第2324話・南北が交わる時・その十一

Side:千種忠治


 ふと、所領を手放した日を思い出した。


 決して望んだわけではない。今も悔いが残る。世の流れは致し方ないが、もう少しやりようがあったのではないかと思えてならぬのだ。


 もっとも、そんな過ぎたことを思い出す余裕があるのは、僅かな休息をしている時だけだ。


 会わねばならぬ者らがまだまだいる。


「南朝か。すでにないものであろうに……」


「義父殿?」


 思わず出た言葉に、婿殿がその真意を掴めずこちらを見ている。婿殿との関わりも変わった。合うところ合わぬところあるが、少なくとも憎しむほどではない。


「敗軍など捨て置けばいいものをと思うてな。今更、南朝を持ち出したとて、多少、気が収まるくらいのことしかなるまい?」


 返事に困る。左様な顔をした。こういうところが、こやつは宮仕えに向くのであろうな。千種家は安泰だ。


「勘違いするな。守護様や大殿に不満などない。ただ、力で従えと命じるだけでよいと思うというだけだ」


 織田の大殿に不満などない。待遇も悪うないしな。ただ、ここまでせねばならぬのかと思うところはある。朝廷などとうの昔に我ら南朝方を見捨てたというのに。


「神仏すら信じられぬ世だ。かような配慮がいるのであろうがな」


 六角と北畠が織田に不満を抱え、いずれ兵を挙げるのだと無量寿院に騙されて以来、わしは寺社を信じることを止めた。


 武士の上に立たねば気が済まぬというのに、武士より俗世に穢れた者など信じられるか!


 此度の婚礼も誰が考えたのか知らぬが、苦心の末のことだというのは分かる。神仏が信じられぬ以上、信じられるものがいる。


「ご隠居様、そろそろ……」


 そうであったな。南朝方ばかりか多くの者と会わねばならぬ。この慶事に少しでも争いの元凶を減らし、皆で生き残るために。


「行くか」


 わしは愚か者故に、逆らうことなど致さぬ。


 ただ、同じ過ちを繰り返すことだけはしとうない。それだけだ。




Side:とある近江の領民


 祭りみてぇだなぁ。どこを見ても賑やかで、町の皆が喜び騒いでいる。


「おっとう。どこにいくの?」


 大切な日だけに着る着物を着せたことで、倅も楽しげだ。


「公方様のところだ。お祝いを申し上げるんだ」


 公方様がおらたちの国で婚礼を挙げるなんてな。振る舞いの酒と菓子がおらたちにまでもらえた。


 なにもお返し出来ねえけど、お披露目があるっていうから行かねば。皆で公方様を祝ってやらねえと、近江者が笑われる。


「おお……おっとう。すごい!」


 倅が騒ぐほど立派な御所だ。これなら公方様も喜んで下されるんだろうなぁ。村の近くにある城とは大違いだ。


「脇差はここで置いていってもらう。この木札で帰る時、己の脇差を持ち帰るのを忘れるなよ」


 御所は大勢の人で溢れていた。皆、考えることは同じらしい。


 政も難しいことも分からねえ。ただ、尾張のように戦がなく飢えない暮らしがしたい。それだけでいい。


 御所の庭先は、大勢の人でごった返していた。


「おっとう、くぼうさまは?」


 御所の中、御簾の向こうに公方様とご正室様がおられるが、人が多過ぎて倅には見えないのか。仕方ねえな。抱きかかえて見せてやるか。


「くぼーさまー!」


「こら! 無礼な振る舞いをするな!!」


 抱きかかえた倅が大声を上げたことで慌てて叱る。周りの奴らもさすがに驚いただろう。


「あ! くぼうさまがこっちにむいてくれたよ!!」


 お叱りを受けるかと気が気でないっていうのに、倅はのんきなものだ。


「皆、大儀である! 上様は皆が参ったことお喜びだ!」


 控えているお武家様が大声でそう言われたことで安堵する。どうやら無礼だと罰を受けることはないらしい。


 誰かが平伏すると、皆で平伏した。騒がしかった御所の庭が途端に静まり返った様子がなんとも言えない驚きだ。




 帰り道。倅は上機嫌な様子だ。村から出るなんて滅多にないからなぁ。楽しかったらしい。


「くぼうさまがね! おらにむかって、てをあげてくれたよ!」


 そんなわけがあるか公方様だぞ。おらたちに応えてくださるなどあり得ねえ。ただ、目通りを許してくれただけでもありがたい。


 公方様は病だとか。帰ったらお寺様に祈ろう。公方様の病がようなるようにと。


 今の公方様になってから争いも減った。きっと凄いお方なんだ。


 願わくば、今の世が続いてほしい。


 ただ、それだけでいい。





Side:セレス


 領民向けのお披露目は上手くいっていますね。


 賊や刺客が紛れ込まないとも限らないので、上様と領民の間には距離を開けて警護衆を配置しましたが、大きなトラブルもなく一日目のお披露目が終わろうとしています。


 人でごった返していた庭から領民がすべて出て行くと、ようやく一息付けます。


「いやはや、なんとも面白きことだ。将軍として民とこれほど会うたのは初めてだからな。楽しかったぞ」


 上様の下に参上すると、上機嫌なご様子でお声掛けがありました。


 周囲を囲むは警護衆と尾張から連れてきた女警備兵です。今日の侍女はすべて要人警護に特化した女警備兵ですから。上様とご正室様をお守りするくらいなら出来る。


 もっとも、上様は御身を自ら守れるくらいの力量があります。吉岡殿を除くと、上様よりお強い者はわずかしかおりません。数名程度の刺客では上様のお命を奪うどころか周囲のものを傷付けることすら出来ないでしょう。


「セレス、民の様子はいかがだ?」


「皆、喜んでございます。上様の婚礼を祝い、病が治るようにという声が多く聞かれてもおります」


 随分と苦労をしましたが、これで上様はこの地を地盤と出来る。少なくとも京の都の将軍様というお客様のような扱いから、この地で共に生きる将軍様という認識に変わりつつある。


「そうか。尾張での日々が役に立ったな」


 朝廷を疎かにせず守護や各地の諸勢力も相応に遇する。そのうえで民とも向き合う。菊丸として私たちと共に過ごした日々から学んだひとつの答えなのでしょう。


 明日はいい天気になりそうです。絶好の花火日和。


 花火は上様の権勢を更に高めることでしょう。本当に、このお方は最後の将軍として自ら終わらせることを選ぶのでしょうか?


 気が変わることもなくはない。無論、上様の人となりを理解するとその可能性は高くありませんが。


「さて、少し鍛練でもするか。吉岡、相手をせよ」


「ははっ!」


 ふふふ、要らぬ懸念だったようですね。ここ数日将軍として忙しい日々が続き、そろそろ菊丸に戻りたいようです。


 正直、上様はこのくらいのほうが孤独にならずにいいと思えてなりません。


 孤独は人を狂わせる。偶然ではありますが、よき加減となったものです。



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