第2337話・里帰り・滝川

Side:滝川資清


 遠くに見える山々に忘れておったことを思い出してゆく。


 今でこそ織田家中では故郷を離れる者が珍しゅうなくなったが、あの頃は故郷を離れるということはすべてを失うに等しかった。


 滝川家とて彦右衛門が殿に召し抱えていただかねば、今もこの地で田畑を耕して暮らしておったはず。


 かつての領内に入ると、あの頃と変わらぬものばかり目に入る。稲刈りの終わった田畑や曲がりくねった道。村の家も変わらぬな。


 ああ、城が見えてきた。城門はあの頃と変わらぬ。


「ご無事の御到着、祝着至極に存じまする」


 出迎えは所領を譲った者であった。ただ、懐かしいというほどではない。婚礼や葬式などで幾度か顔を合わせておる。


 出雲守殿は甥に遠慮しておったが、こちらは特に遠慮することなどないからな。親しいとは言えぬが因縁もない。


 この地に住まう者らも、多くの者が尾張に働きに来ることは望月と同じ。中には尾張に移り住んだ者も多い。


 田畑を耕したとて、高が知れておる。戦働きで武功を挙げ恩賞なり所領なり頂くのは容易いことではない。第一、戦そのものが減っておる故にその機会もない。


 ところが尾張では平素の働き次第で立身出世が叶い、暮らしが豊かになることも決して珍しきことではないのだ。


 余所者を受け入れる。この一点において、尾張には才ある者たちが集まる。古き血筋と古参が幅を利かせておる他国ではこうはいかぬ。


「変わっておりませぬなぁ」


 嬉しそうな慶次郎の言葉にどこか安堵する気がした。相も変わらぬへそ曲がりな男よ。望月の者など、共に尾張から来ておる皆様方に遠慮して懐かしむようなことは言わなんだというのに。


「ああ、そなたが暴れた跡までそのままだ」


「おや、左様でございましたか? とんと覚えがございませぬ」


 慶次郎が喧嘩した折に壊した傷跡が今もある。とぼけおって。忘れてなどおらぬであろうが。


 ふと聞こえたにわとりの声が、かつてと違い、この地も変わったのだと教えてくれる。殿が尾張で広められた鶏を飼うことが今は甲賀にも広まっておるのだ。


 卵や鶏肉を食すことは、すでに織田領のみならず北畠や六角領でも真似ておるからな。食えるものを増やして病に罹りにくくする。ケティ様の教えは寺社の教えより重んじられるところも珍しくない。


「まずは菩提寺に挨拶に行こうか」


 若武衛様らはしばし御休息されるが、殿と我らは休むことなく滝川家の菩提寺に行く。


 殿とお方様がたは旅好き故、楽しそうでなによりだ。


 父上や祖先は、我らをいかに見ておろうか。笑うておられるとよいがな。あまりの違いに驚いておられるやもしれぬ。




Side:久遠一馬


 滝川の地も特に変わったものはない。元の世界だってそうだ。人々の営みがある。それだけ。


 ただ、景色が違えば気分も変わる。ここで暮らしたらどんな生活なんだろうと考えたりするのは割と好きだったりする。


 正直、望月領よりは気が楽かもしれない。元本家筋の旧領だったし、過去に争いがあったからね。あちらは。


 こちらは血縁があるようだが、良くも悪くもそれだけだ。


 菩提寺にお参りをする。結構、年季が入った寺だ。資清さんたちが寄進したこともあり、年季は入っていても困っている様子はないが。


「ひとつ新しい仏像があるね」


「そこな慶次郎様より数年前に寄進していただいたものでございます」


 年季の入った寺に新しい仏像。気になって寺のお坊さんに聞いて思い出した。三雲定持を捕らえた時に立ち寄って寄進したものか。


「ああ、あの件は、明かしてないんだったな」


「なんのことでございましょう。某、覚えがございませぬ」


 慶次と銀次さんが三雲定持を捕らえたことは、今でもほとんど知られていないんだよね。六角義賢さんも知らないんじゃないかな。


 オレは慶次から直接聞いたけど。功とする気もないし、話した後すぐに忘れると言われて終わった話だ。


 これ以上、甲賀でウチの影響力が強まると困ることしかない。自身の武功よりもそれを考えてくれた。


 まあ、興味本位で首を突っ込んだだけだから当然だと、あの時の資清さんは叱責していたが。


 今更、蒸し返すことじゃない。これは本当に歴史の中に消えてもいいことだろう。真実は菩提寺にある仏像様が知っているだけでいい。


「我らはここでよう遊んだものでございます」


 益氏さんも今日はどこか嬉しそうだ。留守を任せた一益さんも連れてくればよかったかな?


 かつての信長さんもそうだったが、領内の同年代の子たちと遊んだり悪さをしたりしたんだろう。オレが生まれた時代でもそういう子供たちの世界はあった。随分と形は変わっていたけどね。


「殿と共にこの地に来るとは思いませんでした。かつての私にとって、ここから見えるところが世のすべてだったのでございます」


 お清ちゃんはどこか昔を思い出すような様子だ。


 オレと結婚していいことも大変なこともあったからなぁ。お清ちゃんと千代女さんのふたりに関しては、割と早くエルたちとの関係や対外的な立場に慣れたのは千代女さんだった。


 適応力、合理的思考という意味では千代女さんが一枚上だ。


 お清ちゃんはしばらく自分の立場に戸惑っていた。まあ、それも今は笑い話になる程度だ。オレには妻が多いからね。新しく関わる人たちだと、お清ちゃんと千代女さんが日ノ本の出身だと知らない人も珍しくなくなった。


 看護師として後進を育てつつ医療環境を整えることなどを頑張ってくれている。誰でも出来るような形にしていく。そういうことをやらせるとお清ちゃんは本当に有能だ。


 医師はどうしてもケティたちが有能なことで同じような技量を求められがちだが、医師の仕事を減らすこと、看護師を増やして役割分担をすることなど、病院内の環境を整えたことに対する功績は大きい。


「世はもっと広いんだよね。落ち着いたらみんなで旅でもしたいけど」


 いつか、お清ちゃんとか資清さんたちに見せてやりたい。広い世界を。


 丸い地球と、地球より遥かに広い宇宙を。


「はい、私も行ってみたいです」


 うんうん、こうして素直に気持ちを言ってくれることがなにより嬉しい。アンドロイドであり妻であるみんなと、人であり妻である彼女たち。その違いはほとんどなくなりつつある。


 さて、滝川城に戻ろうか。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る