第2326話・その頃、尾張では……

Side:太原雪斎


 近江で花火となるこの日、拙僧のところに珍しい御仁が姿を見せた。


 朝倉宗滴殿。共に今とは違う世を生きた身だ。南北朝の因縁の終焉を己が目で見ることの出来ぬことに、少しばかり思うところがあるのかもしれぬ。


「関東はいかほど粘ろうか?」


 しばし無言のまま拙僧の淹れた茶を飲んだ宗滴殿は静かに問うてきた。


「何年も持たぬかもしれぬ。意地を張ったところで里見の二の舞だけは避けたかろう。前古河公方殿か関東管領殿が本気で対峙すれば五年は持ったかもしれぬが、その気はないようじゃからの」


 尾張と一戦交えることを考える者はおっても、打ち負かして斯波と織田を本気にさせることは望むまい。


 そもそも関東は関東で争いや因縁を抱えておる。一致結束して尾張と戦をするのは最初の一度くらいであろう。そのうち勝手に内輪で争うはずだ。切り崩すなど造作もないこと。


 朝倉家の治める越前などは未だ手付かずだが、あちらは捨て置いてもあまり困らぬ。奥羽領との間にある関東とは違うのだ。奥羽も斯波の名で治めておるが、あそこは久遠が差配する地。織田としては、あの地をいつまでも孤立させたままにしておけぬはずだ。


 いかに船が使えるとはいえ、陸路で通じたほうがよいのは誰が考えても分かること。


 斯波と織田はもう止まれぬ。築き上げた太平の国を守るためには、朝廷であろうと寺社であろうと従えて日ノ本を平らげるしかない。さもなくば、すべて奪われよう。大殿や内匠頭殿のおらぬ世になった後でな。


 関東と畿内、今は共に立ち上がるなどありえぬことじゃが、所詮は古き世から戦を繰り返しておる者らだ。斯波と織田から奪えるとなると、奪いに来る。必ずな。


「南北朝の因縁が終わるというのに気が晴れぬ」


 それはそうであろう。ひとつ因縁が終わったと安堵しておる者が多いのも事実なれど、豊かな者がおれば羨み奪おうとするのが今の世。南北朝の因縁が消えたとて、新たな名目を持ち出して人は争う。


 此度の婚礼は、公方様が三国同盟との縁を深めようとしたのだと思われる。北畠がこれほど動くとは思わなんだが、裏では拙僧が思うより話が出来ておるのやもしれぬ。


 これで南朝方で素直に降る者が増えたら御の字というところであろう。斯波家としても織田家としても久遠家としても、この婚礼にすべてを懸けておるわけでもあるまい。


 世が変わらずとも、上様との縁が深まり争わぬ形を作れたらいいというだけに思えるが。


 はてさて、いかになるのやら。




Side:帰蝶


 清洲城にある南蛮の庭では、女衆が集まり茶会を致しております。石橋御前と土田御前の招きによる茶会でございます。


 公方様の婚礼を祝う。左様な名目とか。ご正室は石橋家の娘。石橋御前としても喜ばしいことなのでしょう。もっとも、それを表に出すお方ではございませんが。


 ふと市殿が紅茶を淹れて皆に配っておる姿が見えます。


「紅茶など、いかがですか?」


 形式に囚われず、無形の如く楽しむ茶会。畿内では侘び寂びなどあるそうですが、尾張ではこちらのほうが多く親しまれています。


 もとより女衆が茶の湯を嗜むようになったのは、久遠家によりもたらされたもの。畿内にある茶の湯とは別物となります。それ故、別物として皆が楽しめるものなのでしょう。


 その久遠家からは、唐殿、天竺殿、慈母殿などが参っておられますね。大智殿を筆頭に幾人も近江に出向いていることでこの場にはおりませぬから。


「公方様と北畠家の縁組とは、なんと喜ばしきことでしょう」


「左様でございますね。されど……、京の都や畿内が黙っているのか」


 慶事を喜ぶ者が多いのも事実ですが、先行きを案じる者もまた多い。


 あらゆる名目にて私たちから奪うばかりの朝廷や畿内の寺社には、皆が思うところあるのでしょう。朝廷は私たちからすべてを奪う。かつてのような暮らしに戻るまで。皆が察していることですから。


 織田は与えることで大きくなった。男衆はそう言いますが、突き詰めると久遠家がやっていたこと。朝廷は認めぬでしょう。武威にて制するまで。


「公方様がお味方頂けるとよいのですが……」


「私どもには分からぬことでございますから……」


 近江の公方様ですら、信の置けぬところがある。己の身は己で守る。今も変わらぬ世の理なのかもしれません。


「そう懸念することばかりではないわ。お味方は増えているから。此度の婚礼でまたお味方が増えるはずよ」


「天竺殿……」


 案じる者たちの光明となっているのは、やはり久遠家ですね。天竺殿たちが皆に声を掛けております。


 私や土田御前が言えないことも天竺殿たちならば言える。特に天竺殿は学校の師を務めていることで、尾張でもっとも高徳なひとりでございますから。


「皆で信じて力を合わせましょう。今までと同じよ」


「左様でございますね。皆で力を合わせれば恐れる者などない」


 お見事なものです。皆の懸念を払拭し、一致結束してゆけるようにされている。


 ただ、それはやはり久遠あってのもの。殿は久遠頼りの織田家を変えたいと意気込んでおられますが、まだそちらの道のりは先が長いようです。


 私も、もっと女衆をまとめられるようにならねば。いつまでも土田御前に頼るばかりでは駄目ですから。




Side:アーシャ


 自分の理解出来ないことが動く。喜ぶ反面で不安も増えるのよね。


 ここ数年、朝廷の信頼は揺らぎ続け、女衆では恐れる者が増えている。政から少し距離を置いている者が多いことで客観的に見ている者も多いのよね。


 私たちでそんな女衆の不安を取り除いてあげないといけないわ。


 ただ、意外な人物が若い女衆に頼られている。


「お子が産まれたとか? いかがですか?」


「ええ、それが夜泣きが酷くて……」


 今も、あちらで若い奥方に声をかけている、かおりさんのことよ。設定年齢は二十九歳であったものの、アンドロイドとしては新参であり仮想空間で生きた日々が少ない彼女は、こちらに来てから世の中を知ったと言っても過言ではないわ。


 もともと庶務としてシルバーンで下支えしていたこともあって、尾張では人々の下支えをするように動いている。


 表立った役目がないからこそ、かおりさんは女衆の行事に率先して参加して多くの人々と誼を結び信頼を得ているわ。


 なかなか面白い変化よね。エルやケティの仕事が増えたことで、昔ほど細かく人々と触れ合う時間が取れなくなりつつあるから彼女がその代わりとなっている。


 お清殿と千代女殿もそうだけど、私たちアンドロイドも状況に適応するように変わるのよね。


「今宵は花火をするとか」


「線香花火のように小さいものネ」


「楽しみでございますわ」


 あっちではリンメイと数人の奥方が今夜の話をしていた。


 近江の花火に合わせて、清洲城でも手持ち花火をして楽しむ宴を用意してある。共に楽しむ。近江と尾張で距離はあるけど、こういうことがきっと明日へと繋がるはず。


 私たちは手を緩める気なんてないわ。



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