第2329話・夜明け

Side:とある僧侶


 夜が明ける。遠くに見えた花火の余韻が未だ残る中、村の者らと共に夜通し大騒ぎしたまま朝を迎える。


 尾張では十年も前から花火を見られ、遥か地の果てである奥羽でも数年前から見られるという。にもかかわらず近江より西では一切見られず、上様の御婚礼祝いということでようやく近江にて花火が見ることが出来た。


 花火のようなものを見せるならば、まずは己らのところでやるべきだと騒いだ京の都や叡山を捨て置き、斯波と織田は領内でのみ打ち上げ続けた。


 それもあってか、織田と久遠を成り上がり者と謗り、斯波を礼儀知らずと叩いておった叡山の破戒僧どもが、此度はこぞって花火を見ようと近江御所の近場に行く様は滑稽であったな。


 あれだけ織田を許さぬと騒いでおった叡山の破戒僧の豹変ぶりに、村の者らも唖然としておる。


 斯波と織田から出向き、地に頭を擦り付けねば仏罰だと騒いでおったのではないのか?


 己らに逆らう者は許さぬと弱き者を虐げ、戒律も守らず町で贅沢三昧な暮らしの末のことだ。奴らがいかに穢れておるかはっきりした。


「凄かったなぁ」


「二度と見られまいが、よいものを見せていただいた」


 村の者は花火を見られたことを喜び感謝しておるが、その様子には僅かな憂いもある。


 ここら一帯は昔から叡山の寺領だからな。斯波と織田どころか六角領ともまた違う。六角の直轄領などでは尾張の品々が安く手に入るが、叡山の寺領では京の都などと同じく高くて買えぬ。


 花火は見られたが、あれも我らに見せるために打ち上げたわけではないことは確かだからな。


 周防の大内様が死の間際に遺言を残されておる。新たな世は尾張から訪れるとな。最後まで付き従った者らに、生き残れたら尾張に行けと命じたとか。


 大内様の遺言のままに世は動いておる。


 朝廷も叡山も奪い争うばかりで民のことは顧みぬ。あまりのさまに公方様が朝廷と畿内を離れたのは当然のことであろう。


 近江にて北畠と縁組をして朝廷の仕出かした南北の因縁の始末を終えられた。


 これからは近江と尾張で世が動いてゆくのだろう。


 村はいかになるのであろうか。破戒僧どもに税を収めるならば、まだ公方様か六角様に納めたいが……。


 難しかろうな。




Side:久遠一馬


 一夜明けた御所は穏やかな様子だ。徹夜をしていた者たちも多く、今頃、一休みしている人たちが多いのだろう。


 今回の花火で、一応、大きなイベントは終わりだ。この後も当分の間は、お祝いと称して宴やらなにやらとやることになるが、徐々に規模を縮小して行く。


 諸勢力の当主クラスが来ているところはしばらく残るようだが、それ以下の使者は早いところではそろそろ帰り始める。


 滞在費もかかるし、なにより婚礼祝いが終わっても戻らないとなると、領内や近隣で隙があると見て争いになるかもしれないし。


 オレたちは何日か様子を見て、義信君、信長さんと一緒に帰る予定だ。義統さんと信秀さんはもう少し残るが、オレの場合は子供が産まれそうだからね。早めに帰らせてもらうことにした。




 まあ、帰る前にやることがあるので、それを終えてからだが。さっそくやるべきことをやるために、オレは御所内で六角義賢さんと会っている。


「いや、よき花火であったな」


「そうですね」


 義賢さんも少し疲れが見えるが、表情には出していない。同じ場には伊勢貞孝さんと北条氏康さん、三好長慶さんがいるからな。


 オレの側にはエルとシンディがいて、シンディは珍しいお茶、ハーブティを淹れている。その香りがいいね。


「今日は珍しい茶に致しましたわ。皆様、お疲れのようですから。薬茶やくちゃと申しておきましょうか。ケティの薬ほどの効能はありませんが、疲れた時によい茶です」


 珍しい香りに氏康さんも驚いている。まさかこの場で見知らぬものを出されると思わなかったのだろう。


 一口飲んでみるとさっぱりとしていていいね。シンディのことだからあまり癖のないハーブティにしたのだろう。


 茶菓子はエルが作ってくれたクッキーがある。


 三人がお茶とお菓子に手を付けるのを見計らって、義賢さんがこちらを見たので頷く。


「いろいろと難しい世だ。誰もが間違い道を違えることはある。されど、先々に因縁は残したくない。この場におられる三家の婚礼に絡むこと、どうかこの場で遺恨なしと収めてくれぬか?」


 貞孝さんと長慶さんが少し引き攣った顔をした気がした。氏康さんはオレたちと付き合いが長いし慣れているのだろう。


 というか、事前に了解は得ているはずなんだけど。恐ろしいものを見るような顔をしないでほしい。


 北条と三好の婚礼を仲介した義賢さんと、実質的に貞孝さんの処遇を決めたオレとで、伊勢家を北条と三好の婚礼から外したことに対する和解を仲介する。


 オレが言うのもなんだが、今回の婚礼では義賢さんとオレがほぼ差配したことはもう隠しようがないことだ。味方陣営に余計な因縁を残したくないから、義賢さんと話してきちんと和解させることにした。


 無論、事前に貞孝さん、長慶さん、氏康さんの了解は得ている。あとはそれぞれの一族や家中に向けて、こういう経緯で和解したと言える場を設けることが必要なんだ。


 まあ、理解はしてもオレと義賢さんが揃うと威圧感があるんだろうね。特にあまり面識のない貞孝さんなんかは。


「某が意地を張ったためにご迷惑をお掛け致しました」


 先に口を開いたのは貞孝さんだった。確かに彼が義輝さんと対立するような立場を続けたのが原因でもあるからなぁ。実のところ、ここまでなる前に義賢さんやオレから何度か話し合いを持ちかけたんだけど。断られていたんだよね。


「こちらこそ、察することが出来ず申し訳ない」


「某も配慮が足らなんだ。申し訳ない」


 貞孝さんの様子に氏康さんと長慶さんが謝罪すると一段落だ。


「なにかお困りごとがあれば管領代殿か私に言ってくれれば、なんとかしますから。争いだけは勘弁してください」


 この三家が拗れると、足利政権の政権運営にも大きく影響を与える。まあ、そこが分からない人たちじゃないから大丈夫だと思うが。


 三好と北条は従える国人とか面倒な人多いからな。騒ぐ人もいるはずだ。


 正直、安心したのだろう。皆さんそんな顔をしている。


 貞孝さんを恨んでいた奉行衆も一通り納得してもらった。現実問題として京の都を抑える人がいるんだ。


 貞孝さんの立場、とりあえず政所としてそのまま戻すことにした。新しい役職を作るのも大変だしね。意思疎通をきちんとしてくれると運用が出来ないわけではない。




◆◆

 永禄五年、九月。


 足利義輝の婚礼祝いの花火打ち上げがあった翌日、久遠一馬と六角義賢は伊勢貞孝、北条氏康、三好長慶の仲裁をしている。


 足利義輝の命に背いていた伊勢貞孝の処遇と後始末のひとつとされる。


 北条家と三好家の婚礼は義輝と貞孝の両者の対立に巻き込まれぬようにと義賢が仲介していた。そんな事情であったため、三家に対して遺恨なしということで収めるように一馬と義賢が和解の場を取り持っている。


 三家の和解は、事前に話は付いていたということが『資清日記』に記されている。


 ただ、一馬と義賢が揃って和解の場を取り持ったことには驚いたとする逸話がいくつか残っている。


 足利政権における表と裏の次席である義賢と一馬が揃うと、誰も逆らえないだろうと噂が近江で流れたという。


 これ以降、この因縁が歴史の表舞台に出てくることはなかった。




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