第2333話・出立
Side:久遠一馬
義信君と信長さん、他にも大勢来ている織田家家臣の半分ほどと共に尾張に戻ることになった。
足利政権の忙しさもピークを越えていて、いろいろと手伝っていた皆さんも帰るんだ。残るのは名門とか対外的な交流をする皆さんになる。
ちなみに、妻たちも何人かは残る。シンディ、セルフィーユ、ナザニン、ルフィーナとかはもうしばらく近江で奉行衆の手伝いをすることになった。
出立は早朝だ。観音寺城下にある春たちが借り受けている屋敷を出る。
「道中御無事で!」
「皆様、ありがとうございました!」
屋敷の外では、大勢の人がオレたちの出立を見送ろうと待ってくれていた。近くの領民だけかと思ったら武士もちらほらと見られる。
ありがたいね。他国に来て惜しまれて帰るなんて幸せなことだ。
出立日時は公にしてもいないが隠してもいない。ただ、挨拶廻りで帰る日を教えていたから周知の事実だったのだろう。
予定が漏れるとこの時代だと襲われる危険とかも出てくるが、近江から尾張までなら六角家の護衛も付くので問題はない。
振り向くと、観音寺城が見える。ふと、初めてここに来た時、六角定頼さんが見送ってくれた日のことを思い出す。
あれから年月が過ぎた。定頼さんから託された思い、少しは叶えることが出来ただろうか? 個人として家として、難しい立場と思惑があったのは承知している。
ただ、それでも荒れている世をなんとか落ち着かせようと、命を懸けていたことだけは間違いない。
定頼さん、あなたが残してくれた時間、オレたちは有意義に使えたのだろうか? 完璧なんてありえない。もっと上手くやれたこともあっただろう。
それでも、近江を戦乱から守った定頼さんの命懸けの努力だけは無駄にはしなかったと思う。それだけは及第点かな?
さて、帰ろう。オレたちの国に。
Side:六角義賢
若武衛殿、尾張介殿、内匠頭殿が出立されたか。
朝の寒空の下、いかな顔をして旅立ったのであろうか? 内匠頭殿には、もうじき子が産まれるとか。それを楽しみにしていると笑うておられた顔が思い出される。
「内匠頭殿がおらずとも守られておる気がするな」
人のよい御仁だ。労は自ら買って出るが、功は辞退する。
内匠頭殿の耳に入っておるか分からぬが、奉行衆からは内匠頭殿に相応しき役職を用意してはという話がだいぶ前にあった。
外つ国の王に贈るに相応しきものとして、かつて武衛殿の祖先が任じられた副将軍の地位などを検討しておったが、わしのほうで止めた。奉行衆としても悪意はないが、望まぬ形を押し付けたところで喜ぶのは朝廷くらいであろう。
結局、内匠頭殿の妨げにならぬようにと塚原殿と同じ上様の師としての立場を用意したが、それも固辞したからな。
そもそも内匠頭殿に相応しき地位などと考えると厄介になる。内匠頭殿の国を日ノ本の下にするのはあってはならぬことだ。たとえ本人がそれでいいと言うてもな。
我らにとって内匠頭殿は光明なのだ。光明に蓋を被せるようなことだけは避けねばならぬ。この先、対峙するであろう畿内を平定するためにもな。
「御屋形様、そういえば内匠頭殿は甲賀に立ち寄るとか……。なにか懸念でもあるのでございましょうか?」
家中の皆も少し寂しげな顔をしておるが、ひとりの家臣に問われたことを思い出した。
「いや、甲賀には看護殿と小智殿の里帰りで立ち寄りたいとのことだ」
甲賀は滝川と望月から輿入れしたふたりの故郷だからな。一度里帰りをさせてやり菩提寺にも行きたいと頼まれておる。里帰りくらい好きにしてよいと思うが、内匠頭殿が動けば周囲が騒ぐからな。事前に根回しをしておったのだ。
「そういえば甲賀の出でございましたな」
「他の奥方衆と共に動いておられたので忘れておったが……」
両名とも内匠頭殿の奥方衆として、他の奥方と変わらぬ働きをしておった。奉行衆などは甲賀の出であると知らぬ者のほうが多いかもしれぬほどだ。
「旧領の者らも喜びましょうな」
喜ぶはずだ。滝川も望月もあちこちに遠慮して里帰りを控えておったからな。内匠頭殿にとっては名を上げるより、こちらのほうが楽しみにしておろう。
あとはあまりこちらのことで煩わせず、楽しんでもらいたいものだ。
Side:二条晴良
「あやつめ、最後まで己に相応しき席に着かずに帰ったの。かようなところは意固地な男よ」
近衛公が東の空を見上げておる。その言葉は少し呆れておるようにも懸念するようでもあるが、顔は晴れやかだ。
まるで無二の友でも見送るような顔で上機嫌な近衛公に、山科卿や丹波卿もまた理解を示す顔をしておる。
近衛公にかような顔をさせる男がおるとはな。
南北朝の争いを終わらせたのは、他でもない内匠頭だ。あやつがおればこそ、足利も北畠も信じて動いた。
主上や院ですら成し得ぬことをあやつは成してしもうた。吾があやつの立場ならば、己が功に酔いしれ末代まで誇れと子らに言うておるやもしれぬ。
諸国の者らも、いつ内匠頭が相応しき席に着くのか。そう思い待っておった者もおろう。ところが内匠頭は最後まで己が功とせず、足利と北畠の慶事と南北朝の争いを終えた功だけを残し帰った。
今までと違ったのは、己が働きを隠さなんだことだ。隠す余裕がなかったと思えるがな。ならば功として誇ればいいものを。
先日には、忙しい最中にもかかわらず、奉行衆と政所の伊勢を招いて茶会をし、双方を取り持つ場を用意した。今までならば弾正や武衛の名でやったのであろうが、此度は両名も忙しかったからな。内匠頭は己の名で招いておった。
まあ、奉行衆への抑えは己が名でやったほうがいいと判断したのかもしれぬが。
此度のことであやつならばと信じる者はまた増えよう。皆の信を集め、その信で国を広げ東国を平らげるのも遠くあるまい。
代々の主上や寺社の高僧を超えたのかもしれぬ。
されど、ここまでしても道半ば。内匠頭はこの険しき道をいずこまで歩めるのであろうか?
太平の世など、まことにくるのか? 大陸でさえ争い王朝が滅ぶのだぞ。あやつは唐天竺を超える気か?
ひとつ分かるのは、内匠頭の名と面目は吾らも共に守ってゆかねばならぬことか。
あやつに傷を負わせると、まことに朝廷が終わることも……。
誇らぬことで、功はさらに大きく育ち世に広がる。
吾は、二度と見られぬ世の変わり目を目の当たりにしておるのであろうな。
◆◆
永禄五年の足利義輝の婚礼に際して、足利政権の奉行衆の一部が一馬に相応しい地位か役職を与えるべく検討していたことが一部の資料に残っている。
すでに外国の王として日ノ本での身分と別格だと扱われていたこともあり、婚礼に際して一馬に相応しい立場を用意しようとしたと思われる。
その中で最有力だったのは、足利政権において二度ほど任命事例があり斯波家も任じられたことがある副将軍の地位であった。
ただ、管領代の六角義賢が一馬が望むはずもないからと、その献策を止めていたことが分かっている。
事実、一馬は正式な役職ではない塚原卜伝と共に義輝の師として遇するという形も固辞している。
この件は、一馬の人となりと難しい立場が垣間見える出来事である。
ちなみに現代において一馬を副将軍とする時代劇があるのは、この時の逸話を基にした創作になる。
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