第2334話・甲賀にて

Side:久遠一馬


 観音寺城下を出立したオレたちは甲賀郡望月に来ている。望月さんと千代女さんの故郷だ。一旦、望月城に入ると望月一族の歓迎を受ける。


 領地としてはすでに六角家の直轄領となっており、望月一族の皆さんは農業をしつつ旧領の代官職に就いている。


 甲賀郡からは今でも若い者たちが尾張に働きに来ることが多く、常時残っているのは村でも土地持ちの地主や飢えずに食える人が多い。


 甲賀望月家に関しては、若い当主以外は年配者が多いようだ。当主は元服したばかりだろう。先代の当主は望月さんの弟だったが、尾張望月家を従えようとして家臣に自害を強要されて亡くなった。今の当主は彼の子だ。


 悔恨というわけではないのだろうが、尾張望月家からは今も援助が続いている。皮肉なことかもしれないが、弟さんが亡くなって以降、望月さんが甲賀望月家になにかを求めたことは一度もない。


 今夜はここで歓迎をしてくれるということだが、まずは望月さんと千代女さんたちを連れて望月家の菩提寺にオレは足を運んだ。


 エルたちも一緒に来ていて、みんなでお墓参りだ。


「愚か者が、向こうで父上に叱られておろう」


 弟さんの墓に手を合わせた望月さんの言葉には、なんとも言えないものがあった。親兄弟だろうと敵対するなら命を奪われる。この時代だと当然のことだ。


 多くの者たちはその覚悟を持って生きている。


 もう少しやりようがあった気もするが、当時は六角家と織田家の関係は難しい状況だった。なにより甲賀に残る望月一族が彼を許さなかったというのがすべてなのだろう。


「のどかでいいところだね」


 菩提寺から眺める景色を見ていると、よくあるこの時代の田舎だと思う。ただ、発展性があるかと言われると微妙だ。相応に資金や技術を導入すれば変わると思うが、この時代のやり方では多くを変えることなど出来ないだろう。


 ましてここは六角家の領地だしね。


「所領で生きる者は、今ある以上のものは得るのは難しゅうございます。そこには代々の苦労と積み重ねがあっての今ですから」


 千代女さんは少し遠くを見ているような顔をしている。


 幼い頃の思い出とかあるんだろう。楽しかったこともそうでなかったことも。甲賀時代から一緒にいる侍女のせつさんは、少し涙を拭う仕草をした。


 彼女もウチの家中の人と結婚して、今や二児の母だ。


 オレと千代女さんの子である武光丸は数え年で四歳だが、甲賀を故郷とは感じてはいない様子だ。妻たちの間で格差を作りたくないので他の子と同じように育てていることもあってね。


 せつさんの子や他の望月一族郎党の子たちも、尾張で生まれた子は甲賀を知らない子たちになる。


 甲賀での苦労は、やがて日記や書物の中に残ればいいほうで、多くは時間の流れと共に消えていくのだろう。


 時が止まったような菩提寺からの景色をしばし眺めていた千代女さんがおもむろに立ち上がった。


「殿、参りましょう。若武衛様と若殿をあまりお待たせするわけにはいきません」


「そうだね。戻ろうか」


 千代女さんも望月さんも他の望月家の皆さんも、多くを語ることはない。ただ、それぞれに祖先の墓に参って祈りを捧げただけだ。


 いいことも悪いことも、思い出もすべて抱えて今を生きる。


 大人とはそんなものだと思うし、そういうところは時代を超えても同じなんだなと実感した。




Side:千代女


 望月の地は、あの頃と変わらぬままだった。


 父上と叔父上の争いも、今は昔のこと。若き従弟がいかに思うておるのか分かりませんが、少なくとも自ら争う気はない様子。


 久方ぶりの墓参り、私は込み上げてくるものはあれど涙は出ませんでした。


 殿やエル様たちは、皆が眠る菩提寺にて祈りを捧げてくだされました。


 せつはそんな殿とエル様たちの姿を見て、胸の奥にずっと抱えていたものがあふれ出したのでしょう。亡き父殿を思い出したのか、堪えきれず涙を見せていましたが。


 私やせつは恵まれている。運が良かったというべきかもしれませんが。それを改めて教えられました。


 皆と共に生きる。殿とエル様たちの信念でございましょう。それは常日頃の当然のようなことから違うのです。


「姫様、立派になられて……」


 望月城に戻ると、幼き頃より仕えている者たちが待っていました。皆、あの頃より年を重ね年老いている者も多くおります。感極まった様子の皆に声を掛けましょう。


「皆も息災なようでなによりです。暮らしに困っていませんか?」


 懐かしい顔ぶれに、次から次へと甲賀にて暮らした頃を思い出します。


「はっ、尾張からの助けもあり、いずこの村も飢えることなく暮らしておりまする。今では尾張から教えを受けた田畑の新しい技も広まって皆で励んでおります」


 尾張と比べると変化は見えない。ただ、この地の者も変わりつつある。この地を捨てた身としては申し訳なく思うと同時に嬉しくなります。


 尾張の地のように大きく変わるのは難しいかもしれない。されど、命を懸けて僅かな銭を手に入れるような日々からは変わることが出来た。その事実はなにより大きいはず。


「出雲守と千代女は、尾張でも知らぬ者がおらぬほど名を上げたぞ」


「千代女などかずの妻としての働きが見事過ぎて、日ノ本の女だと知らぬ者すらいるくらいだ。エルたちと遜色ない働きをしておる」


 ふと城の庭のほうから賑やかな声がすると思ったら、若武衛様と若殿が甲賀望月の者たちに尾張での話をしているところでした。


 なんということでしょう。私や父上のために、これほどのお心遣いを頂くとは。甲賀望月の皆も察しております。故に感謝と喜びで若武衛様と若殿を迎えている。


「急いで戻る必要なかったね」


 いつの間にか殿がお側におりました。共に参った織田家の皆様方も甲賀望月の皆も楽しげな様子であることに、殿は心底嬉しそうです。


 殿は変わられません。初めてお会いした時と同じ。あの頃と比べると世に知られるようになり立身出世致しましたが、日頃の暮らしは変わらず皆と共に生きている。


 村同士の垣根をなくし、同じ家中同士の垣根も減らしました。いずれ、日ノ本の垣根を大きくなくすのでしょう。


 目の前で見られる織田家の皆様と甲賀望月の皆の様子のように。


 私たちの子や孫は、そんな殿の功の大きさをいかに受け止めるのでしょうか? ただひとつ、皆と共に生きた殿の思いだけは確と伝えていきたい。


 二度と乱世など起こさせないために。



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