は敗れし者を助けてくれることはない。此度の足利との婚礼で奇しくもそれを多くの者たちは理解した。
朝廷に頼らず生きる。それを成さねばならぬ。なんとしてもな。
Side:六角義賢
諸国の者らが帰国し、院も御還御された。上様は再び病となられ御所も静かとなり、奉行衆が務めに励んでおる。
政所の伊勢が降ったことで、そちらとの調整がいろいろとあるが、今のところ大きな懸念になることはない。
若狭の管領は面白うないようで方々に書状を送っているらしいが、すでにあの男の書状では丹波すら動く者がおらぬようになりつつある。
此度の一連のことで諸国から参った者らは、わしを羨み近江の隆盛を妬む者すら現れた。人とは愚かなものよ。
懸念とするは叡山と近江国内であろうか。叡山は力も銭もある故、今は大人しいが。この先こちらが尾張のように変わると必ずや不満を抱くはずだ。叡山や坂本などがなにもせぬままに同じく栄えて豊かになることはないのだからな。
近淡海の湖賊など、御所造営や慶事の賑わいのわりに利が回らぬと不満も出始めておる。無論、上様に献上などをしたところには相応に利を回したが、かの者らは近淡海がもっと多くの者に使われることを望んでおったからな。
さらに多くの国人衆はわしの家臣ではない。守護という立場と力がある故、従う者らに過ぎぬ。こちらから命じて変えると恨みが残る故、変えてやる気もない。
突き詰めると、いずこの者も働かぬというのに己の血筋や家柄で利だけは得ようとする。その利をいかに生み出すのか。働いた者らのものではないのか。左様なことを考えもせぬ。
臣従した宿老と家臣と共にわしは共に働く者らと新たな近江を作らねばならぬ。いつまでも勝手な者らに配慮をする気はない。
今日から再び六角家を変えてゆかねばな。
Side:久遠一馬
三日間の歓迎も終わり、多くは領国に帰って行った。北条氏康さんと古河公方は船で伊豆まで送るのでまだ残っているが、あとの関東と奥羽の者たちは陸路で帰る。
向こうから頼まれることもなかったし、こちらから船で送ろうと声を掛けるほど親しいわけでもない。こういうのってデリケートな問題なんだ。声を掛けたほうはいいが、断られると角が立つ。
自力で来たんだから自力で帰るのが一番だろう。
まあ、帰る途中に尾張を少し見物したり尾張の寺社を参拝したりする人はそれなりにいるみたいだけどね。
毛利隆元さんが参拝した大寧寺なんかは、土佐一条の一条兼定さんが立ち寄ったそうだ。義隆さんは土佐一条から養子を迎えた縁があるからな。墓参りがしたいのだろう。
あとは蟹江に行って恵比寿船や久遠船を見た人は割と多かった。今回近江から戻ったのは東山道経由で陸路だったからな。恵比寿船や久遠船に乗る機会がなかったんだ。
彼らが旅立ったことで、ようやく尾張は平時に戻ることになる。義統さんたちを含めてお疲れの皆さんがいるから、なるべく休めるようにしてあげないと。
無論、オレも適度に休んでいる。今日も仕事の合間に、蟹江に先日生まれたエイミーの顔を見に来ている。
「あ~あ~う~」
抱っこしてあげるとご機嫌な様子で笑ってくれた。ついさっきまで眠っていたんだけどね。いい夢でも見ていたんだろうか?
今日はちょうど孤児院の子たちが来ていたので、蟹江の屋敷は賑やかだ。
「エミールさま、書物持ってきました!」
「ありがとう。そんなに気を使わないでいいワケ。みんなもゆっくりしなさい」
産後の様子もいいエミールのお世話をしてくれたり、エイミーや鏡花との子である帆乃花や湊屋さんの孫たちと遊んでくれたりしている。
「あかご、げんき!」
「さむくない?」
孤児院の子たちだと、小さい子たちも赤ちゃんには慣れている。エイミーに優しく話しかけたりして楽しげだ。
「殿様、肩をおもみ致します!」
「えっ、そう? じゃお願いしようかなぁ」
子供たちを見守っていると年長の子に声を掛けられた。一緒に遊んでいていいのにな。でもせっかく考えてくれたんだし少しお願いしようかな。
孤児院だとお年寄りの肩もみとかもするから慣れているんだろう。程よい力加減で気持ちいい。
肩がこるほど無理をしたつもりはないんだけどね。
「あ~、気持ちいいな」
「とのさま! あたしもやる!」
「おらも!」
うん? いつのまにか肩もみする順番が出来て並んでいる。なんか奇妙な光景だな。
断るのもなんだし、ひとり三分くらいずつやってもらおうかな。
ほんと子供たちはいいね。いろんなことを楽しげに挑戦するんだから。
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