第2322話・南北が交わる時・その九

Side:ナザニン


 私とルフィーナは京極殿、武田無人斎殿などの織田家外務方と共に奉行衆の応援に来ている。上様の権威が増したことで、各地の諸勢力から相談事や訴訟が持ち込まれているのよね。


 もっとも、その数は想定より多くない。真継が偽の綸旨を用いたことで死罪となった影響が出ているわ。畿内や近江では騒ぎになったものの、地方によってはまだ情報が伝わらず畿内や近江に来てから聞いたという者も少なくない。


 当然、訴訟や相談事をする際に慎重になっているのよね。


 さらに綸旨の真贋だけではない。今後は訴訟関連は御成敗式目を基本として厳格に沙汰を下す。訴えに噓偽りがあった場合は、訴えた者が処罰の対象になること。さらに古い時代の綸旨も対象とするとした。


 そのうえで相談事や訴訟を願い出る者は相応に対処しているけど、中には怒りだす者もいる。


 これに関しては上様の御意思として、従わない者は捨て置くというものがある。守護様ほどではないにしろ、ここ数代の将軍の苦境の時に励んだと言えるところ以外は厚遇する気はない。


 そもそも、叩けばほこりが出るところはみんな同じなのよね。思う通りに裁定を下すと従うが、さもなくば従わない。酷いところだとそう脅してくるところもある。


「ほう、怒って帰ったか」


 奉行衆の報告に無人斎殿が面白そうに笑った。


「愚か者が分かるな。己で訴えておきながら、いかな裁定になっても従うという誓紙すら交わせぬとは」


 特に驚きはない。京極殿はその勢力を要注意勢力として、新たに書面に書き加えていた。


 そうそう、こちらのアイデアでひとつの試みを始めた。訴訟を開始する前に、訴えた者に誓紙を交わさせることにした。拒絶した場合は訴訟を受け付けない。


 訴えられたほうはまだ仕方ない。そちらの言い分も聞かないといけないから。ただ、訴訟を願い出た以上、どんな結果になっても受け入れるという覚悟と礼儀を弁えてもらいたい。


 おかげで訴訟の相談はあれど、正式に訴え出た件数は少ない。


「銭次第で訴訟がまかり通っていたもの。そりゃ、同じようにいかないと怒るわよ。こちらが兵を挙げて討伐することもしないと高を括っているんでしょうね」


 この時代の法律の基本である御成敗式目には手を付けていない。ただし、なるべく公平公正にしつつ、双方の行動や現状を踏まえて総合的に判断する。そうするしかない。原理原則だけで訴訟を受けていては世の中が混乱するだけだもの。


 実はこれ、真継の家乗っ取りに関する事後検証が改革の発端となった。周到な根回しと献金などで真継は訴訟を歪めた。その事実が問題視された。


 そこに正式に訴訟を担当していた伊勢殿がこちらに従ったことで、足利政権として憂いなく新しい方針を打ち出すことが出来た。


 奉行衆には訴訟を訴えた者から新たに献金や贈り物を受け取らないように命じ、訴訟を願い出る者には結果を問わず受け入れるように誓紙を求める。これを変えるだけでも大変だったのよね。春が珍しく愚痴っていたもの。


「仲裁は受けるのだ。それで満足すればよかったものを……」


 吐き捨てるように不快感を露としたのは、同じく応援に来ている蒲生殿だった。


 ただ、この改革急激にやると影響が大きいので、救済策として訴訟としない形での仲裁は奉行衆で行う旨を伝えて、そちらでの訴えなら比較的柔軟に受けている。


 訴えの大半は、利権、領地、水利。これらになるから仲裁して喧嘩両成敗のように妥協案を出すのは、以前から奉行衆がしていることなのよね。それは続けてもらうことにした。


 私たちも他者を批判など出来ないけど、権威権力を利用するなら、苦しい時にも従うという形式だけは守ってほしい。誰も所領すべてを奪うとか一族郎党を根切りにするとか、そんな裁定下さないんだから。


「無理に諸勢力を従えずともいいわ。今は出来る範囲でやりましょう」


 足利政権が日ノ本全土を統治するのは現状では無理なのよね。元からそんな体制ではない。ただ、地方を差配していた管領や探題などが上手く機能していないところに上様の権勢が高まったことで、必然的に中央に期待して人が集まりつつある。


 厄介なことしかないのよね。ほんと。




Side:セルフィーユ


 婚礼五日目。最後のお膳を運び出すと、皆の顔に安堵が広がる。


 無論、まだお代わりなどの用意もするので完全な終了ではないけど、宴が開始してしまえば問題となることはまずない。


「私の役目は果たしたわね」


 足利家として前代未聞と言っても過言ではない婚礼だった。古い形式を大切にしつつ、今の時代に即した婚礼としてひとつの形を作り出した。


 料理などは特にそう。本膳料理を基本として、京の都や尾張、近江の料理を加えることで多彩な料理になったのよね。


 あまりウチの料理ばかり目立たせたくないので自重するつもりだったけど、与一郎殿が鱧の骨切りを考案してくれたことで、どこに出しても自慢出来る料理を揃えることが出来たわ。


「食師殿、ありがとうございまする」


 一息ついていると、料理番の皆が揃って頭を下げてくれた。


 正直、大変だったのよね。身分社会における料理はデリケートなものだから。本当はもう少し目立たぬように裏方でやるつもりだけど。無理だった。


 エルが料理の面倒まで見ている余裕がないことで私が動いたんだけど、本来、私は裏方としてみんなの食生活をよくするために動いているだけだから。


「いろいろと無理を言ったこともありました。こちらこそ、ありがとうございました」


 短い間だったけど、最低限必要なことは教えることが出来た。あとは医師であり料理もする冬がなんとかするでしょ。


 上様の料理番の彼らにとって、今日はひとつの区切りでしかない。院や日ノ本各地から集まった諸勢力の者たちを迎えての宴は続くし、今後も事あるごとに今日までの料理に負けない料理を出し続けないといけない。


 大変な役目だと思うわ。


 まあ、私もしばらくは手伝うけど、今日以降はなるべく上様の料理番が中心となってやるようにする。本来の形に戻すつもりよ。


 彼ならきっと大丈夫なはず。





◆◆

 永禄五年、足利義輝の婚礼に関する料理の詳細は、『足利将軍録・義輝記』などに記されている。


 過去に類を見ないほど豪華な婚礼となった様子は多くの資料として残っていて、お披露目の宴で出された料理に関しても、驚きや衝撃を受けたという逸話が各地に残っている。


 四日間に渡るお披露目の料理を差配したのは、食師の方こと久遠セルフィーユだった。彼女は織田家や尾張では知られていた人物であったが、対外的にはそこまで名が知られておらず、鰻料理を京の都に残した大智の方こと久遠エルのほうが有名であったことが分かっている。


 今回、エルは政治の差配で手一杯であったことで、セルフィーユが料理を引き受けたのだと『久遠家記』には書かれている。


 義輝の料理番はいたが、料理の献立の考案から調理指導や差配はセルフィーユが行ったと。また、その過程などの様子が『義輝記』に記されている。これは著者である細川藤孝がその場にて共に調理をしていたことで、詳細が残ることとなった。


 久遠料理を日本に広めたのがエルならば、久遠料理を日本に根付かせて料理人を育てたのはセルフィーユになる。


 彼女の偉業は通称である食師そのものであり、日本食の師として現代では日本料理界にその名が残っている。



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