第2348話・幻影・その二
Side:毛利隆元
尊氏公の二百回忌の時には毛利の居場所がないと思うほどであったが、此度は幾分和らいだ。数年の時が過ぎたことと父上が朝廷や公方様に献金しておったからであろう。
されど……、世の移り変わりは早過ぎる。
尾張の隆盛は最早、東国に収まらぬほどとなった。斯波、六角、北畠の三国同盟が世を動かしておる。
特に斯波だ。武衛様が唯一直臣としておる仏の弾正忠殿の治世は、戦をせぬまま所領を広げ、世を安寧へと導いている。
内心面白うない者も多いようだが、その治世をすべて否と言える者はおるまい。少なくとも愚かな争いを減らしても世は治めることは叶うのだと誰もが知ってしまった。
時が過ぎ、毛利のことを理解してくれる者は増えたが、所詮は争うばかりの武士でしかないと思われておるのが現状か。戦で周防と長門を平定した毛利が信を得ることなどないし、銭を献金する分だけ話を聞いてくれておるだけ。
近江においても尾張と通じる治世をしておられた今は亡き大内の御屋形様の道が正しかったのだと、皆が思うておるのだ。今更、国人を束ねることで国をまとめたとて、父上が望むほど毛利が認められることはない。
「陶殿や父上は動くのが遅すぎたのか。それとも大内の御屋形様が諦めるのが早過ぎたのか」
周防と長門をほぼ平定したが、次は尼子と争わねばならぬ立場となった。これでは陶殿とやっておることは同じだ。父上は陶殿より人の心情を察して配慮をする故、国人衆を束ねるのは上手いが、言い換えるとそれだけだ。
戦で争うだけでは駄目なのだ。されど……、家中でそれを理解しておる者はおらぬと言うてもいい。
大内家の豊かさがなぜ消えたのか。未だに理解しておらぬ者ばかりなのだ。
大内家の富を生み出しておった商人と職人は、御屋形様が尾張にくれてやった。隆光殿と共にな。これはわしの勝手な考えだが、御屋形様は西国では駄目だと思い、大内家の財となる者たちを尾張にくれてやったのだと思う。
「殿……」
近習が案じるような顔をした。共に大内の御屋形様を知る者ならば、毛利家中で数少ない世が見える者であろう。
あとは父上も弟たちも国人衆も誰も見えておらぬ。
武威を示したところでなにも変わらぬ。皮肉なものよな。わしは父上のような武勇もなく国人衆を従える自信がない。されど、それ故に見えてくるものがある。
とはいえ、わしでは家中をまとめて大内の御屋形様の真似は出来ぬ。
分からぬのは三国同盟が畿内以西をいかにするかということだ。尾張は数年前から上洛を望まれても拒んでおるという。このまま畿内に深入りせずに今ある所領を治めていくだけなのであろうか?
毛利は陶殿と同じ道を辿るのやもしれぬな。御屋形様の影に怯え、世の流れに合わせることが出来ずに……。
意地を張らず天下の動きに従えばいいが。周防と長門など増えた所領の者らがそれを妨げるやもしれぬ。
「ここまで来たのだ。公方様の宴が終わったら尾張に足を延ばしてみるか」
御屋形様の墓は周防にもあるが。首は隆光殿が持ち去り、御遺体は大寧寺の者が陶から隠すために密かに埋めたらしく所在が分からぬままだ。せめて首のある尾張の墓に手を合わせて帰りたい。
それに見てみたい。御屋形様がなにを尾張に見出しておられたのかをな。
side:織田信秀
十月も半ばとなり、すでに冬の寒さが身に染みるこの日、御所にて茶会が開かれておる。上座には院がおられ、上様以下、諸国の守護やそれに準ずる者らが勢ぞろいした茶会。
足利の家紋が入った白磁の茶碗に茶を淹れておるのは、シンディとナザニンと春らになる。今日は尾張流の茶会なのだ。
椅子と食卓での茶の湯に僅かに驚く者もおるが、院が自ら習い振る舞うことがあるものだ。すでに知らぬ者はおらぬか。
近江にて連日のように続く宴、歌会、茶会に出ておると、三国同盟のありがたみを痛感する。
始まりこそ偶然であったはずだ。塚原殿との縁、
面目を傷付けぬように知恵を貸し、時には手を貸しておった。尾張では、同盟ならばもっと己が力でやれという声がなかったわけではない。されど、一馬らは左様なことをいう者をなだめじっくりと育てた。
近江に残る家中の皆も、一馬が三国同盟を育てた意味を理解したはずだ。織田だけならば四面楚歌になっておったのかもしれぬ。
戦にて勝てば、京の都を制するくらいは出来たはず。されど、その後をいかにするのか? 足利や斯波を担いで今の三好のように動いたとて、苦労は目に見えておる。
世を平らげ朝廷に連なる権威で足利に成り代わって治めるのか? それこそ軽々に城から出られぬかつての上様のような立場になるだけではないか。
安易に家が滅ぼされることがない世が必要になる。所領などにこだわらずとも生きていける形がな。
一馬らは初めからそれが分かっていた。わしも守護様も何一つままならぬ身分などのぞんでおらぬからな。それを察すると我らに合わせて新たな形を模索した。
すべては一馬とエルの思惑のうちなのかもしれぬ。
温かい紅茶を御所の侍女らが配り始めると場の様子も和やかになる。
「ほほう、なんとも美味い。越後でも茶葉は手に入るが、これは味と香りが違うの」
楽しげなのは関東管領か。領国も守れず愚か者だという世評もあったが、少なくとも周囲と合わせることは出来るらしい。あの手の者は恨みで周囲が見えぬ者が多いというのに。
「これは、ゆるりとこれだけを楽しむのもよい気がするな」
ほう、土佐一条の若き当主は紅茶を左様に見るか。
確かに紅茶は香りと味を楽しむもの。尾張では仰々しい形を作らず、それだけでよいという者もおる。詫び寂びの心にて、ただ紅茶だけを楽しむ者も多くはないがおると聞き及ぶ。
立ち居振る舞いも公卿というより武士に通じるものがある。北畠もそうだが、京の都の公家と諸国にいる公家では生き方からして違うのかもしれぬな。
しかし、地図を見ると日ノ本は狭いが、こうして顔を会わせると広いのだと教えられる。言葉や生き方からしてその地にはその地の流儀がある。これをまとめてひとつの国にするのは難儀しそうなことだ。
そもそも日ノ本を統べることからして、いずこまで利があるのだと家中では疑う者がまだまだ多いからな。西国、四国、九州の名門らをどう扱うかも難しい。
先はまだまだ長いな。
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