第2338話・歓迎の宴にて

Side:滝川家血縁の男


 まさか、この地に斯波家と織田家の若殿が来るとはな。物好きというかなんというか。


 迎える支度は皆でした。観音寺城や公方様の御所ではお披露目やら婚礼やらで大騒ぎだったらしいが、我らと望月は帰りに立ち寄られる支度で忙しかった。


 ただ、領内の民ですら久遠様と八郎様が来られるということで喜び、率先して支度に手を貸してくれたことで助かったがな。


 代官を務める元領内も昔のように貧しさで飢えることはない。所領があった頃は尾張からの助けがあり、俸禄になったあとは六角家のほうで気を配ってくださっている。


 滝川と望月の旧領だけは、六角の直轄領となり貧しくなったと言われぬようにと随分と気を使うておるのは皆知っている。


 所領の有無にかかわらず、ここは久遠様の一声で動く者がいくらでもいるからな。六角の所領でありながら六角の思うままにならぬ地なのだ。


 菩提寺から戻られた久遠様と八郎様たちは、高台にある城から外を見ておられた。


「ねえ、ここから見えるところを絵に描いていいかしら?」


 特に珍しきものなどない。にもかかわらず久遠様の奥方様のひとりが唐突にそんなことを問われた。噂の絵師の方様か?


「はっ、構いませぬ。お好きなように描いてくだされ」


 壮年の者が驚きつつ答えると、絵師の方様と数人の者が絵を描き始めた。ただ、珍しきは筆ではないことだ。なにか木の棒に炭でも挟んでおるようなもので描いておられる。


「当たり前にあるものでもね。また見たいと思うことがあるのよ」


 こんな山と田んぼしか見えぬ地を描いていかがするのかと思うておると、そんなことを教えられた。


 なんでも望月の地でも絵を描いておられたという。……そうか。生まれ育った地を離れた者らに絵で故郷を見せてやるためか。


 甲賀を出た者が戻ってきたという話はまず聞かぬ。暮らしは尾張のほうが楽で、ここに戻るといつ戦に動員され死んで来いと言われるか分からぬからな。


 されど、故郷を忘れたわけではないか。


 生きるとは難しきことだ。




Side:お清


 幼い頃から十年前まで住んでいた城での歓迎の宴です。お膳や椀はかつてと同じもので、そこがなんとも懐かしく思えます。


 豊かとは言えませんでしたが、かつての日々も私は嫌いではありませんでした。またここに来ることが出来るなんて……。


 織田家中以外では、他家に嫁いだ者が実家に戻ることは離縁以外ではまず聞いたことがありません。ただ、殿は左様な慣例を好まれません。


 嫁いだあとでも実家に戻り、父や母に孝行していい。ゆるりと休んでもいいのだとおっしゃいます。それが良いことなのか私にはわかりません。


 ただ、織田家ではそれが珍しくなくなりつつあります。婚姻も家中でのものがほとんどになります。同じ織田家中であればこそ、女も実家に戻り親孝行をしたり孫の顔を見せたりするようになりました。


 とはいえ、一度は捨てた他国にある故郷に戻る者は今でも多くありません。特に甲賀は難しい地故、殿も遠慮されていたほど。六角家とは同盟を結んでおりますが、それでも他家に変わりはないのです。


 そんな殿が甲賀に私たちを連れてきてくださいました。なにかお心変わりでもあったのでしょうか? それとも六角家との友誼がさらに深まったことで戻っても障りないとお考えになられたのでしょうか?


 私には分かりません。ですが、この地に足を踏み入れ、かつての城で一夜を過ごす。このひと時は嬉しく思い感謝しております。


 殿もまた故郷を離れて尾張で暮らしております。子や孫のため、後の世のために。


 私は理解しています。殿とエル様たちが並みの者では真似すら出来ぬお方であることを。私のような、いずこにでもいる者が働き務めることで荒れぬ国を作ろうとされていることを。


 私に出来ることは多くありません。ただ、先が見えぬ者が憂いなく励める場を整えることは、多少なりもお役に立てているかと思っています。


 甲賀の地に戻り、それがこれからの世に必要なのだと分かった気がします。


 私は……殿の妻として、ひとつでもいい。なにかを成したい。


 尾張に戻ったら、また励みます。皆で笑って暮らせるように。




Side:滝川益氏


 懐かしい者らと再会した。共にこの地で生きた者らだ。


 慶次郎ほどではないが、わしとて同じ年頃の奴らと喧嘩をしたり騒ぎを起こしたりしたものだ。左様な者らが今は一家の主となり子を儲け、一端の大人になっておった。


 若い者が尾張から戻らぬと怒っておる者もいて、ついつい左様な者を見て笑うてしまった。己とて若い頃はこの地を捨てたいと嘆き、尾張に働きに来ておったからな。


 継ぐべき田んぼがあり戻る者もおれば、新しき地で新しき道を見つける者もおる。それが人の道であろう。


「おお! 似ておるな!!」


 宴の最中、慶次郎が留吉や雪村殿と共に、この地の者らの絵を描いてやっておる。本職の絵師が描く絵とは少し違い、さらさらと描いただけだがよう似ておるのだ。


 絵など描いてもろうたことがないものばかり故、皆が喜んでおるわ。


「そなた絵師になったのか? 今弁慶も戦がないと働き場はないか」


「そんなところだ。武辺者故、今はかようなことしか出来ぬ」


 おいおい、驚く者らに嘘を教えるでない。そなたは器用であれこれと役目をこなしておるではないか。ただ、殿はそんな慶次郎を見て楽しげに笑うておられる。型に嵌らぬあやつがお好きだからの。


「そなたも絵が上手いな」


「はい、日々精進しておりますから」


 ああ、留吉よ。そなたは殿の猶子ぞ。左様な態度では皆が家臣だと勘違いしてしまうというのに。


 まったく、どいつもこいつも……。


 されど、楽しき宴だな。この城でまたこうして皆で宴を出来るとは思わなんだ。


 戦場で首を挙げて立身出世を果たす。かつてここにおった頃はそんな夢をわしも抱いておった。


 ふと、そんな頃を思い出す。懐かしいの。


 今はもう、左様なことを考えておらぬ。立身出世も要らぬと思うておるほどだ。久遠家において、わしは十分すぎる信を得て務めておる。少し忙しくて困るくらいだ。


 これ以上、名を上げて公家衆など高貴な者の相手までするのは性に合わぬからな。


 誰かが御家に伝わる歌を歌い出すと、この地の者まで共に歌い出した。尾張と繋がりが深い故、御家の歌がこの地にまで伝わっておったのだな。


 殿とお方様がたが嬉しそうに笑う姿がなによりだ。


 今宵のことは皆、忘れられぬ一夜となろうな。




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