第2339話・旅の終わり
Side:久遠一馬
資清さんたちもいい帰省になったみたいでなによりだ。滝川城を出立すると、一行は一路伊勢を目指す。
「甲賀はいい地になったね」
「はい。嬉しゅうございます」
遠ざかる城を見ているお清ちゃんは気力に満ちている。そんな顔をしている。いい帰省になったみたいで良かった。
結果論ではあるが、この地は織田と六角の緩衝地帯、両属に近い性質を持つ地域になった。扱いは難しいが、上手くいくと甲賀が両家を橋渡しするような立ち位置になる。
なんかオレたちへの信頼度が高すぎてちょっと申し訳なくなるけど。義賢さんへのフォローと支援をきちんとしておけば大丈夫だろう。
近江御所では今も、諸国の者たちと宴やら歌会やらしているんだろうな。義輝さんの権勢を示すという意味では、やらなくてはならないことだ。まあ、義輝さん自身、そこまで自分の権勢を示して諸勢力を従えたいとか思っていないみたいだけど。
正直なところ、諸勢力は従えるメリットがそこまであるわけじゃない。そもそも諸勢力から将軍が得られるのは従ったという形であり実利がない。税収なんて入らないし逆にいえば将軍が財政支援とかすることもない。
史実の江戸時代より独立しているからね。この時代の武士と寺社は。
そりゃあ、争いの仲裁はするし、その気になれば命じて兵を出すということはあり得なくもないが、簡単に命令無視と裏切りをするからなぁ。
一時の権威が戻ってもすぐに落ちる。
ただ、現状の統治体制はメリットもある。将軍が諸国を助ける必要がないことだ。三国同盟とその他の地域では経済格差が広がっているが、今までも畿内とその他の地域で同じように格差があっても助けた前例がないので動く必要がない。
口約束のように従うと示した諸勢力に与えるのは、守護という役職や官位など形のないものでいいんだ。こっちとすると好都合ではある。
そもそも日ノ本津々浦々まで豊かにしようとか誰も考えなかったからな。元の世界で世界すべてを豊かにして飢えずに争いがない世界にしようと言うようなものだ。この時代では実現性のない。夢物語でしかない。
出来ないことは誰も求めないんだよね。なので尾張が求められるのは、あれが欲しいこれが欲しいという商いくらいだ。足利政権がある以上、斯波家が他所の諸勢力を認めるとか認めないとか、そういうことはしていないし。
まあ、御所が完成し、義輝さんが結婚して南北の因縁を終わらせた。これで足利政権に一本の太い柱が立つようなものだ。今後は今までとは違った形になっていくだろう。
無論、脆弱で諸勢力を潰し合わせていた足利政権が確かな力を持つと、新たな争いも呼ぶだろうが……。
それでも大きな一歩は進んだだろう。
その後、六角家の護衛とは近江と伊勢の境で別れ、そのまま峠を越えて伊勢に入ると皆さん一息ついた。
甲賀、治安という意味では特に問題はなかった。ほんと、最初に甲賀を通った頃と大違いと言えるだけ変わった。正直、護衛も要らないかなと思ったほどだ。
とはいえ伊勢に入ると、安心感はさらに違う。
「伊勢に戻ると気が楽じゃの。近江や甲賀も悪うないが、我らを見ておる者がおる以上、相応に振る舞わねばならぬ」
義信君の言葉に同行する皆さんが笑みをこぼした。
治安も悪くなかったし歓迎されていたのは事実だ。とはいえ斯波家嫡男として振る舞わなければならない義信君は大変だったろう。
尾張とか美濃伊勢あたりだと斯波家も身近な存在として扱われているからなぁ。
「かずらと共におると、我らはそれ以上かと見られまするからな。困ったものでございます」
「うむ、そうじゃの。父上と弾正も難儀しておろう」
義信君の言葉に、信長さんはまるでオレのせいで苦労をしたと言いたげに口を開く。すると義信君と周囲の者たちが堪えきれなくなったように笑った。
そういう冗談で誤解する人がいると困るんだけどなぁ。まあ、この場にはいないか。
◆◆
永禄五年、九月に行われた足利義輝の御所お披露目と婚礼に出席していた斯波義信、織田信長、久遠一馬は、婚礼の宴が終わったのちに帰国している。
近江滞在中、一馬は六角義賢と共に足利政権の差配をしていたという記録が残っている。これまでも献策などしていたが、表だって自ら差配したのはこの時が初めてであったと思われる。
一連の行事は足利義輝の権勢を大いに押し上げ、荒れている世に光明となったという逸話すら残っている。
ただし、一馬自身は最後まで正式に役職に就くこともなく、またその立場に相応しい席に座ることもなかった。
諸国から諸勢力の者たちが残る中、外交としての顔見せを済ませた義信と信長と共に裏方として働いていた者たちを連れて早々に帰国している。
晴れの場を辞退し功を受けることなく自らの意思で帰った一馬に、斯波家はどうなっているのかよく分からないと諸国の者は困惑したという。
日本史上、もっとも難しい因縁のひとつと言われる南北朝の因縁を終わらせた最功労者が、最後まで相応しい立場に就かずに終わったのは類を見ないことである。
一馬としては、自身の役目は終わったことを確認しての帰国だった。
途中、甲賀では家臣であった滝川と望月の旧領を訪ねていて、看護の方こと久遠清、小智の方こと久遠千代女などの里帰りをしており、両家の旧領では大歓迎を受けていたという記録が残っている。
一馬もまた所領を離れて仕官した両家の里帰りを喜び楽しんでおり、甲賀と尾張がこの後も助け合い生きることを望んだとされる。
一連の動きから、一馬は日ノ本を自らまとめて治めるということを望んでいないことが改めて明らかとなっている。ただ、それは当時の人にはあまり理解されなかったことが、関連する資料に散見している。
とはいえ一馬への人々の信頼は留まることを知らぬほど高まり続けており、戦国の世においてかけがえのないものに育ちつつあった。
後の歴史家は朝廷や寺社の権威に、一馬は自身の信頼で対抗したのだと語る。
そういう意味では一馬は歴史に挑んだ者であり、当時の人たちもその本質を理解している者が増えつつあった。
なお、足利義輝の御所造営と婚礼に関する一馬の活躍は、久遠歌舞伎十八番のひとつとして世に知れ渡り、のちに天下の副将軍久遠一馬の物語など多くの創作が生まれた。
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