第2341話・尾張に帰って

Side:久遠一馬


 尾張に戻ると、正直ホッとした。


 妻たちとは密かに通信機で話をしているので、そこまで心配していたわけではないが。とはいえ、特にもうすぐ子供が生まれるエミールとテレサの顔を見るとホッとする。


 出来れば信濃のウルザと奥羽の由衣子の顔も見に行きたいけどなぁ。ほんと移動に時間がかかるのがこの時代のネックだ。


 尾張でも義輝さんの婚礼を祝う声が聞かれた。以前よりは身近な将軍様になったのかも。


 平和を願う意味で将軍に期待している人は多いと感じるが、同時に将軍を警戒する人もまた多い。


 そもそも足利将軍は京の都以外では余所者だしね。そういう意味では近江で義輝さんが余所者とならないように手は打ったつもりだ。


 ただ、疑り深い人だと世の流れが変わるのではと警戒する声が根強い。義輝さんの婚礼は上皇陛下も来ていたし公卿公家衆も来ていた。そういう意味では旧体制と近い動きに見えたのかもしれない。


 北畠と六角が朝廷や畿内に味方したら、どうなるんだろうという不安がある人もいるようなんだ。


 突き詰めると朝廷と畿内にある寺社の信頼はまったく回復していない。むしろ、織田領内では寺社がその懸念を一番持っているくらいだ。


 知識層だし内部の腐敗した情報とか手に入るからね。寺社の皆さん。ある意味当然なのだが、裏が見える人ほど信頼しない。地域の相談役となる寺社がそうなんだ。領民単位で信頼が上がることは当分ないだろう。


 とまあ懸念もあるが、すぐに領内が不穏となるほどでもない。流通経済が安定化しているうちは大きな動きにはならないだろう。


「殿、東国の不作に関してでございますが……」


 留守を任せた滝川一益さんと望月太郎左衛門さんから報告を聞いているが、太郎左衛門さんから頭の痛い報告があった。


 関東全域からの流民が増えているらしい。まだ不作になったばかりなんだけどなぁ。特に厄介なのは上野だ。北条方でもあり上杉方でもある。係争地故に荒れていて人心も荒んでいるので上野からの流民が多いらしい。


 あそこは隣接する中でも面倒が多いところだ。織田の物資が欲しい時は北条方となり友好価格で品物を欲しがるが、上杉が兵を挙げると上杉方になる。


 まあ、信濃と上野の交易自体、縮小を続けているが。信濃が織田の法を守り横流しを減らした結果だ。おかげで国境を越えると物価差がえげつないことになっているけど。


 品物がほしいなら北条から手に入れてくれというのが、こちらのスタンスになる。信濃併合時に抜け荷やら領民に配った食料の横流しがあって以降、商いと流通を厳しくしたままあまり改善していない。


 治安が悪くて改善のメリットが薄いんだ。


「面目も意地も大いに結構だけどね。こちらに迷惑をかけないでやってほしいところだね」


 偉い人の意地や面目で多くの民が困って周辺諸国が迷惑を被る。これに対する謝罪はなかったなぁ。北条からも上杉からも。


 上野には史実の剣聖上泉信綱がいて愛洲さんとは今も繋がりはあるようだが、斯波や織田としては特に繋がりはない。


 言い方悪いけど、上野の国人や武士は織田家であまり評判がよくないし。上杉と北条の間で大変だろうなと同情はされるが、言い換えるとその程度だ。


 上泉信綱、愛洲さんの話では人格も武芸の腕もいいらしいが、この時代だとそこまで名が知れている人じゃないしね。


 主君である長野家も元の世界では有名だったが、今のところは有能らしいが割と普通の国人というところだ。どうも武田に絡む人は史実で盛りに盛った人物になりがちだね。


 まあ、流民を追い返すのは忍びない。食えるようにしてやらないとな。信濃や甲斐や駿河とか、関東と接しているところには支援が必要かもしれない。検討しておこう。




Side:斯波義信


 我らが一足先に戻って尾張では安堵する声が多い。上様の慶事を喜ぶ者は多いが、やはりこれを機に朝廷と畿内がこちらから奪うのではという懸念も多かったらしい。


 まあ、我らというより一馬が戻りて安堵しておるというところか。父上と弾正がおらぬ現状で一馬までおらぬと案じる者がまだまだ多い。


 畿内ばかりではない。領国ですら、ウルザらのいる信濃以外、新参の駿河、遠江、甲斐などはいつ裏切るのかと疑う者は未だにおるのだ。


 わしや尾張介も励んでおるが、父上や弾正ほど皆の信を得ておらぬ。皆が案じることがない主君になる。なんと難しきことか。


 主上や院が軽々しく動けぬ理由も同じようなものなのであろうな。尾張では父上と弾正と一馬がその代わりをしておる。


 おっと、左様なことを考えておる場ではなかったな。目の前には関東の寺社の使者がおる。近江へ祝いの使者として出向いた者が帰路の途中で挨拶に立ち寄ったのだ。


「道中、気を付けての」


「ははっ!」


 なにを話すわけでもない。挨拶を受けて終わりだ。とはいえ関東はもう隣じゃからの。こちらに挨拶を欠かさぬところは、さすがは寺社というところか。


 いささか迷惑じゃが。とはいえ、尾張介も忙しい。わしが会わねばならぬ。


 使者が下がると一息つく。


「あと何人じゃ?」


「はっ、五名ほど待っておりまする」


 近江で父上や弾正に挨拶をしたはずじゃがの。しばらく清洲にも挨拶に参る者は続くであろうな。


 まあ、なにかを求められることもない。わしは父上の代わりに挨拶を受けるだけ。なにかを求められても父上に言うてくれと逃げてよいと言われておる故、気楽だ。


「若武衛様、内匠頭殿が岩竜丸様にお会いしたいということでございますが……」


 使者の合間に入る知らせに思わず和む。


「いちいち許しは得ずともよいと言うたのじゃがの。許すと伝えてくれ」


 あやつは旅から戻ると自ら出向いて歩く。これがまた評判が良くての。城内の幼子などは待っておる者も多い。旅の土産話をしてくれるのだ。


 さらに幼子ばかりではない。あちこちへと出向き自ら声を掛ける。


 身分ある者は目下の者に出向くことなどせぬと、かつては言われたのだがな。一馬は自ら出向いても一向に権威も名も落としておらぬ。むしろ信を得ておるはずじゃ。


 わしも常ならば真似ておる故、その意味は理解する。此度は挨拶に来る者が多く抜けられぬがの。


「内匠頭殿は変わりませぬな」


 思わず笑みをこぼす近習の顔がすべてを物語っておろうな。


「それがあやつの信念であろう」


 一馬はもう、変わらぬことで信を集める立場となった。皆が安堵するのだ。変わらぬ一馬を見ておると。


 一馬が挨拶廻りを終える頃には尾張は落ち着くであろう。それがなによりの薬だ。



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