第2336話・里帰り

Side:せつ


 あの日、望月の殿と姫様と共に尾張に出立した日を思い出してしまいました。


 それほど貧しい身分ではありませんでしたが、それでも半農の武士であることに変わりない家です。


 尾張にて召し抱えてもらうためとはいえ、所詮は人質。私は二度と帰れぬことを覚悟してこの地を離れました。


 もっとも、その覚悟は尾張について数日で変わってしまいましたが。


 久遠の殿や八郎様からはとてもよくしていただき、日々の食事や暮らしの違いに驚かされつつ、尾張に慣れるためにと多くの助けを受けました。


 私が出たあと甲賀の実家は二度ほど当主が変わり、今ではほぼ他人と言える遠縁の者が継いでいます。


 甲賀望月家中ではようあることですが、尾張に移り住んだ者の代わりにと当主に迎えた者が、また尾張に移り住んでしまうことで別の者へと譲られてしまうのです。


 甲賀が六角家の直轄領となり六角家と織田家の誼が深まるに従い、この地も楽になり今ではそんなことも少なくなりましたが。


 昨日の宴ではその者とも話をしましたが、亡き父や祖先を大切にしつつこの地でゆるりと生きておると言うていました。


 私自身、尾張に出て行き他家に嫁いだ身故、多くを語ることはありませんでしたが、嬉しかった。生まれ育った一族が受け継がれて、この地にて平穏な暮らしをしていることが。


「いや、来て良かったな」


 出立を前に楽しげな久遠の殿のご様子に、また涙が込み上げてきそうになります。もう若くない故、涙もろくなったのでしょうか?


 此度は滝川と望月の両家の皆に里帰りをさせてやりたいと、普段ならば残るような者まで供として連れております。


 誰のためでもない。私たちのために殿は六角家に頼んで立ち寄ってくださったのです。その御恩情に心動かされぬ者はいないかもしれません。


 しかも、決して誰かのために行くとはいいません。自ら一度行ってみたいという理由ですべて動かれたことです。


「また来たいわね」


「そうだなぁ。近江に来るときは立ち寄りたいね」


 楽しげに話されるジュリア様と久遠の殿の様子に、甲賀望月の者らも嬉しそうに笑みを見せております。


 また来たい。そのひとことがなによりのお言葉でしょう。


 父上、私はとても素晴らしきお方の下で生きております。皆のため世のため、誰も成し得ぬことを成しておられるお方でございます。


 いつか泉下でお会いした時には、たくさんお話ししたいことがございます。


 その時まで、またしばしのお別れでございます。




Side:望月出雲守


 かつての城を出立した。


 わしは二度ほど、この地にはなにがあろうと戻らぬと誓ったことがある。一度目は御家に仕官した時、二度目は弟が亡くなった時だ。


 その地に再び足を踏み入れ、出立した。


 いかに取り繕うとも、わしはこの地を捨てたのだ。己のため家のため。それが間違いだったとは思わぬが、戻ってはならぬ立場だとずっと思うていた。


 殿は、わしや千代女の左様な思いを見抜かれ、変えたいと願われたのであろうな。


 因縁とは言えぬ覚悟。されど、殿は左様なものをあまり好まれぬ。菩提寺に参り、昔を懐かしむくらいしてよいのだと教えてくだされたのであろう。


 会わぬほうがよいと思うていた甥とは昨日少し話をしたが、挨拶をしただけで終わった。恨みというより虚無であろうか。左様に見えた。誰が悪いと一概に言えぬことは甥ももう分別出来る歳。故に虚無なのであろうな。


 弟は自ら考え道を選んだ。それをわしがいいとも悪いともいうべきことではない。ただ、ひとつ残念なのは、自らの始末を自らで付けなんだことだ。


 千代女の婚礼に異を唱えたのだ。覚悟はあったのではないのか? そなたが覚悟を示して皆を説き伏せておれば、そなたに従う者もおったはずなのだ。


 誰かが旅の歌を歌い出すと、皆が歌い出した。すず様とチェリー様が旅をする際に好んで歌われ、皆が覚えた歌だ。


 その歌が心に響く。


 わしはわしの道を進む。愚かな弟のことも。虚無の甥のことも。すべて背負うてな。


 殿をお支えして、今少し良き世にするために。


 飢えて死に、僅かな銭を得るために死に、己の欲のために死んだ多くの者たちのためにも。


 さらばだ。故郷よ。




Side:久遠一馬


 うん、某諸国漫遊記の主題歌が、旅の歌として織田家に定着してしまった。評判いいんだよねぇ。あの歌。


 それにしても、望月家の皆さん。いい顔をしているな。それぞれに抱える現在、過去、未来がある。それを踏まえて、この地に来たことで前を向けていると思う。


 帰ることの出来る場所があるんだから、帰ったっていい。今更、望月家とか滝川家の信頼が損なわれるなんてないんだから。


 十年で甲賀も変わっている。もう滝川と望月が甲賀を捨てたと表立って言う者はいないだろう。資清さんも望月さんも、それだけ甲賀を支援している。


 沿道の田畑はもう稲刈りも終えてなにもない。ただ、オレたちを見送ろうと田畑で待っている人たちがいる。


 資清さんたちへの感謝と甲賀衆の働きもあって、ウチがこの地に投じた支援は織田領以外では一番多いだろう。隠しても隠し切れなくなって領民でも知っているんだよね。


「着物も届いているみたいだね」


 手を振ったり声を上げたりしている子供たちに手を振って答えつつ、待っている人々の様子に嬉しくなる。慶事とかに着る用の服かもしれないが、確実に着物の質は良くなっている。


「ええ、嬉しくなりますね」


 エルたちと顔を見合わせると、みんなからも笑みがこぼれている。


 子供の服とか、優先順位が低いからな。お下がりのボロボロの着物とかも珍しくないのに。多少継ぎはぎしてあっても、悪くないと思える着物を着ている子が多いんだ。


 ほんと初めの頃に話を聞いた時は、どうなるかと思ったんだけどね。命の価値なんてない。夢も希望もないような話が山ほどあったんだ。


 隣国である伊賀が伊賀衆を厚遇しろと騒いだのも、ここに来ると少し理解出来るところもある。


 義輝さんの直轄地としてようやく落ち着いたが、結構揉めたからなぁ。


 この十年で、伊賀からも少なくない数の人が織田領に移住したしね。領主や村で禁じたところが多かったが、むしろ彼らの力の無さを内外に示すだけになった。


 史実だと団結して織田と戦ったところなんだけどね。この世界だと侵略されないことで団結出来ずに終わった。


 次は滝川家の旧領だなぁ。どんなところか楽しみだ。



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