第2328話・花火のもたらすもの・その二
Side:足利義輝
光が天に昇る。まるで龍のように。
誰もが静まり返り息を呑む。
まるで乱世を示すような闇夜に光の花が咲き誇り、僅かに遅れた音が胸の奥に突き刺さるように轟く。
震えがくる気がした。
婚礼も南北の因縁を終わらせたことも、この花火には遠く及ばぬ。そう思えたからかもしれぬ。
オレは……、自らの力でこの荒れた世を鎮定したかった。戦から逃げ出し、小物管領を潰すことすら出来ぬ父上に苛立っていた。
あれから幾年月。あの時、父上やオレを見捨てた者たちが、さも当然のように元の地位や立場に戻ろうとするのを見つつ、幾度、一族郎党根切りにしてやろうと思うたことか。
師に諭され、一馬らと会うておらねば、間違いなくオレは今も畿内で戦に明け暮れていたはずだ。
左様なオレが、この身を、いや、足利の世を終わらせることで新たな世を生み出そうとしておるとはな。父上が見たらなんと言われるか。
「大樹、よき婚礼となったな」
咲き誇った花火が消えると、院のお言葉を賜った。
「はっ、多くの臣下と友に助けられましてございます」
身分が高くなればなるほど、己はひとりだと思い知らされる。オレは運が良かった。同じ世に久遠という友がおったことが。父上との差はそれだけなのかもしれぬ。
「……友か。羨ましき限りよ」
オレの言葉の意味を察したのであろう。僅かにこちらに顔を向けられた院は、一言では言い表せぬ言葉を口にされた。
婚礼があったことで足利の栄華を褒め称え、オレの権勢を恐れ、利用しようとする者が増えたが、それすら一時のものでしかない。
此度は北畠と共に祖先の後始末をしただけなのだ。落ち着けば、誰もがそれだけのことだと理解しよう。
天下とはいかに遠いものか、オレは今、それを教えられておる。義満公以来の権勢と称されるほどになりつつあるが、それでも戦を終わらせることも乱世を鎮めることも見通せぬ。
朝廷や足利が積み重ねた業は、今もなお残り続けておる。それが人の世だといえばそれまでだが……。
分からぬな。されど、無駄にはなるまい。
すべては太平の世のために……。
Side:北畠晴具
ようやくというところかの。これにて東国を平定する目途がたった。
なにより朝廷の権威に頼らず南北の始末を終えた。そのことが、これから大きな利となろう。
こちらから朝廷に刃を向ける気はないが、あの者らに合わせておれば奈落に引きずり込まれそうじゃからの。
関白らはいささか面白うないのであろうが、今のままならば恐るるに及ばず。敵は、やはり寺社かもしれぬな。朝廷ですら手に負えなくなった現世の亡者どもめ。
今は大人しいが、果たしていつまで大人しくしておるのやら。
此度の婚礼は多くのことを教えてくれた。所詮、わしは南伊勢で燻っておった身。そこまで天下の政を知る身ではない。故に学ぶべきことが多かった。
世を知り、天下を知り、久遠を知った。もっとやるべきことが多いと思い知らされたわ。
あと十年、せめてそれだけでも生きておらねばならぬ。
内匠頭らが思うままに新たな世を作れるように、睨みを利かせておらねばならぬな。武衛殿や弾正殿もおる。わしなどおらずともなんとかなろうが、寺社の始末を終えぬうちは油断など出来ぬ。
されどまあ、面白い。内匠頭に言うと困った顔をされるやもしれぬが、世の変わり目にて己の役目がある。なんと面白きことか。
此度の婚礼で内匠頭と奥方衆の力量を改めて思い知らされた。あやつらが憂いなく政を動かせるようになればいかになるか。わしは見てみたい。
南北の因縁の先にある世、誰も見えておるまい? 恐らく今とさほど変わらぬ。世の根幹を今少し変えねば、因縁が減った分だけ新たな因縁が持ち上がるはず。
明日からはまた、愚か者どもに悩まされる日々であろう。とはいえ、それもまた一興。二度とないかもしれぬ日ノ本が生まれ変わるその時まで、わしは生きておらねばならぬ。
ああ、よき花火じゃ。
寒い夜の花火も悪うないの。まるで乱世を照らす光明のように見える。
Side:久遠一馬
花火見物は能とか猿楽の見物に少し似ている。あまり騒がず、静かに打ち上がる花火を楽しむ。
尾張の花火大会だと、未だに花火を見ながら祈る人がいると聞いている。誰が始めたのか知らないが、花火と共に祈りを天に届けるんだそうだ。信心深い時代らしいなと思う。
面白いのは、それをやるのが庶民ばかりでなく寺社の関係者もということだ。
余談だが尾張や美濃においても、多くのお坊さんや神職の皆さんは今でも人々の模範であり続けている。他国との違いはそんなにない。ただ、命を大切にして喧嘩などがあったら仲裁することが多い。
偉そうな態度で金貸しやら金儲けばかりしている奴らが、尾張からいなくなっただけかもしれない。
そんな変化は以前からある問題をさらに顕在化してもいるけど。高野聖などの領外から来る宗教関係者は年々嫌われ度合いが増している。織田領内では勧進をしてもお金が集まらないなどとの不満を持たれていた。
ただ、高野山なども無策ではない。ここ最近だと問題を起こす人は来なくなりつつある。シルバーンからの報告では、織田領に行く者を向こうで選んでいるとのことだ。
ちゃんとしたお坊さんだと、そこまで拒否されないんだよね。これが続けば、いろいろと変わると思うけど。果たしてどうなるのか。
あと面白いのは、結局、伊勢神宮のことを誰も問題として取り上げず仲介もしなかったことだろうか。生きるのに困らないならいいだろというのが多くの人の妥協点らしいね。
「やっぱり花火はいいな」
「ほんとね、お酒が美味しいわ」
春が昔のように屈託のない笑顔で楽しんでいる。
妻たちもウチのみんなも、ようやく役目を忘れて楽しめているようだ。今回は本当に遠慮することも出来なかったほどギリギリだったからなぁ。
明日にでもみんなを労ってあげよう。特に春たちはこのまま近江に残ることになるし。
お疲れ様の花火見物だな。
◆◆
永禄五年、九月。近江国近淡海、現在の琵琶湖沿岸にて、足利義輝の婚礼を祝う花火が打ち上げられた。
近江御所の完成お披露目と義輝の婚礼を祝う花火であったと、『足利将軍録・義輝記』にはある。
久遠一馬が尾張国津島にて花火を打ち上げて十年以上過ぎていたが、依然として打ち上げ花火を模倣出来た者はおらず、久遠家の家伝の技として認識されていた。
記録によると織田領以外での花火打ち上げは、関東の小田原に続き二例目となり、斯波家と織田家では花火を教えろという要求や打ち上げてほしいという嘆願をすべて断っていたことが分かっている。
当時は特許制度もなく真似た者勝ちな世の中であったため、斯波家と織田家が久遠の知恵と技を守ることをなにより重んじていた結果であった。
これには久遠家が尾張に来た当初、金色酒の偽物や織田手形の偽物を作った堺の町の影響があったと思われる。
そういう状況もあり義輝の婚礼とはいえ花火を大々的に打ち上げたことには、諸勢力が驚いたという逸話がいくつも残っている。
この花火は婚礼と合わせて、義輝と三国同盟の結びつきの強さを諸国に示すことになり、世の移り変わりを日ノ本全土に示すことになった。
現在、同地では足利義輝の婚礼のあった日に花火大会を毎年開催している。
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