第2345話・穏やかな尾張と……

Side:知子


 季代子と牛頭馬頭殿、それと浪岡殿や南部殿など主立った者たちが上様の婚礼祝いに出向いてしまったためいない奥羽領で少し騒ぎが起きているわ。


 数年前の強訴騒動のあとも独立したままの寺社が荒れている。不作の影響で、領民の逃亡や寺社への一揆などが頻発しているのよね。


 畿内の本山が見捨てたことで、多くの寺社は諦めて織田の法を受け入れて臣従したものの、それを拒んだところや今も長々と交渉を続けているところがある。


 特に奥羽の地ではそれなりに名の知れた寺社とその末寺が残っていた。寺社領もそれなりに豊かなところばかりだったんだけど。経済格差は深刻なレベルで領民単位だと飢えるところと飢えないところが誰の目から見ても明らかになった。


 あとは今まで私たちが経験してきた通り。飢えて死ぬくらいならと村を逃げ出して織田領に来るか、自分たちだけ贅沢な暮らしをしている坊主に刃を向けるか。


「いずこも寺社が不利なようでございまする」


 森三左衛門殿が各地から入る報告をまとめているけど、大きな騒動になりそうなところはない。


 寺社の金看板、いよいよ奥羽でも通じなくなりつつあるわね。武士が見捨てるといかに神仏の名を用いても貧しさには勝てないか。


「家中で手を出した者は?」


「端の者が寺社に加勢した者が出てしまったところはあるようでございます」


 事前に厳命したのよね。寺社の中の騒動に加担または手を貸した者は厳罰に処すると。にもかかわらず勝手なことをする者がいるか。季代子が聞いたら怒りそうね。


 持ちつ持たれつ。寺社と武士は異なる権威を基に土地を治めていたが、実情は血縁や寄進などでズブズブのところも少なくない。それが土地を治めるのに必要だったのだから過去をどうこう言う気はないわ。


 ただし織田家に従う者たちが、寺社の争いに勝手に加担することは認めていない。


 無論、平時ならいいのよ。寄進しようが手を貸そうが。自分のお金でやるなら。ただ、一揆の弾圧や、流民を捕らえて勝手に送り返すなどは許せることじゃないわ。


「近江では上様の慶事があるっていうのに。三左衛門殿、警備兵と刑務方に言って寺社の騒動に加担した者を捕らえて。きちんと裁くわよ」


 当人は日ノ本からの追放、大蝦夷ことシベリアに流罪かしらね。主家や一族は俸禄の削減や悪質だと判断したらまとめて流罪になる。


「いくつかの寺社はもぬけの殻となってございまするが……」


「来年の春まで捨て置いていいわよ」


 寺社の争いに手を貸した者はごく少数。おかげで寺社の側が不利となり逃げだしてしまったところもある。それなりに有用な地だと思うけど、すぐに接収すると疑われるでしょうね。どうせ春までは農作業も出来ないし放置が無難かしら。


「お方様、拙僧らは民の鎮撫に行きとうございまする」


 正直、心ある寺社はすでに織田に降っているわ。未だに臣従していない寺社を助けるために人を動かす気はないんだけど。尾張から来ている僧侶と神職が声を上げた。


「寺が無事なところは手を出さないで。あともぬけの殻のところも土地は押さえたら駄目よ。ただし飢える人だけなら許すわ。領内に連れ帰って郡代官のところで賦役で働かせるようにして」


「ははっ! ありがとうございまする」


 ほんと、尾張から派遣されている僧侶と神職は心ある宗教家なのよね。逃げ出したり一揆で焼け落ちたりした寺社の領民救済なら許してもいいわね。


 土着の者と尾張から派遣された僧侶と神職。同じ寺社の者だというのに、あまりの違いに奥羽の寺社の権威が落ちている。苦々しく思っているところも多いから護衛は付けなきゃね。


 まったく、由衣子の出産が近づいているのに。欲にまみれた寺社の問題なんて迷惑な話ね。




Side:久遠一馬


 子供の名前は『武守丸たけもりまる』にすることにした。いろいろと考えたんだけどね。男の子は幼名になるから『武』と『丸』の字をみんな継承しているからさ。


 テレサと一緒に話し合って決めたんだ。


 いろいろと仕事もあるんだけど、信長さんたちや資清さんたちが助けてくれたおかげでゆっくりとテレサと武守丸と一緒の時間を作れている。


 あと武守丸から数日遅れてウルザも男の子の赤ちゃんを産んでくれた。明後日くらいには尾張に知らせが届くと思うから楽しみだ。


 今月中はあとエミールも出産を控えている。当分、ハラハラする日が続くなぁ。


「それにしてもさ。尾張はみんな頼りになるね」


 近江での御所お披露目と婚礼でしばらく忙しかったせいか、織田家の統治体制が物凄く安定していることを実感する。妻たちも津島の屋敷に何人も集まってお祝いしているんだ。


 以前なら誰かが抜けなくても仕事で大変だったのに、今はオレたちが休んでも代わりをしてくれる人がいる。こういう体制を目指していたものの、元守護家や名門の皆さんとか近江に行っている現状でも支障がないとは凄いね。


 自分たちの国のためにと働く人が尾張だと多い。まあ、その分、畿内は敵という価値観も定着してしまったが。何事も上手くいかないものだ。


「うふふ、もう十年前には戻れないわね。戻りたくないけど。戻ったらこの子たちに会えなくなるもの」


 下の子たちと一緒に昼寝する武守丸を見守るテレサの顔は、お母さんになった気がする。オレはお父さんの顔になっただろうか?


「まーま、おげんき?」


「ええ、元気よ。武鈴丸」


 ちなみにリンメイとの子である武鈴丸は、定期的にテレサのところに来ては声かけをしている。赤ちゃんを産むのは大変なんだと誰かから聞いたらしい。


 大武丸、あきら武典丸たけのりまる武尊丸たけるまると一緒に屋敷内を走り回っては戻ってくるんだ。屋敷に人が多いから楽しいみたい。


「武守丸が起きたのです!」


「私がまーまですよ~」


 チェリーとすずは自分たちも妊娠しているのに変わらないなぁ。真っ先に顔を覚えてほしいと構っている。無論、世話もしてくれるから助かるんだけどね。


 子育ては大変だけど、やっぱり妻が多いと負担が少ない。裕福だからと言われたら、それもあるけどさ。


 今日は、このあと孤児院の子たちが武守丸に会いに来る予定になっている。到着すると、もっと賑やかになるだろう。なんというか、こういうのが当たり前になり過ぎて元の世界のリアルみたいに一人暮らしとか出来ない気がする。


 まあ、テレサの言う通り戻れないし、戻ろうと考えることもないけど。


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