第2342話・光あるところに影がある

Side:伊勢貞孝


 近江御所にて、わしを恨んでおる奉行衆と今後のことを話しておる。決して和やかな場ではないが、憎しみや恨み事を口にする者はおらぬ。


 しばし休息とすることになり、数人がかわやへと行くなどすると無言のまま重い場となる。


「伊勢守殿、ひとつ問いたい。そなた内匠頭殿といかほど関わりがあるのだ?」


 口を開いたのは三淵殿か。


「特にない。幾度か政の在り方を話したいと書状を頂いたがな。助けを請うたことなどないし、むしろ内匠頭殿からの助けを断っただけだ」


 偽る必要もない。素直に打ち明けるとやはりという顔をされたものの、同席する他の者には驚く者もおる。そうであろうな。二度も三度も声を掛けるような御仁ではあるまい。まして血筋や権威を喜ぶ御仁でもあるまいしな。


「近衛太閤殿下を動かしてまでそなたを呼び寄せた故、その裏になにがあったのか気になってな」


 大陸にある書物に、からの誰ぞが幾度も仕官を請うたなどという話があるが、わしに左様な価値などない。あの御仁は何故、そこまでしたのであろうな。


「わしが知りたいくらいだ。あの御仁ならば、他にも打てる手はあったはずだ」


 あれが内匠頭殿なのだと言われると、そうなのかもしれぬがな。正直、計り知れぬとしか言えぬ。


「では、過ぎたることは忘れ役目をまっとうするとしよう。腹の探り合いばかりしておって見放されると我らは終わりだ。皆も思い出せ。あの御仁は神宮を突き放した。我らとていつまでも助けを頂けるとは限らぬぞ」


 ああ、皆の様子を変えようとしたのか。


「皆々様も変わられたな。昔と違う」


 三淵殿の言葉に皆が同意すると場の様子が幾分緩んだ。そのことにわしは驚きを隠せぬ。


 意地と面目、利と損。誰もが己と己の家のことしか考えておらなんだはずだ。わしを含めてな。御恩と奉公などないのだ。将軍がいかになろうと世が乱れようと気にする者はおらぬ。それがこれほど変わるものなのか?


 人を改心させ悟らせるなど、人の所業とは思えぬ。高僧など幾人も知っておるが、誰一人左様な者はおらぬ。まさしく神仏の行いではあるまいか?


「高貴な方々は助けてくれぬからな」


 誰ぞの言葉が世の移り変わりを表しておることを痛感する。


 最早、京の都は日沈都なのだな。




Side:比叡山の僧


 伝え聞く話と己が目で見る様子がまったく違う。


 我らの耳には、かような場所に御所を造ってと不満ばかり聞こえておった。されど、近江以東の者らは皆喜んでおるではないか。


 京の都に戻らず勝手なことをしておると騒ぐのは、京の都の者と畿内の者らだけではないのか?


「奉行衆も随分と変わったものだ。己らとて好き勝手しておったというのに……」


 共におる者からは恨み節も聞こえる。花火を見ると称して六角の領内を荒らしておった叡山に連なる者らが磔にされ首を晒されておるのだ。


 比べるわけではないが、奉行衆は随分と行儀がようなった。この手の慶事があれば、あれこれとまいないを集めておった者らが、此度は上様の慶事故とすべて断っておるとのことだ。


 おかげで近江において奉行衆の世評はよい。それが余計に叡山は無法者だという陰口が聞かれる理由であろう。


「久遠内匠頭か、主を仏とし斯波武衛家を天下一へと押し上げた男は違うということであろう」


 漏れ伝わる話では、あの男が厳しいのだという。無論、締め上げるばかりではない。奉行衆には別途俸禄を与えておる。


 近江御所では税でさえも違う。常なら土倉などが集め必要に応じて使うはずが、近江御所では奉行衆配下ですべて差配しておる。確と帳簿を付けて費えなどを精査するのだ。


 商人でもある久遠の入れ知恵であろうな。


 不満も聞かれるが、慣れるとそのほうがいいという声もある。いつの間にか集めた税が減っておるなどようあったことだからな。


「不敬な男だ」


 不敬だと? 愚か者の戯言にしか聞こえぬわ。たとえ久遠が野心ある悪鬼羅刹であったとしても、それを隠して人を動かし世を治めておる事実は変わらぬ。


 相手が愚かな武士や民であったとしても諭す術で負けておるなど、寺社の恥でしかないわ。


 面白うないところもあるが、今のところ隙がない。絶縁でもされて荷留をされるなど、神宮のように恥を晒すのは御免だ。


 今しばらく様子を見るしかあるまい。




Side:久遠一馬


 津島の屋敷はバタバタしている。予定日より少し早いが、テレサが産気付いたんだ。


「あかご!」


「おいのりする!!」


 居ても立っても居られないとすぐにやってきたが、一緒に来た子供たちは大騒ぎだ。特に下の子たちは喜びが抑えきれない様子だ。


「まーま、持ってきたよ!」


「お水、まだいる?」


 上の子たちは妻たちと一緒にお産を手伝っていて、こちらは成長を実感する。最初はお市ちゃんが手伝っていたんだよなぁ。子供たちはそれを見て育っているから、当然のように手伝ってくれる。


 ちなみにお市ちゃんだが、知らせを受けてこちらに向かっているだろう。知らせが届いたのが朝方だったからなぁ。オレは妻たちと子供たちとすぐに来たんだ。


「テレサ、落ち着いてな」


 オレはすでに子供がいるけど、テレサは初めての出産だ。不安にならないように気を付けてあげないと。


「陣痛が始まったばかりだし、大丈夫よ。私もお産は何度も立ち会っているから。殿のほうこそ、落ち着いたら?」


 うん? オレが落ち着いていないように見えるんだろうか?


 みんなが活躍する姿を見ているのは好きだ。ただ、苦労をしている姿を見るのはあまり好きじゃないのかもしれない。ハラハラするんだ。そういう態度が僅かに出ていたか。


 まだまだ未熟だなぁ。


「武鈴丸も大丈夫だから」


 ああ、オレとリンメイの子である武鈴丸がテレサの側を離れず不安そうに見ている。一緒に暮らしているから、テレサに思い入れが強いんだろう。


「うん、だいじょうぶ」


 武鈴丸もまた、テレサを不安にさせないようにと笑顔を見せる。ただ、やっぱり心配なんだろうね。側を離れることはない。


「武鈴丸、おいで。一緒にテレサと赤子を待っていよう」


 ここは父親の出番かな。武鈴丸を抱きかかえると、不安にならないように声を掛けつつ近くで見守ることにする。


 いつの間にか騒いでいた下の子たちも集まってきて、一緒に待つ。


 出産はテレサと妊娠発覚以降、津島に滞在しているマドカを信じるしかない。


 ただ、子供たちも個性が分かれてきたなぁ。大武丸と希美はむしろエルに似ていろいろと働くことを好むし、あきらなんかはジュリアに似たんだろう。自分が見守るんだとしっかりと構えている感じだ。


 技術的に言うと、リスクはオレの元の世界よりないんだけどね。医療技術が高いので。とはいえ、心配になるのはあまり変わらないなぁ。



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