第2350話・熊野水軍の動き
Side:久遠一馬
蟹江で数日、祝いの使者の応対をしていると面白い話が聞けた。大半は世間話レベルの話だけど、巷の話は世の中の現状を聞けるので重要だったりする。
尾張全体では義輝さんの婚礼が話題だけど、蟹江だと足利家より北畠家の慶事を祝う雰囲気だ。まだ近江から戻っていないが、晴具さんが暮らしているからね。
「尾張では人が集まらず、船が出せなくなることが相も変わらずあるようでございまする」
頭の痛い問題を教えてくれたのは、蟹江で人足や船乗りの仲介業をしている商人だった。
尾張には諸国から人が集まる。流民や牢人やその他諸々。中には船乗りとして尾張に来て、そのまま船を降りてしまい定住する者が後を絶たない。
まあ、これは何年も前からあったことだが。
当然、船主は途中で降りるのを禁じるものの、織田の船以外は船の中で寝泊まりするようには出来ておらず、湊に到着すると人を上陸させるので逃げ出してしまうんだ。
船員の旅費と入国する時の関税は船主が出すので、タダで尾張に来ることが出来る仕組みになりつつある。船主のほうでも織田領への船は妻子持ちを使うなど考えているが、それでも逃げ出してしまい帰れなくなることがある。
そうなった場合は、結局、織田領で船乗りを探すしかない。当然と言えば当然だが、織田領の船乗りを雇う費用は他国からすると安くはない。下人の如く悪銭鐚銭のはした金で働く人が少ないからだ。
しかも他国の船を信じられないからと、前払いで払わないと雇われる人がいない。雇われたものの後払いにしたら約束の報酬を出さなかったという事例が割と多くて、織田領の港町で噂が広まったためだ。
権威や武力で脅してなんてことが当然な時代だからな。下民扱いされる船乗りが泣きを見ることが割とあった。
これ織田家でも対応していて、船乗りや彼のような人材仲介業に不当に支払いをしなかった相手の報告をさせてブラックリストを作成している。
結果として過去に約束を破った商人や寺社の船は、織田領での商い禁止など制裁を加える。まあ、その前にしかるべき人が謝罪に来て賠償するので商い禁止までに至ったところは少ないが。
とはいえ、一度そういう問題を起こしたところは情報として広まるので仲介業は仲介を拒否するし、船乗りも誰も仕事を引き受けないんだ。
無論、そこに商機を見出す人もいる。ブラックリストの船相手に高額で船乗りとして働く人が多くはないがいるんだ。相対的に人数が少ないので出航出来なかったり、無理して少人数で出航したりするところはあるが。
「こちらは商いを止めても困らないからなぁ」
「はっ、ご下命通り厳格にしておりまする」
織田家としては商いの相手を選んでいる。正直、他国との商いは配慮からしているのであって、止められても困らない。基本、織田領と久遠領の内需だけで経済は回せるし。
ただ、余所は権威権力で命じて抑圧することで人を従えるから、暮らしの格差で逃げ出すことはもう止められなくなりつつある。
「そういえば熊野水軍はどう?」
実は、この件で利を得ているのは熊野水軍だ。
「はっ、人を貸すことや、代わりに荷を運ぶなどしておりますな。かの者らは大人しゅうしておりまする」
熊野水軍、定期船の話が無期延期になった頃から出稼ぎにくるようになったんだよね。
大湊や安濃津ばかりか蟹江にも熊野水軍の人が増えている。船乗りが足りなくなった船に人を貸したり代わりに荷を運んだりしているんだ。
海上輸送の需要は右肩上がりだし、織田領なら良銭の報酬が手に入る。滞在中は織田領民向けの物価で食事なども出来るし着物や鉄製品など必需品も安く買える。
領海で案内したり海賊行為をしたりするより、織田領で輸送業をしたほうが暮らしは良くなると気付いたみたいなんだ。
もともとあの地域、こちらの海上ルールを守ってほしいと頼むと素直に従っていたからトラブルもない。熊野水軍相手に報酬不払いなどする相手には熊野三山が出て行って払えと言う。
まあ、上手いことこちらに合わせているんだよなぁ。
Side:熊野水軍の男
オレは少し前から、織田領と他国の間で荷を運ぶ船に乗っている。昔は領海から出る時は他国に商いに行く時とか限られていたんだがなぁ。
近頃は暇な船と人を織田領に出している。こっちのほうが暮らしが領海よりいいから文句なんてねえが。
熊野の領海でおかしなことをする船もまだいるが随分と減った。そんな船は織田に知らせているからな。商いをしてもらえなくなるとか。
熊野を守るのは熊野様でなく、仏の弾正忠様だという笑い話すらあるほどだ。
「ええい、話にならぬ! 人を寄越せ!!」
蟹江に到着して検疫とやらを受けて町に出ると、よく見る揉め事に出くわす。船で使っていた者らが逃げ出したんだろう。
「だから、これがこちらの相場だ。前金で全額! ないなら運んできた荷でも割符でも出せ!」
「前金など聞いたこともないわ!」
「尾張の流儀が気に入らんなら帰れ!!」
騒いでいる男の相手をしている商人が苛立った様子だな。相手は畿内者だ。ここだと東国の者より嫌われているから扱いがようない。
「そこのお方、こちらで人を貸そうか」
ああ、船頭がそんな揉め事に稼ぐ好機だと介入した。
「ん? 己は?」
「熊野の者だ。ここの相場よりは安く人を貸してやるぞ。後払いでもいい。ただし後でおかしなことをすると熊野様を敵に回すことになるがな」
船頭は交渉を始めたが、まだ高いと畿内者はごねている。どこぞの寺社の荷なのだとちらつかせて従わねばためにならぬと脅しておるが、左様な脅しが通じるわけがなかろう。
そんなことをしていると顔馴染みの警備兵がやってきた。
「またか……。いかがだ?」
「駄目かもしれん。こちらの値でも高いそうだ」
「熊野の者らはまっとうに働いているというのに、畿内者ときたら……」
まずは舐められぬようにと強気に出る。ようあることだが、織田領だとそれが一番嫌われる。蟹江でさえ、畿内者お断りと札を出した商家がいくつもあるのもそのせいだ。
「なあ、新しい飯屋とかあるか?」
「おお、北の町外れに美味くて安い飯屋が出来たぞ。日替わりだが、美味いらしくて賦役の者らが集まっておると言う話だ」
船頭たちを見つつ、こちらは警備兵から蟹江の話を聞く。今日の夕飯はそこに行ってみるかなぁ。
しかし畿内者は愚かだな。大人しく商いをすれば、ここほどいい町はないってのに。
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