第2331話・晴れの場
Side:久遠一馬
御所の広間には奉行衆、義統さん、信秀さん、北畠具教さん、六角義賢さんなど多くの者が集まっている。諸国の守護や有力者も残っている者は同席しているので、そうそうたる顔ぶれだ。
中央に座るのは楠木正忠さんだ。今日は彼が官位を賜る日になる。
有象無象の公家衆は彼に官位を与えることで、楠木家を朝敵としていた朝廷と自分たちは悪くない。恨むなと言いたかったんだろうが、はっきり言ってこちらとしてはあまり気分がいい話ではない。
結局、義輝さんから官位を与えるという形にすることで、南北対立の終焉の先を示すことになった。
朝廷に対して恨みはない。そう示してはいるが、南朝方の大物だった楠木家が義輝さんに頭を下げる。こちらのインパクトのほうが大きいだろう。
「楠木には随分と難儀をさせたな。そなたが奥羽にて武功を挙げたこと、余の耳にも入っておる。褒美として太刀と官位を与える」
近習により運ばれてきた太刀を与え官位を賜ると、楠木さんは嬉しそうな顔をした。いろいろ思うところはあるのだろうが、南北の因縁が終わった最初の行動としてはこれ以上ないものだろう。
敗者のことも考える楠木さんならば、この栄誉を与えるに相応しい。
「左衛門尉と呼びたいところだが、そなたは牛頭馬頭のほうが似合うておるな。牛頭馬頭よ。奥羽の地を頼んだぞ」
「ははっ!」
義輝さんの言葉に少しざわついた。奥羽を頼む。楠木家の家柄を思うとおかしなことじゃないが、間接的に奥羽での斯波と織田の行動を認めたんだ。義輝さんは。
葛西、伊達、最上、芦名とか東北の諸勢力は急速に領地を広げているこちらへの対処に悩んでいて、今回、近江入りした者たちが動いているところはあるんだ。
足利政権として奥羽での斯波の拡大をほぼ公認したようなものだな。ほんとこういう反発が出来ないように動くこと上手くなったなぁ。
義輝さん、武芸だけじゃないんだよね。エルたちに熱心に政についても学んでいた成果が出たんだろう。
なにはともあれ、これで南北の新しい関係が始まる。
Side:楠木正忠
頂いた太刀の重さを感じる。祖先はいかな顔をしておろうか? 祖父上や父上はいかに思うておろうか?
堂々と楠木を名乗れるだけでも皆が涙を流して喜んだというのに、かような誉の場を賜るとは……。
わしは奥羽の地で武官大将として与えられた役目をこなしただけぞ。
無論、これが政のひとつであるということは承知しておる。北畠家から御台様を迎え楠木の功を讃えることで南北の新しい形を示した。
多くの者が知恵を絞ったのであろうと察する。とはいえ……。
「楠木殿、ようございましたな」
「南北の争いから長き時が過ぎた。争うた者らは誰一人生きておらぬというのに因縁だけが残った。致し方ないと諦めておったが……」
上様が下がられると、幾人かの諸将が声を掛けてくれた。
「因縁は末代まで忘れるなと言われることもあるが、こうして因縁を解き放つとなんと喜ばしきことか」
確かにな。許すこともまた必要であろう。かような場を賜ったから思うのではない。所領を明け渡し新たな治世で生きた。そのうえでそう思うたのだ。
「奥羽の地は辛くはないか? そなたの功があれば伊勢に戻れるのではないのか?」
それは本心か探りを入れておるのか。諸将のひとりに問われた。わしは笑うて見せねばならぬな。
「奥羽にて役目を賜ったのは我が天命じゃ。わしばかりではない。尾張から出張っておる者らは皆そう思うておろう。この身に代えて奥羽の地を守り豊かにしてしんぜよう」
近くに関東や南奥羽の者らがいるのを察し、わしは己の意思を確と示した。
決して己の力のみで成した功ではない。されど、わしの名で御家や奥羽の者たちが救われるならば、それで本望。噓であろうと虚勢であろうと、まことのように言うてくれるわ。
「そなたほどの男がそこまで言うとは……」
「受けた恩はそれだけ重いのだ。楠木を名乗れるのも功を挙げたのも、すべては御屋形様と殿のおかげ」
出来れば、ここに内匠頭殿とお方様の名を出したいが、望まれぬからな。
さて、わしの名でいかほど世が動くのか。
Side:足利義輝
牛頭馬頭か。あの男、かつてはあそこまで威風堂々とした男ではなかったのだがな。あやつは気付いておるまいが、オレは菊丸として何度かあやつを見かけたことがある。
奥羽の地にて化けたか? 後がないとは言わぬが、季代子らを守らねばならぬ立場となったことで変わったのであろうか。
左様なことを考えておると、近衛太閤殿下がやって来られた。
「これで南朝方だった者らも、そなたに従うようになろう。院もお喜びであらせられる」
ふと気付いた。殿下ご自身も喜ばしいと言わんばかりの顔をしておることに。本心か? 顔色くらい偽るのは造作もないはずだが。
「殿下には申し訳なく思うところもございまする」
近衛から正室を迎えるはずだったからな。それをオレは潰した。殿下の面目と共にな。思うところがないとは思えぬが。
「よいよい、そなたが内匠頭と共に世を鎮めようとしておる以上、致し方ないことじゃ」
殿下……。
「京の都から落ち延びた時は辛かったの。それは吾も同じぞ。あの時のことは終生忘れぬ。されど、内匠頭の見ておる世を築くつもりならば、そなたもいずれそのことを忘れねばならぬ日が来る。必ずな。それだけは忘れるな」
そうか。殿下もまた、因縁や不満を胸に秘めて朝廷のため近衛のために動いておられるのか。
「はっ、確と承ってございます」
「大樹。名も家も捨てたいと思うは、そなたひとりではないぞ。院や主上とて、そなたのように尾張に行けるならばそれを望まれよう。吾とてな……」
オレに見せたこともないような顔をした殿下に言葉が出ぬ。悲しみか? 嘆きか? 諦めか? 分からぬほど様々なものがあるのだけは分かる。
「出来れば、皆を連れて行ってやってくれ。次の世にな。何かの役には立とう」
やっと分かった。殿下のお心が。
光明は院や主上のみを照らしたわけでないということが。それ故、殿下は一馬には心を開き共に争わぬ道を切り開いておられるのか。
「菊丸としての生は殿下より賜ったもの。その恩は忘れておりませぬ」
「ふふふ、そなたに左様な顔をされるとはの。よき大樹となったわ」
足利義輝はオレひとりのものではない。皆の助けにより在るのだ。それだけは忘れぬ。この先なにがあろうとな。
足利将軍家の最後の時まで。
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